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鑑真和上三部作その1

鑑真和上三部作その1 鑑真を訪ねて《奈良 唐招提寺》

 

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 「旅行」を商売にしていると、時として自分の趣味・興味が高じてしまうことがある。学生時代に奈良へ通い、鑑真に、唐招提寺に強くひかれていた。近鉄の「西の京」駅から徒歩で10から15分。奈良郊外の五条町にその寺はある。いまでこそ「郊外」だが、平城京では中心に位置していたようだ。

天平3(759)年、聖武天皇により招聘され、苦難の末、来日し仏教の真の戒律を伝えた「鑑真和上」が開いた寺だ。和上は、いま境内の御影堂(みえどう)に鎮座し、いままでは開山忌(和上の命日)の6月6日の前後3日間(通常は6月5日から7日)に限って、一般公開されていた。同時に御影堂上段の間の、東山魁夷作の壮大なスケールの障壁画(襖絵)も 公開。長い行列で1時間近く待たされても、和上像に対面すると、まるで生きているような感じさえして、感激したものだ。

また唐招提寺では、なんといっても国宝の「金堂」の建物と千手観音がすばらしかった。残念ながら金堂は、2000年から『平成大修理』をおこなっており、完成は2010年。それまでは、あの均衡のとれた屋根の線やふっくらと曲線を描く柱は見れない。

聞くところ、平成7(1995)年の阪神大震災を機に建物全体を調査したところ、柱の傾きや垂木のたわみなどが激しく、すぐにでも解体修理が必要なことがわかった。あわせて、金堂内部の先の千手観音、本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ)、薬師如来も保存修理を受けており、2010年まではお会いすることができない。和上像も『唐招提寺2010プロジェクト』と題して、数々のイベントのため、全国行脚をするようだ。

 江戸時代(1688年)春、俳人・松尾芭蕉も唐招提寺を訪れた。鑑真和上が日本へ渡るために、苦難を乗り越えたが、潮風によって目をやられ、ついに盲目になった、と『笈の小文』にある。そのとき、詠んだ句・・・

 “若葉して御目の雫拭はばや (わかばして おんめの しずく ぬぐわばや)”

この青々とした若葉で、和上の目から流れ出る涙のしずくをぬぐってさしあげたら

目は見えるようになりだろうか、こんな意味だろうか。

 また会津八一も唐招提寺でたくさんの和歌を残したが、金堂を詠んだ1句が秀逸。

 

“おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ”

※唐招提寺「鑑真和上に出会う旅」は、バス280名のお客様が集まった。

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