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2006年8月の11件の記事

スイス・サンモリッツ セガンティーニ美術館

西欧美術紀行 スイス・サンモリッツ セガンティーニ美術館Segantini_museum

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スイスの南東部、イタリア国境に近い《サンモリッツ》は、ヨーロッパの高級リゾート地としても有名な所である。夏は避暑地としてセレブ御用達のホテルや別荘が並ぶ。冬場はもちろん、(冬期オリンピックが開かれたこともある)スキーリゾートになる。

 なにしろ標高1,856mだから、夏は涼しい。数年前の7月に訪ねた。人気の避暑地だけあって、メインストリートには、高級ブティックやブランド専門店がオープン。セレブな山間(やまあい)の町である。

 《セガンティーニ》は、日本では岡山の大原美術館(『アルプスの真昼』1893年)くらいにしか、作品がないので、それほどポピュラーな画家ではないかもしれない。41歳で亡くなるまで、ほとんどエンガディン地方、アルプスを拠点に70点程の作品を残したにすぎない。ジョバンニ・セガンティーニ[スイス 1858-1899]は、独自の点描技法が特徴で、高原、草原の風景画が多い。Photo_61

 サンモリッツの湖を見下ろす、高台にセガンティーニ美術館はある。坂道を登って行くと『ハウルの城』に登場したようなロボットチックな円筒形の建物がみえてくる。この美術館の2階が、セガンティーニの「三部作」(1896~1899年)を展示している。左から「生」、「自然」そして「死」」である。かなり大きなキャンバスに描かれている。絵の前にはベンチが用意されていて、ゆっくり鑑賞できる。もちろん、ほかにも彼の初期の頃からの作品の展示があるが、やはり「三部作」が圧巻。人生をふと垣間見て、夕方の草原でこどもを抱きしめる母親の姿は「生」、うなだれて女が牧畜の親子の牛を引く姿の「自然」、そして亡くなった人をともらう冬の朝の情景が「死」だ。明るい作品ではないが、すべて深みがある。人によっては、好き嫌いがある作品かもしれない。なぜなら(自分もそうだったが)「三部作」を見ると、作品スケールの大きさに圧倒さるるものの、心は晴れず、重くなる一方だった。しかし強い衝撃で印象が残る作品。

Werden Seinshizen_

(※『アルプスの真昼』は大原美術館提供、「三部作」はセガンティーニVergehen美術館の絵ハガキから、「生」「自然」「死」の順)

※休館が多いのでホームページ等で事前に確認してください。

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マイタイとブルーハワイ

ハワイこぼれ話 カクテル マイタイとブルーハワイ

 

 ハワイに行くと自然に飲みたくなるカクテル。マイタイ、ブルーハワイにチチ。

とくにワイキキのロイヤル・ハワイアン(ホテル)の『マイタイ・バー』がよい。

海辺の潮風にあたりながら、このバーが発祥の地というマイタイを飲む。甘いけどラム酒が効いている。ブルーハワイもよい。甘くてジュースみたいだが、見た目が美しい。なぜか紙でつくった傘がのっていたりして、アジア風。

Photo_59 《マイタイ》

中身は

レモンハート・ホワイトラム 

ブルーキュラソー

パイナップル・ジュース

オレンジ・ジュース

よくシェイクしてクラッシュ・アイスの入ったグラスに注ぐ。

甘い、アルコールはきつい。

《ブルーハワイ》

中身は

レモンハート・ホワイトラム

ブルーキュラソー

パイナップル・ジュース

レモンジュース

ジュースのように甘い。P9130045

 しかし飲みやすいからといって飲みすぎると、確実に足にくる。ハワイアンを聴きながら雰囲気にひたるべし。ビールを2杯とマイタイ、ブルーハワイ各1杯で、私は二日酔いをしたことがある。 

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5星ホテル イル・サンピエトロ・ポジタノ

イタリアこぼれ話

5星ホテル、《イル・サンピエトロ・ポジタノ》に泊った

Map_of_positano_1   IL SAN PIETRO DI POSITANO ホテル「イル・サンピエトロ・ポジタノ」は、南イタリアの世界遺産地区・アマルフィー海岸にある。5つ星の上にLのつく最高級のホテルで、アメリカの雑誌で『世界リゾートランキング』で第1位に輝いたこともある。

海岸線の美しいアマルフィーの中心、ポジタノの街から、およそ2kmの断崖絶壁の景勝地に建つ。

Positano

 部屋はわずかに62室。すべての部屋にバルコニーがつき、すべての部屋が海に面していて、すべてにジャグジーのバスタブがつく。海側のレストランは、夜キャンドルで飾られる。すばらしい雰囲気だ。しかも「ミシュラン」の常連(1つ星)店で、すばらしい食事を楽しめる。びっくりするくらい、サーブするボーイが多い。まさにワインを楽しみながら、新鮮なサカナ料理を満喫。もちろん宿泊代金も高い。スタンダード・ルームで1400ユーロ程度(約6万円)である。

 このホテルには3泊したことがある。山口県にある某市の行政視察ツアーの添乗だった。市長さんをはじめ、市議会議員の先生方で合計8名。10日間のイタリア旅行で、旅行代金は一人150万円とかなり豪華なものだった。(いまなら情報公開等で大きな社会問題になるだろうが)Photo_57

 なにしろ日本人客は、われわれの他はいない。海外添乗には、100回程行ったが、おそらく一番よいホテルであった。なぜ3泊かといえば、高級リゾートのホテルの場合、「ミニマム・ステイ」(最低滞在期間)が決められていて、サンピエトロ・ポジタノの場合、3泊からだった。ポジタノを基点にナポリ、ポンペイはもとより、船でカプリ島へも行った。天候に恵まれ「青の洞窟」にも無事、入ることができた。Photo_58

 アマルフィー海岸は、レモンの産地でも有名だ。「リモンチェッロ」という、レモンリキュール(アルコール度30度)は、甘口だが、かなり強いお酒。レモンの畑が海岸線の傾斜地を利用してたくさんある。おみやげによい。Limoncello

 ともかく南イタリアを旅することがあったら、昼食や夕食だけでも、このホテル「イル・サンピエトロ・ポジタノ」に行ってほしい。ディナーはドレスコードがあって、あまりラフな服装は遠慮したい。世界中からのお客様が来るので英語はよく通じる。だから食事でも必ず予約をすること。もちろん3泊お泊りいただくと、満足度が違う。それから先ほどのお酒「リモンチェッロ」は、あなどってはいけない。私は泥酔してしてしまった。 

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何はなくても西安の《兵馬俑》

中国こぼれ話 何はなくても西安の《兵馬俑》

 

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西安の兵馬俑を見学すると人生観がかわる。「秦始皇陵兵馬俑博物館」は、西安の郊外、秦始皇帝の陵墓の1.5km東にある。1974年に農民が井戸を掘る際、発見された。まるで東京都体育館のような建物である。公開されているのは、1号館、2号館、3号館に銅馬車の館だが、圧巻は1号館(1号坑)である。

中へ入ると幅60m、奥行き230mの体育館のようだ。入口に向かって整然と直立する兵士や馬の像の迫力はすごい。日本の古墳時代でいえば、「埴輪」なのだが、等身大(実は2m近い)兵士立像が集団で同じ方向を向く。秦始皇帝の権力の偉大さを示すといってしまえばそれまでだが、約8,000体もあるらしい。しかも2,200年前のものだ。現在も発掘、修理中とのこと。

1号館内部は写真撮影もできる。体育館のタッチライン沿いにできている廊下から下を見下ろす感じでの見学だ。兵士像の顔は、それぞれに異なっていて、漢民族ばかりでなく、シルクロードの向こうのペルシャ人もいる。立像ばかりではなく、片ひざを立てて待機する兵士もいる。「銅馬車」も実物の1/2の大きさだが、精巧にできていて、いまにも動き出しそうだった。

これほどショックを受けたこともない。テレビや雑誌でもみてきたが、まさに目の前に兵馬俑の軍団が存在することに、大変な驚きを感じた。中国にしては、入館料は高い。5月から11月が90元(約1,350円)で冬場の閑散期(12月~2月)が65元(約970円)だ。となると3月~4月はいくらですか?(残念ながら添乗員メモに記載なし)

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いずれにせよ、西安に行く機会があれば、見逃してはなりません。何はなくても、《兵馬俑》。それから名物料理で、西安の餃子(水餃子)もおいしい。ついでに夏ならば、西安のスイカもお忘れなく。

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《ニューヨーク高級ホテル事情》部屋に届かないスーツケース

アメリカこぼれ話 《ニューヨーク高級ホテル事情》部屋に届かないスーツケース

その2

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 ニューヨークの高級ホテル『エセックス ハウス』で、行方不明の荷物は、大きなサムソナイトのトランク。持ち主は、年配のご夫婦で参加のKさんである。

ホテルのマネージャーが、当面、着替え等や日常の生活必需品として、一人200ドルまで出します、とのことでチェック(小切手)を切ってくれることになった。

翌日、ニューヨーク市内観光に行く参加者をガイドさんに任せ、私はKさんご夫妻と日用品(洗面道具や化粧品、着替えなど)の買出しである。ホテル・エセックスハウスは、セントラルパークにも隣接していて、五番街もすぐ近くだ。商店街もある。

買物の通訳をしなければならない。

 ひととおり、百貨店やスーパーマケットを回り、衣服や化粧品等を購入。Kさんの奥様はご年配ではあるけれど、女性なのでさすがに下着売場には同行しなかったが、なんとか買われたようだ。

 お昼からはツアーに合流。メトロポリタン美術館で待ち合せだ。無事に合流してゆっくりメトロポリタンを堪能。とくに印象派のコレクションがすばらしい。その後、フリックコレクションでフェルメールをみてホテルへ。

 するとマネージャーに呼び止められ、Kさんの荷物・サムソナイトが他の部屋のワードロープ(洋服ダンス)内から発見されたという。ホテルでは、部屋を掃除するルームメイドさんに指示を出し、荷物を捜させたようだ。

 荷物は1階上の下2けたが同じ部屋番号の部屋にあった。夜遅く着いて朝早くチェックアウトをしたお客様は、1泊しか使用しないので、洋服ダンスをあけなかったようだ。セキュリティーを考えて、ボーイが気をきかせて、しまったのがアダになった。

やれやれほっとした。日常品や着替を買った200ドル×2人分は、当然、ホテルから払ってもらった。お侘びとして、Kさんは、エセックスハウスの無料宿泊券をいただいたが、その後NYCへ行ったという話はきいていない。

なお、夜遅くホテルに到着した場合などは、個人・団体に限らず、自分で荷物を部屋に運ぶようにしたい。ポーターの到着を待っている時間がもったいない。早朝の出発で恐ろしく早く、整理が間に合わないときなど、荷物を出す時(バゲージダウン)は、逆に自分で荷物をおろすことも場合によっては可能だ。もちろん、添乗員同行の場合には、必ず連絡をしておくこと。

※「ハワイ」などは、荷物専用トラックで空港~ホテル間を輸送することがあるので、自分で持ち運ぶとえらいことになるので注意。

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ニューヨーク高級ホテル事情

アメリカこぼれ話 《ニューヨーク高級ホテル事情》部屋に届かないスーツケース

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 ニューヨークの高級ホテル『エセックス ハウス』での出来事。アメリカ国内の主要な美術館をまわるツアーで、ニューヨーク(メトロポリタン、フリックコレクション、MOMA)を皮切りに、ボストン(ボストン美術館、イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館、ハーバー大学フォッグ美術館)、ワシントン(フィリップコレクション、ワシントン国立絵画館)、シカゴ(シカゴ美術館)と行程が進む。NYCははじめの2泊。

空港到着後、簡単な市内観光をしてホテルに到着。添乗員の仕事は、空港業務を別にして、大型バスのトランクから出した荷物の個数をホテルのポーター(ベルキャプテン)と確認することから始まる。確かにすべての荷物をおろした。

簡単にチェックインをして、お客様に部屋番号やその後のスケジュールを伝え、部屋の鍵を渡す。ホテル側と食事の時間や明日のモーニングコールやバス出発時間の打合せをおこなう。部屋割り(ルーミング)は、ホテル側で済ませているので、バスからおろしたお客様の荷物(スーツケース)は、そこについているタッグ(名札)をもとに、ポーターが各部屋まで運んでくれる。

落ち着いたところで、お客様からお部屋の不都合(シャワーが出ない、トイレが故障している、部屋がきれいに掃除されていないなどの申し出)に備え、ロビーに待機する。

すると年配のご夫婦で参加のKさんがやって来た。部屋に入って30分たったけれど、荷物が届かない。飛行機での長旅で早くシャワーを浴びたいが、着替えもないので困ったとのこと。さっそくベルデスクに走る。するとKさんの部屋には、荷物を運び済みだという。(少なくともホテルの記録には、届け済みになっていた)

ここは、NYCでも有名な『エセックス ハウス』である。80年近く前に開業した由緒ある高級ホテルだし、日航ホテルがマネージメントしていたこともある。

そのうち夕食の時間になり、Kさんご夫妻には、「荷物は捜索中ですので、とりあえずディナーに行きましょう」と説明して、ロブスターのレストランへ。夕食を終えてホテルに戻ったが、まだ荷物はみつからない。さすがにこのホテルでは、団体でバス到着後から荷物を運び出すまでが、30秒に1回動く静止画像で出入口の様子がビデオに残っている。不審者の出入りをチェックするらしいが、正面ではなく、裏手のドアまで監視していた。そこにしっかり、荷物の個数を確認する私の姿も映っていた。もちろんKさんご夫妻の大きな青いトランクも映っていた。

ホテルにかけあうと、「確かに荷物は、ホテル側が預かった。現在、所在を捜索中だが、当面、着替え等や日常の生活必需品として、一人200ドルまでホテルで出すので、必要なものはお買い求めください」ということになった。《続く》

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《トレビの泉》実は半円型の映画のセットのようだ

イタリアこぼれ話 《トレビの泉》実は半円型の映画のセットのようだ

 

 イタリアのローマ市内観光の定番は、コロッセオ、フォロロマーノ、スペイン広場にバチカン市国(サンピエトロ寺院)などなど。おっと忘れてならないのが、トレビの泉だ。

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観光バスはかなり遠くに停まり、狭い路地を抜けると、いきなりトレビの泉に到着する。この泉、はじめて来た人はイメージとの違いにびっくりする。「泉」というと丸いものを想像するが、実際は宮殿をバックにした半円形である。泉の中央には凱旋門を背に貝の戦車に乗った、海の神様・ネプチューン。この貝の戦車を引くのは、2頭の海の馬(海馬)トリトンだ。1762年の彫刻だから約250年くらい前のものだ。ローマにしてみれば新しい。

トレビの泉には、観光客が投げ込むたくさんのコインが沈んでいる。現地のガイドさんによれば、「コインの投げ方」にも決まりがあるそうだ。

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1        まず、泉を背にする

2        コインは、右手で持つ(右利きの場合)

3        左肩越しに泉へ投げる

1回うまく投げられると、再び、トレビの泉に来ることができる

2回うまく投げられると、恋が成就する(恋が実る)

3回うまく投げられると、別れ話がすんなり進む

と、私の添乗員メモに書いてあるが、「?」マークがあるのはなぜだろう。

実際には、いつも1回しか投げていないので、恋が実ったこともないし、別れ話に気をもんだこともない。ただし、1回投げれば「再びトレビの泉に来る」というのは、本当のようだ。投げた後、3回は行った。確か、最後に行ったときには、お客様に頼まれて、カメラのシャッターを押してばかりいて、コインを投げ忘れたから、しばらく「トレビの泉」に行く機会がないのも、うなずける。

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《エーゲ海ミニクルーズ》実はサロニコス湾クルーズ

ギリシャこぼれ話 《エーゲ海ミニクルーズ》実はサロニコス湾クルーズ

 

 ギリシャ、アテネでのオプショナル・ツアーの定番といえば、《エーゲ海ミニクルーズ》がある。船旅にあこがれる、人の心をくすぐるし、『エーゲ海』という、言葉の響きがよい。私も2度、お客様を案内したことがある。

 大手旅行会社の旅行パンフレットには、“魅惑のエーゲ海をクルーズで楽しみます。

白壁の教会やカラフルな窓枠に彩られた家並みが美しいエギナ島。緑に覆われた風光明媚なポロス島。ロバのタクシーが行き交うイドラ島。それぞれの魅力をもつ3つの島をめぐります。紺碧のエーゲ海に浮かぶ島々は、まるでオリンポスの神々が作り上げた芸術品のようです。“

 

 私も同業者なので、美辞麗句で飾り立ててパンフレットをつくり、お客様を集めたこともある。

しかし、このミニクルーズ(1日観光)は断じて《エーゲ海》ではない。

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地図をみていただければわかるが、エギナ島・ポロス島・イドラ島は、「エーゲ海」につながる、《サロニコス湾》(英語読みではサロニック湾)にある。アテネで目にする、欧米人向けの旅行パンフレットには、《Saronic Gulf Cruiseサロニック湾クルーズ》または《Full Day Cruise to the Saronic Islandsサロニック湾の島をめぐる終日クルーズ 》と、はっきり書いてある。決してエーゲ海ミニクルーズではない。

本当の《エーゲ海》は、ミコノス島、サントリーニ島、クレタ島などをいう。

 エーゲ海ミニクルーズのスケジュールは、こんな具合だ。(一例)

        午前7時30分頃、ホテルピックアップ(船会社のチャーターした大型バスが各ホテルをまわる)

        8:30 アテネ(パレオ・ファリオ港)出航

        9:40~11:30 エギナ島(オプショナルでアフェア神殿ツアーあり)

        (船内で昼食、ギリシャの民族舞踊ショー)

        12:30~13:30 ポロス島

        15:00~17:00 イドラ島

        19:00 アテネ 帰港(ホテルまでバスで送ってくれる)

    天候等の理由で回る順番が変更になることもある。

 このオプショナル・ツアーが15,000円である。ちなみに欧米人には75~80ユーロで販売されている。英語のできる方は、現地の会社へ申し込めば日本円より、2割安である。

 もちろん、この3つの島はそれぞれに美しい。白い家が海岸線に沿って建つ風景は、エーゲ海を思い起こさせるものだ。1日という、短い時間で「エーゲ海クルーズ」気分を味わえる。しかし、これはサロニコス(サロニック)湾クルーズであることを忘れてはならない。

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揚州チャーハン

“中国料理で有名な《揚州炒飯》を楽しみにしていた。横浜の中華街などで食べる揚州炒飯とは違って、油っぽくてまいった。そのほかの料理も醤油味がきつく、それほどおいしくない。(たぶんこの日は腕利きの料理長が休みだったんだろう)”

 最近、鑑真和上の三部作の《揚州》のところで、揚州チャーハンのことを書いた。たまたま先日、横浜の有名な中華街の店『揚州飯店』の山本営業部長にお会いする機会があり、チャーハン(揚州炒飯)に関する質問をしてみた。

 『揚州飯店』のメニューには、《揚州チャーハン》ではなく、【揚州風チャーハン】がある。なぜかといえば、本格的なものを作ると、たくさんの種類の高級具材を使うため、コストが合わないのと、まだまだ日本人には「チャーハン」にお金をかける人が少ないからだそうだ。また揚州チャーハンには、材料や油、調味料のすべてが決められた基準があるそうだ。そこで調べてみた。

 

 (揚州調理師連合会発表の『揚州炒飯の基準材料』)

地鶏のたまご4個、ナマコ、地鶏のモモ肉、金華ハム(高級中国ハム)、干し貝柱、エビむき身、干し椎茸、タケノコ、グリンピース、ねぎ

調味料:塩、鶏ガラスープ、サラダ油

 それから、せっかくの揚州であったのに、チャーハンの老舗『菜根香』に行って本家とされる揚州炒飯を食べる機会がなかったことが悔やまれる。

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 そこで、行ってきました。東京で唯一、公認《揚州チャーハン》の食べられる店、北区十条駅前の『大吉飯店』(だいきちはんてん)。生ビールと餃子(290円で5個、実にうまい)を注文して、締めは揚州チャーハンである。1,260円もする。スープ、ザーサイ、杏仁豆腐がつく。かなりのボリュームである。ふわーっと仕上げてある。基準材料が実に細かく調和している。絶妙な塩加減。甘さも香りもある。油の量にも気をつかい、強力な火力で、短時間に炒めたのがわかる。油っぽさがない。確かにおいしい。しかし一緒についてくる小鉢の中華スープが当たり前の味だ。少し残念。

 ちなみに『大吉飯店』には、通常のチャーハン620円や五目チャーハン750円もある。店で(一般の)チャーハンを食べている人にきいたら、うまいそうだ。Photo_49

 テレビや雑誌にも取り上げられると味が落ちるのが、世の常(つね)だが、店のおかみさんと話をしてみたら、偉そうにするでもなく、実に謙虚だった。この店に限っては、心配はなさそうだ。チャーハンのブランド《揚州チャーハン》に幸あれ。

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ピサンゴレン バナナの天ぷら

バリ島こぼれ話 ピサン・ゴレン《バナナの天ぷら これはうまい》

 

 南の楽園、バリ島。8回ほど添乗やホテルの仕入れ交渉に行った。インドネシアは基本的にイスラム教の国だが、バリだけは土着の信仰と結びついたヒンドゥー教の島である。人々は自然と神様を大切にしているから、他人にやさしい。まさに「癒し」の神々の島である。

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 いま、バリは、ヌサドゥアビーチやジンバランビーチの高級リゾートホテルで売っている。北ヌサドゥアのベノアやクロボカン、スミニヤック地区にもプライベートビラスタイルのホテルができた。私が毎年行っていた頃は、「クタ」(プルタミナコテージ)、「レギヤン」に「サヌール」(なつかしのバリビーチホテル)そしてヌサドゥアが主流だった。まして芸術家が住む「ウブド」にデラックスホテルはなかった。

 「ジンバラン」にまだバンガローが数軒しか建っていなかった。椰子の木がたくさんあった。まさに時代は流れている。

 そんなバリで、好きな食べ物がいくつかある。ナシ・ゴレン(焼きめし)、ミー・ゴレン(焼きそば)、サテー(串焼き)もそうだが、デザートの『ピサン・ゴレン』のファンである。

 “ピサン”はバナナで、“ゴレン”は油で揚げる(炒めるも含んで、油で調理する)の意味だそうだ。日本(で食べる)バナナとは違って、小さな青い、若いバナナ(年配の人はモンキー・バナナという)に衣(ころも)をつけて揚げたものだ。

 レシピ的には、薄力粉とベーキング・パウダー、卵、ココナツミルクを使う。180度の油で揚げる。ころもが茶色になったら、粉砂糖やチョコレートシロップをかけて食べる。シナモンも軽くふる。生クリームやバニラ・アイスクリームとも相性がよい。いわゆる、お菓子である。

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 このピサン・ゴレンをクタパレス(ホテル)のレストランでよく食べた。とくにクタは夕日が美しい。しかし男が一人、サンセットにひたりながら、バナナの天ぷらというのもさびしいものである。

 日本のインドネシア料理店でも食べられるが、完熟したバナナではなく、青いバナナの方が型くずれしないし、おいしい。人間の場合は、熟したほうが、「おいしい」気がする。

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松島やああ松島や松島や 芭蕉の作ではありません

“松島や ああ松島や 松島や”芭蕉の作ではありません

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松島のあまりの美しさに、声も出ず、松尾芭蕉の一句というのが通説だが、実は大きな間違いである。もう一度、岩波文庫の『おくのほそ道』を読み返してみても、ほそ道の中で、芭蕉は松島に関する俳句を残してはいない。

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広く世に知られ、あまりにも有名な

《松島や ああ松島や 松島や》の句であるが、本当は江戸時代後期の狂歌人、田原坊の原作だそうだ。仙台藩の儒学者・桜田欽齊の記した旅行ガイドブック『松島図誌』に、田原坊の

《松嶋や さてまつしまや 松嶋や》

が掲載された。

(松島という所は、さてなんと表現したらいいのだろうか。ほんとに松島は・・・)

この句の「さて」が「ああ」になって言い伝えられたのが真相のようである。

ところで、本家の芭蕉は、元禄2年(1689年)327日(新暦516日)、江戸深川を出発し、日光、那須、白河、郡山、福島、飯坂から仙台、塩釜と歩き、59日(同625日)に松島に入った。弟子の曽良が同行した。

『おくのほそ道』の「松島湾、雄島が磯」の段では、つぎのように書き残している。

 抑(そもそも)ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。(略)其気色、よう然として美人の顔を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ。

(現代語訳)

さてさて、すでに言い古されているけれど、松島は日本一、風光明媚な所だ。中国の名勝地、洞庭湖・西湖と比較しても恥ずかしくない。(略)松島湾の美しさは、憂いをたたえた趣きの、美人がさらに化粧をした顔のようにさらに美しい。それはきっと神代の昔、(山の神であった)大山祇神のなされた仕業だろうか。天地万物創造の神の技は、いかにすばらしいもの書きでも、筆舌に尽くしがたい。(上手に表現することはできない)

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 (略)江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ。
 松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曽良
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩あり。原安適松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解きて、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。

(現代語訳)

(略)松島の海岸まで戻って、宿泊先の宿を探し、宿をとったのは、海に向かって窓を開け開いた二階建ての家造りであった。風雲の流れを感じながら旅の夜を過ごしていると、なんとも言い難く、妙にいい心地がしてくる。

 このすばらしい松島なのだから、松島には鳥の王様・が一番似合う。

そこにいるホトトギスよ、いっそ鶴の姿を借りて飛んでみてくれ。

  曽良の詠んだ句である。しかし私は(芭蕉は)ついに句をつくることができず、あきらめて眠ることにしたが、気持ちが高ぶって、どうしても寝つくことができない。そこで、以前住んでいた庵(家)を出る時に、素堂が作った「松島の詩」や、原安適が詠んでくれた「松が浦島の和歌」のことを思い出して、俳句や和歌を書きとめたノートを出すため、携帯袋のひもを解き、それらを取り出して今夜のなぐさめとした。袋の中には、杉風や濁子が作ってくれた発句もあった。(意訳)

このように、絶景・松島を目にして芭蕉は、何も言えなかたようだ。研究者によれば、『おくのほそ道』の出発前に門人に送った書簡に、「松島」に対する芭蕉の強いあこがれがあったことが知られているそうだ。(岩波文庫補注)

ほそ道の本文にも《序章》で旅支度をしながら“もも引きの破れを繕い、菅笠の首ひもをつけかえ、足の三里のツボに灸をすえようとしていると、(うわさにきく)松島の月の美しさが気にかかって仕方がない”と記述がある。《日光》の箇所では、『おくのほそ道』の“この旅は松島と象潟(きさかた)の景色を眺めることを楽しみに”との表現もあるくらいだ。

 もともと平安時代末期から鎌倉時代には、和歌をつくるための題材となる風光明媚な名所(観光スポット)が、全国にあったそうだ。これを『歌枕』という。西行などが詠んだ句の「現場」となる場所で、ほそ道でいえば白河の関や塩釜、松島も該当する。この歌枕や文人墨客の足跡をたどることも、『おくのほそ道』の旅の目的の大きな要素であった。もちろん俳諧で身を立てるため、芭蕉は地方に暮らす自分の門下生を訪ねて、いわゆる「蕉門」(芭蕉一派)の勢力を拡大しようという意図もあったかもしれない。

 「松島」が江戸時代頃から日本三景のひとつとして、評判であったことも芭蕉を奥州へ向かわせた要因ともいわれている。しかし歩きながら名所旧跡をたずね、発句の会を開いたりする旅行脚は、天候にも左右される。疲れもたまる。このあたりは、同行の弟子の残した『曽良旅日記』に詳しいが、これほどまでに《松島》にあこがれていた芭蕉が、この地に1泊しかせず、先を急いだことも意外だ。

いずれにせよ、本当に美しい風景を見て、感動したとき、人は無口になるものかもしれない。そこで一句。“待つ暇や ああ待つ暇や 待つ暇や”

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