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松島やああ松島や松島や 芭蕉の作ではありません

“松島や ああ松島や 松島や”芭蕉の作ではありません

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松島のあまりの美しさに、声も出ず、松尾芭蕉の一句というのが通説だが、実は大きな間違いである。もう一度、岩波文庫の『おくのほそ道』を読み返してみても、ほそ道の中で、芭蕉は松島に関する俳句を残してはいない。

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広く世に知られ、あまりにも有名な

《松島や ああ松島や 松島や》の句であるが、本当は江戸時代後期の狂歌人、田原坊の原作だそうだ。仙台藩の儒学者・桜田欽齊の記した旅行ガイドブック『松島図誌』に、田原坊の

《松嶋や さてまつしまや 松嶋や》

が掲載された。

(松島という所は、さてなんと表現したらいいのだろうか。ほんとに松島は・・・)

この句の「さて」が「ああ」になって言い伝えられたのが真相のようである。

ところで、本家の芭蕉は、元禄2年(1689年)327日(新暦516日)、江戸深川を出発し、日光、那須、白河、郡山、福島、飯坂から仙台、塩釜と歩き、59日(同625日)に松島に入った。弟子の曽良が同行した。

『おくのほそ道』の「松島湾、雄島が磯」の段では、つぎのように書き残している。

 抑(そもそも)ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。(略)其気色、よう然として美人の顔を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ。

(現代語訳)

さてさて、すでに言い古されているけれど、松島は日本一、風光明媚な所だ。中国の名勝地、洞庭湖・西湖と比較しても恥ずかしくない。(略)松島湾の美しさは、憂いをたたえた趣きの、美人がさらに化粧をした顔のようにさらに美しい。それはきっと神代の昔、(山の神であった)大山祇神のなされた仕業だろうか。天地万物創造の神の技は、いかにすばらしいもの書きでも、筆舌に尽くしがたい。(上手に表現することはできない)

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 (略)江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ。
 松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曽良
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩あり。原安適松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解きて、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。

(現代語訳)

(略)松島の海岸まで戻って、宿泊先の宿を探し、宿をとったのは、海に向かって窓を開け開いた二階建ての家造りであった。風雲の流れを感じながら旅の夜を過ごしていると、なんとも言い難く、妙にいい心地がしてくる。

 このすばらしい松島なのだから、松島には鳥の王様・が一番似合う。

そこにいるホトトギスよ、いっそ鶴の姿を借りて飛んでみてくれ。

  曽良の詠んだ句である。しかし私は(芭蕉は)ついに句をつくることができず、あきらめて眠ることにしたが、気持ちが高ぶって、どうしても寝つくことができない。そこで、以前住んでいた庵(家)を出る時に、素堂が作った「松島の詩」や、原安適が詠んでくれた「松が浦島の和歌」のことを思い出して、俳句や和歌を書きとめたノートを出すため、携帯袋のひもを解き、それらを取り出して今夜のなぐさめとした。袋の中には、杉風や濁子が作ってくれた発句もあった。(意訳)

このように、絶景・松島を目にして芭蕉は、何も言えなかたようだ。研究者によれば、『おくのほそ道』の出発前に門人に送った書簡に、「松島」に対する芭蕉の強いあこがれがあったことが知られているそうだ。(岩波文庫補注)

ほそ道の本文にも《序章》で旅支度をしながら“もも引きの破れを繕い、菅笠の首ひもをつけかえ、足の三里のツボに灸をすえようとしていると、(うわさにきく)松島の月の美しさが気にかかって仕方がない”と記述がある。《日光》の箇所では、『おくのほそ道』の“この旅は松島と象潟(きさかた)の景色を眺めることを楽しみに”との表現もあるくらいだ。

 もともと平安時代末期から鎌倉時代には、和歌をつくるための題材となる風光明媚な名所(観光スポット)が、全国にあったそうだ。これを『歌枕』という。西行などが詠んだ句の「現場」となる場所で、ほそ道でいえば白河の関や塩釜、松島も該当する。この歌枕や文人墨客の足跡をたどることも、『おくのほそ道』の旅の目的の大きな要素であった。もちろん俳諧で身を立てるため、芭蕉は地方に暮らす自分の門下生を訪ねて、いわゆる「蕉門」(芭蕉一派)の勢力を拡大しようという意図もあったかもしれない。

 「松島」が江戸時代頃から日本三景のひとつとして、評判であったことも芭蕉を奥州へ向かわせた要因ともいわれている。しかし歩きながら名所旧跡をたずね、発句の会を開いたりする旅行脚は、天候にも左右される。疲れもたまる。このあたりは、同行の弟子の残した『曽良旅日記』に詳しいが、これほどまでに《松島》にあこがれていた芭蕉が、この地に1泊しかせず、先を急いだことも意外だ。

いずれにせよ、本当に美しい風景を見て、感動したとき、人は無口になるものかもしれない。そこで一句。“待つ暇や ああ待つ暇や 待つ暇や”

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コメント

すみません。文章が長すぎて論文みたいです。
もう少し短めにお願いできませんか。

投稿: 通りすがりです | 2006年8月10日 (木) 20時10分

通りすがりの方へ
コメントありがとうございます。
確かにこの回は、長すぎて読みにくかったですね。反省してます。

投稿: たろべえ | 2006年8月11日 (金) 01時26分

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