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甲斐のくに・山梨の名物は鮑(あわび)という意外性【その2】《中道往還》

  駿河湾で採れた「あわび」を醤油樽に詰めて、馬の背に乗せて甲斐まで運んだ話だが、《中道往還:なかみちおうかん》は歴史的な甲斐の古道だそうだ。

少し長くなるが、大変わかりやすいので説明文を引用する。

(山梨県・右左口峠:うばぐちとうげにある中道往還の看板より)

この道は甲斐の古道の一つで若彦路と河内路のちょうど中間を通っていたことから中道往還と呼ばれてきました。

 甲州(山梨県)より駿州(静岡県)吉原、沼津に通じ、文化の交流、価値の高い物資の運搬など、どの道よりも早く往来できましたので「いさば」(魚介類の道)としても多く使われてきました。

 甲州名物の煮鮑の道でもあったこの道は、現在もその様子を残し、石畳や馬頭観音の石像や伝説のある「強清水」など交通の要路であったことを表しています。

 また、中世には武田信玄公、織田信長、徳川家康などの戦国の武将たちも兵を率いてこの道を往来しました。

Photo_74  《中道往還》のルートをたどると、駿河・吉原~厚原~大宮(宿場町)~

北山(ミニ宿場)~上井出(宿場)~人穴~根原~本栖・精進(宿場)~

右左口

(

うばぐち

)

(宿場)~甲府  の全長20里(約80km)であった。商品輸送のための街道としては、駿河と甲州を結ぶ最短路であった。もっとも急いだ例として、静岡の沼津に朝あがった魚は吉原へ届くのが、午後4時頃で、そのまま《中道往還》を人馬が歩き、いくつもの峠や難所を越えて、右左口で夜明けを迎え、甲府には午前7時には着いたそうだ。

このように駿河からは、海産物や塩が運ばれ、甲州からは名産の絹織物(甲斐絹)や竹細工製品が運ばれた。(別名いさばの道、塩の道と呼ばれる)

また、案内看板にあるように戦国時代には「軍用道路」として、武将が兵を率いて通過した。右左口宿は、武田家滅亡後、徳川家康が整備した宿場としても知られている。

《中道往還》の道中には、道祖神や庚申塔をはじめ、旅の途中で急死した馬をともらうために馬方たちが建てた「馬頭観音」(石塔)も見受けられるそうだ。

道端の石を積み上げただけの粗末なものも多かったに違いない。01ubaguchijuku

(地図は富士宮市の観光パンフレットから、右左口宿画像は甲府市観光課提供)

  中道往還(なかみちおうかん)について、つぎの資料を参考にしました。

富士宮市ホームページ「駿河と甲州を結ぶ古道」

http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/kodo/kodo1-11.htm

国土交通省甲府河川国道事務所「中道往還」

http://www.ktr.mlit.go.jp/koufu/kai/kai_michi/kodo/ind05.htm

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