« 甲斐のくに・山梨の名物は鮑(あわび)という意外性【その2】《中道往還》 | トップページ | 悠仁親王のお印《高野槇》と栗きんとん »

《武田信玄の隠し湯》甲斐の国編

武田信玄の隠し湯 甲斐の国編

 1521年113日武田信玄は、現在の山梨県甲府市上積翠寺町にある、「積翠寺」で生れた。このお寺の本堂裏手に《信玄公産湯の井戸》がある。Sekisuijiidoubuyu

 当時、駿河の今川氏の武将・福島正成が甲斐に侵入し、飯田河原で武田軍(信玄の父・信虎)と激戦を繰り広げた。(飯田河原の合戦)身重であった信虎の正室・大井夫人は、住居であった「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」(現在の甲府市内にある武田神社)から、信虎の居城であった要害山(要害城)へ避難する折、この積翠寺で晴信(信玄)を出産したという。

 

信玄の出生地については、「要害山」の説もある。いずれにせよ、積翠寺温泉の産湯をつかったようだ。「要害」とは、険しい山々に囲まれ、前方は見晴らしがよく、遠くまで視界が開いているため、敵軍の攻撃に対しての防御は固い。その地に武田軍の居城を築き、山麓には傷病の兵を癒す「積翠寺温泉」(鉱泉)があった。

 生れたときから温泉に縁のあった信玄は、とくに温泉好きであったようだ。ほとんど毎日のように戦いの続く戦国時代にあって、傷つき疲労した兵士の治療や休養のため、温泉・鉱泉を探した。また調べてみると、武田家の蓄財のために、多くの金鉱山の採掘をおこない、鉱夫のために温泉療法を施した。強固な武田の城下町を形成したり、武器や人馬を集める費用は、莫大だったに違いない。

《武田信玄の隠し湯》は、調べた限りでは、山梨、長野を中心に25以上30箇所近くもあるようだ。山梨県内が9箇所、長野県内が15箇所、神奈川・静岡・岐阜に各1箇所で合計27箇所。この他にも信玄隠し湯伝説や信玄ゆかりの温泉・鉱泉を加えれば、おそらく30箇所を超えるだろう。 

中でも「武田信玄かくしの湯の源泉始祖」と主張する『下部温泉 古湯坊源泉館』には、信玄をはじめ、武田家からもたらされた書状がいくつか残されていて、もはや伝説ではなく、史実である。Photo_75gensenkansyojo_1 (書状には晴信:信玄の署名と花押がみえる)

下部温泉は信玄公が川中島の戦いの折、上杉謙信からうけた肩の傷を癒したと伝えられて以来《武田信玄の隠し湯》として余りにも有名だが、古湯坊源泉館に伝わる古文書はすばらしい。信玄やその父、信虎の免状が残っている。川中島をはじめ各地の戦さで負傷した多くの武将が下部の温泉で傷を癒した。 

当時の武田軍は最重要の治療施設であった源泉館の岩風呂に対し、土地浴場の免状を発行して手厚く保護していた。いまでいえば営業許可証である。とくに信玄が、川中島合戦の傷を源泉館の岩風呂で治癒したという言い伝えが残っているが、数々の古文書はこれがただの伝説ではないと思わせる重みがある。

さらに武田家の菩提寺・恵林寺の北、笛吹川渓谷に「川浦温泉」がある。雁坂トンネルを越えれば、すぐ秩父だ。この川浦こそ、信玄が第4回目の川中島合戦に備え、恵林寺の有名な快川国師に命じて湯屋を造営させ、傷病兵の治療に用いた温泉場である。しかもここ川浦温泉の「山県館」は、武田二十四将の一人、山県昌景の子孫が現在も経営している。Photo_77kawauragaikan

400年以上も残る《武田信玄の隠し湯》は、単たる言い伝えや伝説ではなく、歴史のロマンなのかもしれない。次回は隠し湯の宝庫・信濃を探る。Photo_76kawaurafuro

(書状は、下部温泉・古湯坊源泉館、川浦温泉画像は山県館提供)

《信玄の隠し湯》山梨 ※温泉名・所在地・コメント・施設例(旅館など)

たろべえ調べ

下部温泉(しもべ)/山梨県南巨摩郡身延町/JR身延線下部温泉駅から徒歩10分

武田信玄が川中島の戦いで受けた刀傷を癒したと伝わる。切り傷・骨折に効く。

開湯は約1,200年前。毎年5月に信玄公かくし湯まつり(信玄武者行列など)。

下部ホテル0556(36)0311/古湯坊源泉館0556(36)0101

増富温泉(ますとみ)/山梨県北杜市須玉町/JR中央本線韮崎駅から増富温泉行きバス1時間終点下車、徒歩10~15分

武田信玄が金の採掘をした折に鉱泉を発見したといわれる。ラジウム鉱泉。

湯治場。

古湯金泉湯0551(45)0211

湯村温泉(ゆむら)/山梨県甲府市湯村/JR中央本線甲府駅から昇仙峡行きバス10分、湯村温泉入口下車

(甲府市)県庁所在地に湧く温泉。武田信玄が負傷した兵を治療させたという記録が残る。

旅館柳屋055(253)2416

積翠寺温泉(せきすいじ)/山梨県甲府市上積翠寺町/JR中央本線甲府駅北口から

送迎あり

信玄の父・武田信虎が築城した要害山の麓の温泉。信玄が産湯をつかった。兵の傷を癒すのに用いられた。源泉は18度と低温。

(旅館)要害055(253)2611/(旅館)坐忘庵055(252)3211

西山温泉(にしやま)/山梨県南巨摩郡早川町西山温泉/JR身延線身延駅から

奈良田行きバス95分西山温泉下車

1,300年前の慶雲年間の開湯。武田信玄や徳川家康をはじめ、多くの戦国武将が湯治に訪れたという。泉質はナトリウム、カルシウム、硫酸塩で、効能は胃腸病、神経痛、慢性リュウマチ、創傷など。

西山温泉慶雲館0556(48)2111

川浦温泉(かわうら)/山梨県山梨市三冨川浦/JR中央本線塩山駅南口からバス50分川浦温泉下車

笛吹川渓谷にある。武田信玄が、恵林寺の快川国師に川中島の合戦(第4回1561年)に備えて湯屋の造営を命じ、傷病兵を治療させた。武田二十四将の一人、山県三郎右兵衛尉昌景(やまがたさぶろうひょうえのじょうまさかげ)の子孫が経営している。

山県館0553(39)2111

岩下温泉(いわした)/山梨県山梨市上岩下/JR中央本線春日居町駅から徒歩15分

山梨県下最古の温泉。1,700から1,800年以上の歴史をもつ「霊湯」と呼ばれ、武田信玄の隠し湯ともいわれる。源泉は28度と冷たいが加温した湯船もある。

岩下温泉旅館0553(22)2050

橋倉鉱泉(はしくら)/山梨県大月市賑岡町奥山67/JR中央本線大月駅からバス桑西行き20分上真木下車徒歩25分

信玄・勝頼の2代に仕えた武田家臣・小山田信茂が発見したといわれる。近くの杉沼の金鉱採掘に従事した人々を療養させたと伝えられている。

心のふるさと橋倉0554(22)5411

金山鉱泉(かねやま)/山梨県大月市賑岡町奥山1422/JR中央本線大月駅からタクシー20分

武田家の隠し金山で金鉱の採掘に従事した鉱夫たちを療養させたと伝えられている。湯治場。

山口館0554(22)3398

※小さな鉱泉宿もあります。お客様が直接、予約しておでかけください。また、日帰り入浴についてもご確認ください。

|

« 甲斐のくに・山梨の名物は鮑(あわび)という意外性【その2】《中道往還》 | トップページ | 悠仁親王のお印《高野槇》と栗きんとん »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

湯村温泉(追記)※湯村温泉旅館協同組合提供

諏訪を攻略して信濃国に進出した武田晴信(信玄)は、さらに北上して北信濃へ領土を拡張しようとした。そこで立ちふさがったのが、村上義清。

1548年上田原の合戦で武田軍と村上軍が激突。武田は信玄の重臣・板垣信方や甘利虎泰が戦死。信玄自身も敵の槍を受け、左腕を負傷した。武田勢の大敗といわれる。

 この時、信玄は湯村(当時は島の湯)温泉で30日間湯治して、傷を癒したという。

投稿: たろべえ | 2006年10月24日 (火) 14時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/12400857

この記事へのトラックバック一覧です: 《武田信玄の隠し湯》甲斐の国編:

» _●35年古酒かねやま 山川酒造限定発売 [お酒ブログ情報トラックバックセンター]
山川酒造(本部町、山川宗克社長)は35年古酒「かねやま 1971」(720ミリリットル・アルコール度数40度)を11月から100本限定で発売した=写真。価格は消費税込みで15万円。「県内市販の泡盛の中では最も古い古酒」とPRしている。 [続きを読む]

受信: 2006年11月12日 (日) 14時41分

« 甲斐のくに・山梨の名物は鮑(あわび)という意外性【その2】《中道往還》 | トップページ | 悠仁親王のお印《高野槇》と栗きんとん »