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2006年11月の14件の記事

久し振りの日帰り添乗は都内めぐり

 先日、久し振りにどうしても来て欲しいとのリクエストで、都内1日バス巡りに添乗した。大手香料メーカーのOB会旅行だから年配の方々ばかり。最近入社した若い衆の添乗員では対応できないので、仕方がない。こちらは、このところ企画畑で旅行商品の企画・造成のオフィース仕事なので、楽しかった。Busseen01

(コース)

都内10:00~浅草~浅草寺・仲見世~吾妻橋(浅草)11:30~水上バス(隅田川)~12:10日の出桟橋~お台場~13:00有明ワシントンホテル(バイキングの昼食)14:00~有明~(ゆりかもめ乗車)~台場~14:20フジテレビ球体展望台16:30~17:00有楽町(ニュートーキョー)19:00解散Photo_91

 船(水上バス)が690円、昼食のバイキングは1,470円。球体展望台は500円、ゆりかもめは240円にニュートーキョーのビール代は含まず、貸切バス代を参加人数で割れば、一人当たり6,000円程度。これで下町から、のんびり隅田川と人気のお台場を回る。昼食は、値段の割には内容がよい。ローストビーフやデザート、ソフトドリンクのみ放題もついている。Sumida

 旅行会社はこれで「いくら儲かるの」と言われて、一人1,000円もいかない。困った時代だ。でもお客様が喜んでくれるからまだ、やっていけるのだ。

 浅草は人出が多い。チャイニーズばっかりだ。仲見世を冷やかして、揚げ饅頭(これがなかなかうまい)や人形焼をつまむのもよい。隅田川の船ものんびり40分。お台場のフジテレビ球体展望台は、なんといっても眺めが最高だ。

東京近郊に住んでいてもなかなか行けない観光スポットなのだ。Vfsh0269

 たまにはいい。日帰り・・・「添乗」としては朝早く、帰りが遅く、大変なのだけれど、どうしてどうしてリフレッシュできた1日だった。

 世間には「はとバス」的都内めぐりを馬鹿にする人がいる。でもきっとそんな人は、都内めぐりのバスに乗ったことのない方だろう。団体で効率よく1日、内容充実で、しかも安く過ごせるのだから、たまには日帰り都内もおすすめである。

※写真:東栄観光バス/東京ベイ有明ワシントンホテル/東京都観光汽船(水上バス)/球体展望台からのレインボーブリッジ

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武田信玄の隠し湯 相模・駿河・飛騨編

武田信玄の隠し湯 相模・駿河・飛騨編

 武田信玄ゆかりの「隠し湯」については、山梨(甲斐)、長野(信濃)を中心に戦国武将の中では群を抜く多さである。いわゆる川中島合戦後、武田軍は西進および南下戦略をとるが、その過程で神奈川(相模)、静岡(駿河)、岐阜(飛騨)の地にも「武田信玄の隠し湯」伝説があった。

□ 中川温泉(なかがわ)/神奈川県足柄郡山北町中川/小田急新松田駅から

富士急行西丹沢行きバスで約50分、中川温泉入口下車

山梨との県境に近い、四季の移ろいと中川の清流が美しい丹沢山懐にある。言い伝えによれば、永禄12年(1569年)、武田軍は2万余の軍勢で相模に侵攻し北条氏の本拠地・小田原城を包囲。その後の戦いで負傷した兵の傷を癒すために、中川温泉が利用された。泉質はアルカリ性単純温泉、泉温は35~36度。効能は美肌、アトピー、皮膚病、神経痛、五十肩、筋肉痛、関節痛など。

 「武田信玄の隠し湯」が売物の《かくれ湯の里 元湯 信玄館》Photo_88

元湯信玄館0465(78)3811

Photo_89

□ 梅ケ島温泉(うめがしま)/静岡県静岡市梅ケ島/JR新幹線・東海道本線

静岡駅から静鉄バス梅ケ島温泉行き、約120分。

山梨県の身延から安倍峠をこえると梅ヶ島、標高900mから1,000m近くの湯治場。静岡からは、安倍川を上流まで約45kmたどる。戦国時代には、安倍(梅ヶ島、日影沢)金山があり、武田信玄が金山で働く鉱夫たちの傷の治療に用いた隠し湯の伝説がある。泉質は硫黄泉、泉温は39.23度でリュウマチ、神経痛、糖尿病、皮膚病、胃腸病、創傷などに効能がある。

湯の島館054(269)2032/泉屋旅館054(269)2030

□ 平湯温泉(ひらゆ)/岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯/JR高山駅からバス約60分。ここにもロマンチックな「武田信玄隠し湯」伝説がある。武田軍は越中(北陸富山県あたり)を手に入れようと飛騨(岐阜県)に侵攻した。武田四天王の大将・山県昌景は、多くの軍勢を引き連れ、峠越えをした。頂上を越える頃、兵士は皆疲れきり、おまけに硫黄岳からの毒霧に包まれ倒れる者が続出。なんとか平湯あたりにたどり着くと、年老いた白猿が道端の湯に入れとすすめる。猿の教えた平湯に入ると兵士たちは元気を取り戻したという。

この「伝説の守護猿」は、お守りグッズとしていまも人気商品として売られている。(猿満堂より販売)

 「奥飛騨温泉郷」には平湯温泉・新平湯温泉・福地温泉・栃尾温泉・新穂高温泉がある。

平湯温泉観光協会・平湯温泉旅館協同組合0578(9)3030Photo_90

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※写真は中川温泉信玄館(外観、大浴場)、平湯温泉イメージ(平湯温泉旅館協同組合2点)、平湯の守護猿白猿グッズ

Hirayu

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JR深谷駅(埼玉県)駅舎に驚く

仕事で有名な「深谷ねぎ」の深谷へ行ってきた。東京(上野)からJR高崎線で16駅、約1時間20分かかるが、なかなかどうしてすばらしい駅舎なのだ。Vfsh0267

 戦前の東京駅を模写した「赤レンガ」の造りである。この駅舎は平成8年に改修されたときに“深谷をアピールするために”と、戦前の東京駅駅舎の半分の大きさで再現したそうだ。

 この周辺は明治時代から、明治の経済の父・実業家の渋沢栄一によってレンガ工場(日本煉瓦製造)が造られ、ここから全国にレンガが出されたことで「レンガの街」として栄えた。もちろん東京駅駅舎の建築にも、ここで作られたレンガが使用されている。そんなことからできたのが深谷駅。

 ところで本家の「東京駅」は現在、昔の姿に改築中だが、大正3年(1914年)、

明治の建築王・辰野金吾によって設計され、駅舎の全長は、320メートル。

煉瓦の建造物では日本最大を誇る。なるほど立派な建築である。4

 一説によると、この東京駅のデザインはオランダ「アムステルダム中央駅」をモチーフにしたそうだ。実際にアムステルダムで中央駅にも行ったことがあるが、確かに似ているけれど、違う。「東京駅」をデザインした辰野氏は明治時代にロンドンへ建築学や設計の勉強のため、官費留学をしているから実際にヨーロッパの建造物を目にしているはずだが、たぶん参考にした程度ではなかろうか。東京駅の駅舎の方が格段によくできている。

 このあたりの事情は、オランダ研究の上西秀明さんの著作に詳しい。

(大変参考になるので引用する)

 旅行ガイドブックなどの解説でよく見かける説ですが、東京駅はアムステルダム中央駅(写真)を模倣したものであると一般に語られています。なるほど、双方赤煉瓦作りで横に長い構造であることから、どちらかがどちらかを模倣しのだと考えられなくもないかもしれません。しかし実際には、この説は全くの俗説とされており、誰もその説を裏付ける明確な根拠を明らかにしていません。むしろ、それを否定する論拠の方は学術的にも一般に紹介され、支持されているようです。

 もう10年以上も前のことすが、東京で仕事をしていたときに偶然にもこの俗説を否定するような新聞記事を目にしました(「朝日新聞夕刊記事(1988.3.17)」)。模倣説否定の根拠としては、まず第一に、当時設計にかかわったドイツ人技師やその後実際の建設を指揮した日本人技師の設計案の流れを見る限り、アムステルダム中央駅との接点が見出せないこと、第二に、アムステルダム中央駅は中央出口がメインゲートであり、東京駅は中央は皇室用出口で、一般客は利用できず、メインの出入り口は左右に置かれているなど、結果的にも両者が異なった構造を備えるに至ったこと、第三に、建築様式的にもアムステルダム中央駅はネオゴシック様式である一方、東京駅はビクトリアン様式であること、などが挙げられます。このような比較分析は1988年に東京駅舎建て替え議論が盛り上がった際に、その保存運動を進めるに当たって調査された結果にともなうものです。

 残念ながら現在の東京駅は空襲によってもともとあった三階部分が焼けてしまったため、二階にまで縮められた上、簡単なトンガリ屋根がかぶせられてしまいました。従って、比較しようにもそもそもの原型とは異なってしまっており、その違いを視認することはできません。それには古い写真等を用意するしかないでしょうが、なんと私の住む街にある「赤煉瓦博物館」というところに東京駅の原型模型がありました。個人的な感想としては、両者を比較してみて「これはやっぱり別物だ」という結論にならざるをえないように思います。

 駅という機能上の制約に由来する見かけ上の類似(横長三階建て)とメイン建築素材がともに赤煉瓦という偶然の一致が、このような俗説を観光客の間に簡単に広めてしまったのではないでしょうか。 果たして、皆さん自身はどう判断されるでしょう。

 日本と関係しているオランダ人にこのことを話すと、「それでも東京駅とアムステルダム駅は関係がある」と信じたがるようですが、信じたいという気持ちはさておき、関東大震災、東京大空襲、そして近年では東京駅周辺の再開発の波を免れた時代の生き証人をなんとか大切に後世に伝えて行きたいものです。 2003 原稿作成)Photo_86

 「アムステルダム中央駅」はネオゴシック様式で「東京駅」はビクトリアン様式だったのか。赤レンガに惑わされず、もっと勉強しよう。

※写真上:深谷駅・たろべえ撮影、中:東京ステーションホテル絵(大正末期頃)、下:アムステルダム中央駅(1996年)

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工藤夕貴主演《ピクチャーブライド》

工藤夕貴主演の映画PICTURE BRIDEピクチャーブライド』

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1994年~95年、ハワイに駐在していた頃、現地でみたアメリカの映画『ピクチャーブライド』が忘れられず、ネットを捜して、ロサンゼルスの業者からビデオを購入した。日本語訳にすれば「写真花嫁」となるだろうか、明治から大正時代、ハワイへ多くの日本人が移民として渡った。

 はじめはサトウキビ畑で過酷な労働を強いられ、住む家は粗末な物置小屋で、それでも歌をうたいながらわずかな賃金で懸命に働いた。年頃の男たちは、結婚斡旋業者にできるだけ若い頃の写真を預け、日本から花嫁を募る。海を渡って来た花嫁は、理想と現実のギャップに苦しむ。苦労を重ねながらも次第に夫婦になっていく。

そんな訳ありの花嫁を工藤夕貴が演じた。よく耳にするハワイの日系人の歴史を描いた作品なのだが、ハワイの風景は本物だった。

 工藤夕貴の出演作品は、その後、『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999年)や『SAYURI』(2005年)などもみた。なかなか存在感のある女優に育ったものだ。

しかし決してスターではない。顔立ちがどこか庶民的なのだ。元アイドル歌手なのに、不思議だ。それでもきっと何年かしたら、得意の語学を生かしてハリウッドで「日本人」を演じる大女優になると思っている。

Picture_bride1 

(意訳)

1918年リヨはハワイに到着。すぐに迎えにきた婚約者のマツジに面会するが、大きなショックを受ける。写真でみた男(マツジ)より、老けており、実にリヨより15才も年上だった。「愛のある結婚」を夢みていた彼女は、仕方なくマツジの働くサトウキビ農園へ。様々な人種のるつぼの中で友人と助け合い、なんとか愛をはぐくんでいくリヨ。さて・・・・・・

http://www.picturebridefilm.com/credits.html

Picture_bride2_1 

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2007年大河ドラマ『風林火山』、主役は山本勘助

 時は戦国の世、天下統一をめざす甲斐の武将・武田晴信(信玄)。「風林火山」の旗のもと、日本歴史上最強といわれる騎馬軍団、武田軍の参謀には、軍師・山本勘助がいた。

 その一生は謎に包まれているが、武田信玄の信濃や伊那の攻略の最前線における城の設計にも意を尽くしたことで知られる。Photo_85

 勘助は、多くの武運を残す中、信玄に滅ぼされた「諏訪頼重(すわよりしげ)」の娘・由布姫(ゆうひめ・諏訪御料人)を信玄の側室に推薦する。信玄の正室・三条の方との確執もあるが、甲府と諏訪を往復しながら、勘助は由布姫に無償の「愛」を感じ、信玄と姫の間に生れた四男・勝頼を武田の跡取にするため画策する。若くして世を去る由布姫。

 やがて越後の長尾景虎(上杉謙信)と川中島で宿命の対決を迎える。第四次川中島合戦、勘助は自ら提案したキツツキ戦法の失敗に責任を感じ、乱戦の中、敵陣に突入し討ち死する。69歳。死ぬ間際、勘助は越し方を走馬灯のように回想する。板垣信方も出てきた。続いて由布姫の顔が現れる。

 「その傷は何ですか。生まれつき見られない顔なのに、またそんな重傷(ふかで)を負って!」非難をこめて言う独特の由布姫の言い方の快さが、勘助の心を痺(しび)れさせた。その時、

 「山本勘助と見受けるが----------名を名乗れ!」

 「いかにも、武田の軍師、山本勘助」

※最後の引用は『風林火山』井上靖による。Vfsh0107「山本勘助」は恵林寺蔵、 写真は山本勘助の墓(川中島、たろべえ撮影)

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新潟県 大湯温泉 《ホテル湯元》でゆっくりくつろぐ

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上越新幹線「浦佐駅」から、車で約40分、「小出駅」からは約20分の山間(やまあい)のしっとりとした温泉地・大湯温泉。会議があり、泊ってきた。

キャッチフレーズは“ゆけむりは800年の彼方より”で、なんと開湯800年以上とのこと。なるほど天然湧出する温泉は58℃で無色無臭で単純泉だが、神経痛、婦人病、リュウマチなど浴用効果も高い。大岩石風呂や露天風呂がある。露天に入ってみると、まだまだ赤や黄色の紅葉がきれいであった。しかし、気温は4℃。さすがに山奥は寒い。Senkyou3

ロビーをはじめ、館内は広い敷地にゆったりとした造りで、団体客にはびくともしない85室の大型旅館である。従業員はみんな素朴で親切だ。料理もそこそこの水準で部屋もこぎれいな和室だ。特別に気をつかう必要もなく、仲居さんも決してうるさくない。チェックイン時に浴衣のサイズを確認して、「大」を一人につき2枚届けてくれた。「上等」とか「高級」ではないけれど、なんとなくゆっくりできる宿なのだ。

そして夕食時、うまい酒『八海山』を飲む。米がうまくて水がうまい里の酒は、くやしいくらい飲みやすい。しかも宴席の料理は、鮑の酒蒸し、鯖バッテラ寿司、鮪やエビのお造り、松茸土瓶蒸しにすっぽん鍋、牛肉ねぎ味噌石焼に

地元の きのこ「あまんだれ」汁。食べきれない。Vfsh0242

 朝食は、一人用の小さな釜で炊いた「コシヒカリ」だ。お米の粒が光り輝き立っている。おいしい。無常の喜びを感じる。

Vfsh0241

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うまいそば《へぎそば 中野屋》 新潟県南魚沼郡

うまいそば《へぎそば 中野屋》 新潟県南魚沼郡

新潟へ出張。うまい酒、うまい米にうまいソバを食べてきた。魚沼の塩沢で新潟名物の《へぎそば》を食す。『石臼挽 へぎそば 中野屋』へ行く。Vfsh0253

 越後湯沢駅前の本店は定休日であったので、車を飛ばして塩沢店へ。念願のへぎそばを食べた。付合せは「舞茸の天ぷら」(730円)で、日本酒は「八海山」の冷である。3人で大へぎそば・うどん【四人前】……2,730円 を注文。のど越しがよく、つるつるとうまい。

 そばの実(玄そば)を石臼で挽く自家製粉。つなぎにフノリ(海草)を使用した「挽きたて」、「打ちたて」、「ゆだたて」の三たてがキャッチフレーズだ。

石臼での挽き方も1分間に12回転と決め、熱が生じて風味が逃げないような工夫とこだわりがある。

 「へぎそば」の「へぎ」とは、そばを盛る器のこと。 杉や欅でつくられた長方形の箱に、何人前ものそばが盛られて出てくる。 「へぎ」の語源は、板を「剥ぐ(はぐ)」という単語から。 それが、「へぐ」となまり、続いて「へぎ」の名になったと言われているそうだ。 越後では昔、婚礼や葬式、法事といった席があると、必ず出されていたもので、その風習が今でも、何人前ものそばが盛られる「へぎ」によって大切に伝えられている。 めんの太さや色、つゆの味などが家ごとや村ごとに違い、それがまた味わう楽しみだったようだ。Vfsh0249

 なるほど一口大に小分けされ、食べやすい。つなぎに海草(フノリ)をつかっているせいか、食感がよい。

 舞茸の天ぷらもやわらかい。塩で食べる。また、薬味にネギのほか、「あさつき」といって、ネギの丸い根の部分を(皮をむいて)食べる。苦味があるが、おいしい。とにもかくにも「へぎそば」には、文句のつけようがない。

石臼挽き へぎそば 《そば処 中野屋》 湯沢本店

 新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢2-6-3

 電話 025-784-3720 FAX 025-784-3276

■営業時間/  午前11:00~午後8:00

定休日】月1回木曜日(要確認)

■塩沢店

新潟県南魚沼郡塩沢町大字南田中534-89

TEL:025-778-3113

■営業時間・午前11:00~午後8:00

■定休日 ・毎週 水曜日

URL:http://www.umaisoba.com/

Vfsh0248

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米沢駅 牛肉駅弁対決は「新杵屋と松川弁当店」

駅弁通によれば、山形県の米沢駅の駅弁は、どれを食べてもはずれがない。

なるほど、改札を入ってすぐ左側に松川弁当店と新杵屋が、並んでいる。

 どちらがうまいか、といえば、これは好みの問題で両者互いに譲らずといったところだが、私は新杵屋の《牛肉どまん中》と松川屋の《すき焼き弁当》が大将戦ではないかと思う。

☆(米沢駅)有限会社 新杵屋Pa130159_2

米沢名物 牛丼弁当「牛肉どまん中」1,000円

内容:ご飯、牛肉煮、牛肉そぼろ、煮物(里芋、人参、昆布)、玉子焼き、蒲鉾、付合せ(漬物)Pa130160

(コメント)

駅弁大会でもベスト3に入る、人気のお弁当を上野駅の売店で購入。たぶん4回目の実食。そういえば、JRの会議で山形へ出張した折、米沢駅で新杵屋さんの売店でこの牛肉どまん中を注文すると、わざわざ1個なのにあたたかいものをつくって、新幹線つばさのドアまで届けてくれたことがある。もちろん冷めてもそのおいしさはかわらない。やや濃い目の甘辛の味だ。

 米沢駅は新杵屋さんのライバル・松川弁当さんも牛肉関連のお弁当を販売している。(個人的にはどまん中がうまい)

 『明治時代にルネッサンス様式を一早く取り入れた山形大学工学部をモチーフとして、1993年7月に新築された米沢駅は、いつの時代も私たちを温かく迎えてくれます。同じく明治に端を発する米沢牛は、米沢に英語教師として招かれていたイギリス人C・H・ダラスが、その美味に驚嘆讃美し、米沢から横浜に帰る時お土産として牛を一頭持ち帰り米沢牛の名を有名にしたと言われています。

この〝牛肉どまん中〟は、明治の頃から変らぬ米沢牛の美味と、それを引き立たせる四季折々の昔ながらの味を今に伝える逸品です。ボリューム満点の〝牛肉どまん中〟をぜひご賞味ください。』(掛紙箱より)

☆(米沢駅)()松川弁当店

「よねざわ すきやき弁当」1,300円Vfsh0044_1

内容:御飯、牛肉煮、糸こんにゃく煮、錦糸卵、栗甘露煮、ごぼうのうま煮、細竹煮、椎茸煮、紅生姜、グリーンピース

(コメント)米沢の牛肉系弁当の2大巨頭・松川弁当店の逸品。加熱式でほかほかを食べる。かなり濃い目の味付けだが、さすがに「米沢名物黒毛和牛」の牛肉は、やわらかくうまい。駅弁資料館の館長さんは、1,300円は高いと言うが、私はリーズナブルだと思う。米もうまい。Vfsh0046

 ※新きねやさんにお話をうかがった。あたり前だが、材料に高価な「米沢牛」は使っていない。すべて山形県産の和牛である。駅売り、山形新幹線車内販売、キオスクや上野駅・東京駅の駅弁旨囲門を中心に、「牛肉どまん中」は毎日2,000食生産される。駅ばかりでなく、4班に分けたチームが交代で全国の百貨店の駅弁フェアに出かけて行って、実演販売もするそうだ。それほどの人気商品。軍配はどまん中だろう。

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米沢ラーメン なつかしい昭和の味

《米沢ラーメン》なつかしい「昭和の味」

 米沢は「米沢牛」も有名だが、ここは《米沢ラーメン》のお話。典型的な米沢のラーメンは、手もみの縮み麺(細麺)でしょうゆ味のようだ。昭和の味というべきだろうか、「中華そば」なのだ。(昔は支那そばと呼んでいた)Vfsh0222_1

 スープは鶏ガラと煮干に野菜の甘みであっさりしているけれど、奥が深い味わいであった。煮干と鰹節のサカナ系の風味だ。そういえばこどもの頃に食べたような味。縮み麺は、「多加水熟成」といって、水分を多く含ませて、練り上げ、仕上げに手もみをする。具も定番のチャーシュー2枚、ネギ、メンマだ。これで中華そば500円。満足だ。なぜか、たくあん2切れ、おいしい。

■ 龍華食堂(りゅうげしょくどう)

■ 山形県米沢市小野川町2788

■ TEL 0238-32-2808

中華そばのほか、地元の名物・豆もやしが丸ごと長いまま入った「豆もやしラーメン」も人気だ。冷たいスープから茹でることで、もやしのシャキシャキとした食感が残っていて、おいしい。豆もやしラーメン 700円。

なお、龍華食堂は町おこしにも一役かっていて、「便利な出前サービス」があり、町歩きをする観光客が、ホタル公園の川沿いの露天風呂前からもラーメンの出前ができる。温泉地内の出前ポイントといって、河川・滝付近、ほたる公園内、河川公園内に案内板がある。Vfsh0224

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武田信玄 上杉謙信 駅弁合戦

武田信玄 対 上杉謙信 駅弁合戦

 食べてみておいしかった駅弁なので紹介したい。

《甲州旨いもの合戦 風林火山》武田信玄

 「元気甲斐」など名物駅弁で健闘している丸政さんの新作駅弁は、その名も「風林火山」。甲州旨いもの合戦と題した「お品書」がつく。

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【風の信玄笹寿司】

信玄ゆかりのあわびの煮貝寿司

【林の里村炊き込みご飯】

あわびとしめじと生姜を使った里村の炊き込み御飯

【火の甲州鉄火味噌おにぎり】

椎茸・大豆・ごぼう入り鉄火味噌のおにぎり

【山の栗おこわ】

甲斐の山栗おこわ

【甲斐の味あわせ】

甲州かぼちゃの茶巾揚げ/干し葡萄入り煮なます/紅鯨の西京焼き/牛肉巻き/玉子焼き/ほうとうの素揚げ/武田漬け/杏のシロップ煮

 おしゃれな赤・黒模様の掛紙と同じ紙袋がつく。お弁当箱は武田菱をかたどり、おかず類をきれいに仕切っている。信玄ゆかりの「あわびの煮貝」や「ほうとう」の素揚げも入っている。お酒のつまみにも最適。納得の1,200円。

    株式会社 丸政(小淵沢駅、甲府駅などで通年発売中)

    408-0044山梨県北杜市小淵沢町996

    TEL:0551-36-2521 FAX:0551-36-2522

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《川中島合戦笹ずし》上杉謙信

 駅弁の老舗・長野はナカジマ会館弁当部さん特製。川中島合戦におもむく上杉軍が富倉峠(飯山市)を越えるとき、必勝を願って村人が、郷土の名物「笹ずし」を奉納したという、故事に、もとづく。Photo_83

【椎茸の甘辛煮】

【鶏肉そぼろ】

【イクラ】

【富倉産山菜】

【紅マス】

【野沢菜の油炒め】

以上の6種類がそれぞれ酢めしの上にのる。1種類づつ、殺菌作用にすぐれた笹にくるまれ、彩りも鮮やかで、味のバリエーションを楽しめる。980円はお買い得の駅弁だ。富倉といえば、幻のそばでも有名だが、川中島合戦の頃には、まだなかったと思う。

    ナカジマ会館・中島弁当店(長野駅で発売中)

    380-0913長野県長野市川合新田3411

    TEL:026-221-3456 FAX:026-221-1230

※ここに紹介した駅弁は、品切れ等の場合もございます。予約(お取り置き)サービスなどもご利用ください。 

※駅弁画像は丸政さん、ナカジマ会館さん提供



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幻の日本酒・《十四代中取り純米大吟醸》を飲む

山形の蔵王温泉に出張。「蔵王四季のホテル」に新しく『離れ湯 百八歩』という温泉棟が完成した。その完成披露であった。硫黄の匂う白濁した本物の源泉を引いている。Vfsh0196

蔵王はスキー場としても名高いが、温泉の実力はたいしたものだ。温泉街の元湯である、「おおみや旅館」の風呂などは、「源泉」である。旅館のクラッシックな玄関を入ると、正面が浴場(内湯と小さな露天風呂)だが、すでに硫黄の匂いがする。源泉掛け流しだが、冬場は泉温が下がるので加温するのみ。しかもこの源泉を近くの公共浴場「上の湯」と「下の湯」にも引湯している。

湯上りであったまった体に最高の、冷(ひや)で飲む日本酒をいただいた。幻の酒、《十四代中取り純米大吟醸》である。くせのない水のようだ。それでいてまろやかで、辛口のはずなのに飲んだ後、甘さがのこる。話に聞いたことはあったが、飲むのは初体験。Vfsh0205

《十四代》は山形県村山市の高木酒造がつくる。「もの」よっては一升瓶で、6万も7万もする。あっという間に五臓六腑にしみ込み、酔いも早かった。

帰りに山形駅のステーションビルの酒類売場でみたら、四合瓶で12,800円である。ちょっと土産には買えないお値段だ。しかし、驚いたことに、蔵王の次に視察に行った米沢郊外の小野川温泉の、偶然、昼食を食べに入った・とある食堂兼居酒屋で、また《十四代》の一升瓶を見つけた。10本はあった。しかも一升瓶に値札がついていて、13,000円と16,000円。(あわてて撮影したので写真がボケている。)当然、グラス売りはしてくれない。Vfsh0211

お店のご主人に入手経路をうかがったが、企業秘密だそうだ。したがってお店の名前は、内緒にしておくが、ヒントは「小野川温泉のおいしい豆腐屋さんVfsh0220のお隣りのお店」である。

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高山の町でひとやすみ 《飛騨版画喫茶 ばれん》

岐阜県高山の町は徒歩でなければ歩けない。(歩いてみなけりゃ意味がない)

朝から陣屋や朝市を歩くと、疲れる。屋台会館や日下部民芸館も歩き。

 一休みするなら、上三之町の町屋づくりの喫茶店「ばれん」だ。もうここに店を出して30年は経っているはずだ。町屋の特徴で間口(入口)は狭い。しかし2階もある。お店の名前のとおり、飛騨出身の、地元の版画家の作品を大小様々展示(即売)している。とくに高山の街並みを写した作品は、味がある。

 味といえば、水がうまいせいか、コーヒーが実にうまい。1杯450円だから都会の盛り場でみかけるスターなんとかといい勝負だが、ドトー○とは、香りと深い味わいが違う。

 静かな店内で壁に展示してある版画を眺めながら、しっとりとコーヒータイムはステキだ。聞くところによれば、「ぜんざい」(十勝の特産小豆使用)730円、

「クリームあんみつ」650円も捨てがたい人気商品とのこと。

たまにはゆったりした旅にしませんか。

            飛騨版画喫茶 ばれん

            岐阜県高山市上三之町107

            TEL:0577-33-9201

            営業:8時30分~17時(冬期は9時~16時30分) 木曜休み

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敵に塩を送る 上杉謙信から武田信玄へ《川中島余話》

永禄3年(1560年)桶狭間での奇襲戦法により、織田信長は今川義元を討ちやぶった。これにより群雄割拠の戦国時代は、大きくその勢力分布を変えた。武田信玄は、今川氏の衰退をみて永禄10年(1567年)、13年間にも及ぶ駿河の国の今川氏との同盟関係を破棄し、駿河(静岡県)への侵攻を決める。

 しかし信玄の長男・武田義信は、信玄の南下戦術に大きく反対した。それもそのはず、義信の母は、今川義元の推薦で京の都から信玄のもとに輿入れした三条の方であり、妻は義元の息子・今川氏真(うじざね)の妹であった。信玄は息子・義信の謀反(反逆)に対し、きびしい姿勢で臨んだ。義信の武田家嫡男の称号を剥奪、東光寺に幽閉し、ついには自刃に追い込む。戦国の世はわが子であっても決して安心はできなかった。(信玄自身、実父・武田信虎を追放して当主となった)

 信玄の駿河侵攻を知った亡き今川義元の子・氏真(10代当主となり、三河・遠江・駿河を統制)は、縁戚関係にあった北条氏康(神奈川県相模の国)と協力し、武田領内・甲斐への「塩」の流通を禁じた。

 この「塩」に関する経済封鎖は、ものが生活必需品であるがため、甲斐・信濃の武田の領民をおおいに苦しめることになった。これを知った越後の上杉謙信は、「義」を重んじ、川中島で雌雄を決した好敵手・信玄のため、苦しむ民衆のため、日本海の塩を送った。越後の糸魚川から松本に至る物資の輸送路は、《塩の道》と呼ばれている。Photo_80

 越後から送られた塩は、永禄11年(1568年)1月11日、松本に到着した。

「敵に塩を送る」とは、敵である相手を尊敬し認めることができて、はじめてとれる行動である。美談である。

 「塩」といえば、武田の領内の信濃(長野県下伊那郡大鹿村)鹿塩では、海水の塩分濃度と同じ塩水が湧出していた。「岩塩」である。ここは鹿塩温泉である。同様に、甲斐にも岩塩の採れる奈良田温泉がある。両方の温泉とも塩分によって、湯冷めもなく、いつまでもポカポカしているそうだ。謙信の心意気もあったかい。

(写真は川中島の信玄・謙信一騎打ちの像:長野コンベンションビューロー)

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武田信玄の隠し湯 信濃の国編

武田信玄の隠し湯 信濃の国編

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川中島をはじめ、多くの合戦で負傷した兵や馬の治療に武田軍は、温泉を用いたことはよく知られている。ほとんど毎日のように戦いの続く戦国時代にあって、傷つき疲労した兵士の治療や次の戦(いくさ)に備える、休養のため、温泉・鉱泉を探した。また、強固な城下町をつくり、武器や人馬を集める莫大な費用のため、金をはじめとする鉱山の採掘をおこない、疲弊した鉱夫たちのためにも温泉療法を施した。 

《武田信玄の隠し湯》は、調べた限りでは、山梨、長野を中心に25以上30箇所近くもあるようだ。山梨県内が9箇所、長野県内が15箇所、神奈川・静岡・岐阜に各1箇所で合計27箇所。この他にも信玄隠し湯伝説や信玄ゆかりの温泉・鉱泉を加えれば、おそらく30箇所を超えるだろう。 (この項は「武田信玄の隠し湯 甲斐の国編」と重複) 

とくに甲府から松代(川中島)間を信玄はたびたび往復したが、甲斐から諏訪、さらに北信濃に進行するための、甲府から松代・海津城までの最短距離の軍用道路をつくった。これは《信玄棒道:しんげんぼうみち》と呼ばれ、小淵沢から八ヶ岳南山麓そして、蓼科周辺に「上の棒道」として残っている。この軍道は上中下三筋あり、軍馬と兵士が走り抜けた山道だ。もちろん物資の輸送にも使われた。そして調べてみると、この棒道の周辺の山あいには「信玄の隠し湯」が多く存在しているようだ。合戦で傷つき疲れきった兵の癒しには、充分役立ったと思われる。 

また北信濃攻略にとどまらず、信玄は元亀3年(1572年)25,000の大軍を率いて甲斐を出陣。諏訪から伊那を経て青崩峠を越え、遠江(静岡県西部)に侵入した。やがて三方ケ原で武田軍は徳川家康軍と一戦を交える。この戦(いくさ)は、武田軍の勝利であったが、信玄は甲斐への帰途、天正元年(1573年)4月、信濃駒場で病が悪化し病没してしまう。伊那周辺にも「信玄の隠し湯」が残されている。

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《信玄の隠し湯》長野 ※温泉名・所在地・コメント・施設例(旅館など)

たろべえ調べ

□仙仁温泉(せに)/長野県須坂市仁礼/長野電鉄須坂駅からバス30分終点仙仁温泉下車

平安時代末期、山伏が発見した秘湯。奥行き30mの洞窟風呂で知られる。洞窟の仙人風呂は、はじめ上杉謙信の隠れ湯であったが、川中島合戦以後、武田信玄の隠し湯として、負傷した兵の傷を癒したと伝わる。一軒宿。日帰り入浴不可。

仙仁温泉岩の湯026(245)2453

□松川渓谷温泉(まつかわけいこく)/長野県上高井郡高山村奥山田/長野電鉄須坂駅からバス40分山田温泉下車、タクシー約5分

古くは武田信玄の隠し湯といわれ、江戸時代には湯治場として賑わいをみせていた。混浴の大野天岩風呂は、松川渓谷沿いにあり、紅葉の時期には人気。男女それぞれの内湯岩風呂もある。源泉は74℃と65℃の2本。昭和42年に復興した一軒の温泉宿。

滝の湯026(242)2212

□大塩温泉(おおしお)/長野県上田市西内大塩/JR長野新幹線上田駅からタクシー50分、上田駅から鹿教湯温泉行きバス1時間、大湯温泉下車

千曲川支流沿いに湧く丸子温泉郷がある。ここは鹿教湯温泉、大塩温泉、霊泉寺温泉の3つの湯治場が点在する。中でも大塩温泉は、武田信玄の家臣・大塩氏が発見、川中島で負傷した兵の治療に用いた信玄の隠し湯の伝説がある。

湯元旭館0268(45)3355

□加賀井温泉・松代温泉(かがい・まつしろ)/長野県長野市松代町東条/JR長野駅から松代行きバス、30分

武田信玄の信州最前線基地、海津城(松代城)のそば、川中島の合戦場にもっとも近い。傷ついた武田軍の治療につかわれたとの言い伝えがある。源泉はナトリウム・カルシウム塩化物泉で41度とぬるめ。混浴の露天風呂と男女別の内湯がある。一陽館は日帰り入浴のみ。

加賀井温泉・一陽館026(278)2016/松代温泉・国民宿舎松代荘026(278)2596

□蓼科温泉(たてしな)/長野県茅野市北山/JR中央線茅野駅からバス40分

その昔、坂上田村麻呂によって発見されたという「蓼科温泉郷」だが、古来から傷や火傷に効能があるという。武田信玄が軍馬の傷を癒す「薬湯」として利用したとの言い伝えがある。酸性含硫黄ナトリウム塩化物硫酸塩温泉は、神経痛、筋肉痛、関節痛に効く。現代では、高原のリゾートとして人気だ。

蓼科温泉共同浴場0266(67)2100/

□奥蓼科温泉(おくたてしな)/長野県茅野市奥蓼科温泉/JR中央線茅野駅からタクシー30分、バス奥蓼科行き50分辰野館前下車

宿は「信玄の薬湯 渋・辰野館」という。奥蓼科温泉郷にある。武田信玄が、上杉謙信との合戦のため、八ヶ岳の南麓から奥蓼科を通る軍用道路、《信玄棒道》をつくっている折、伝えきいた薬湯の効能に驚き、傷病兵を治療のため湯治させた。それ以後「信玄の薬湯」と呼ばれるようになった。泉質は単純酸性ナトリウム硫酸塩泉。

21度の冷泉で、昔は焚き火で暖をとりながら入浴したそうだ。(現在は加温)創傷はもとより、胃腸病、リューマチ、皮膚炎に効く。

奥蓼科温泉郷 渋・辰野館0266(67)2128

□唐沢鉱泉(からさわ)/長野県茅野市湖東/JR中央線茅野駅から送迎バス(要予約)40分

奥蓼科温泉と同様、武田信玄ゆかりの隠し湯といわれる。源泉は10度と冷たいが加温してある。泉質は二酸化炭素冷鉱泉。標高1870mの八ヶ岳・天狗岳の中腹に位置する「日本の秘湯」である。冬期は積雪のため、1月後半から4月初旬まで休業。

唐沢鉱泉0266(76)2525

□渋温泉(しぶ)/長野県下高井郡山ノ内町渋温泉/長野電鉄湯田中駅から車で5分

今から1300年ほど前、奈良時代に僧行基によって開湯したという。戦国時代には武田信玄の隠し湯となり、「温泉神社」は信玄の寄進により開山。川中島の合戦の折には傷ついた兵士の療養の場所となった。外湯九湯めぐりが人気だが、番外薬湯として「信玄カマ風呂」という、温泉熱を利用した蒸し風呂(和式サウナ)が、温泉寺境内にある。効能はリュウマチ、冷え性、痛風など。

歴史の宿金具屋0269(33)3131

□小谷温泉(おたり)/長野県北安曇郡小谷村小谷温泉/JR大糸線小谷からバス35分

新潟に近い標高850mに位置する。武田信玄の武将・岡田甚一郎が、弘治元年(1555年)、第二次川中島合戦の年に発見。「現夢の湯」と称され、湯治場として親しまれてきた。泉質はナトリウム炭酸水素塩温泉、泉温は58度。効能は打ち身、骨折、神経痛、火傷など。

あつ湯元熱泉荘0261(85)1241/山田旅館0261(85)1221

□毒沢鉱泉(どくさわ)/長野県諏訪郡下諏訪町社/JR中央線下諏訪駅から車で10分

永禄年間(1558~1570年)、武田信玄が近くで金鉱発掘の際にケガ人の治療に利用した「信玄の隠し湯」と伝えられている。「毒の沢」と呼んで人を寄せつけないように信玄自らが名付けたそうだ。神経痛、筋肉痛、五十肩、運動麻痺などに効能が高く、昭和初期までここで湧出した鉱泉水が売薬許可を受け、販売されていた。泉質は鉄分を含むアルミニウム硫黄塩冷鉱泉、温度は2度。

(旅館)神乃湯0266(27)5526

□小渋湖温泉(こしぶこ)/長野県上伊那郡中川村小渋/JR飯田線伊那大島駅からバス大鹿行き20分

元亀3年(1572年)に武田信玄から開湯許可を与えられ、湯治場として知られていた四徳鉱泉を、現在の高台へ引湯した小渋湖温泉で、現在も武田信玄の湯屋開設許可書が今も大切に保管されている。【「温泉の旅 信玄の隠し湯」から転載 】《武田信玄の隠し湯》は、史実として古文書など歴史資料で確認できる地区もあるが、隠し湯といった性格上、ほとんどが「言い伝え」や伝説の域を出ないものもある。したがって正確な数を把握するのは不可能に近い。そんな中で、長野県上伊那郡中川村の「小渋湖温泉(こしぶこおんせん)」について、村役場に問合せたところ、商工観光課の方から大変、親切に資料の提供をいただいた。 「小渋湖温泉」は、飯田から車で45分の標高730mの山里にある小さな温泉。以前は「四徳温泉」と呼ばれていた。古文書によれば、元亀3年(1572年)伊那谷で山仕事をしていた村人が沢に水を飲みに降りたところ、硫黄の匂いのする湧き水を発見。その地に祠(ほこら)をつくって湯の権現様を祀った。天正元年(1573年)、この山一帯の所有者、諏訪因幡守・湯沢多門之助が、領主・武田信玄宛に「開湯願書」を提出。吟味の後、信玄は馬場美濃守信房(信春)の添え書き付きで、天正癸酉(1574年)2月、開湯許可を出している。 しかし「四徳温泉」は昭和36年(1961年)、中川村四徳地区を襲った未曾有の集中豪雨によって大被害を受け、消滅。その後、高台へ四徳の湯を引き湯して、小渋湖温泉として復活した。(『四徳誌』昭和55年刊、中川村役場商工観光課提供) 胃腸病、皮膚病、冷え性などに効果がある。秘境で山菜、川魚料理、秋には松茸料理も有名だ。単純鉱泉。

小渋湖温泉0265(88)2352

□南沢鉱泉(みなみさわ)/長野県伊那市伊那平沢/JR飯田線伊那市駅からタクシー15分

中央アルプスの麓の山あい、木曾谷と伊那谷を結ぶ権兵衛街道沿いにある秘湯。伊那侵略の際に武田信玄が開いた隠し湯とも、武田家の金山開発時に発見された名湯であるともいわれる。武田家に関係の深い高遠城も近い。泉質は硫酸塩泉で、12~16度の鉱泉だが、湯上りに肌がすべすべになると評判。皮膚病、胃腸病、痔疾、神経痛、リュウマチ、火傷に効能あり。

南沢鉱泉0265(72)2823

□下條温泉(しもじょう)/長野県下伊那郡下條村睦沢/JR飯田線天竜峡駅からタクシー10分

アルプスの山々や伊那谷と天竜川を眺望する下條村に湧く温泉。単純硫黄泉で泉温は29度。効能は慢性皮膚病、切傷、糖尿病など。この地は、武田信玄の妹を妻に迎え、武田軍南進の折、「伊那先方衆」として武功をあげた下條九代目信氏の下條家に由来する土地。下條村に現存する「松源寺」は信玄が建立した寺で、寺宝には信玄の守り本尊・馬頭観音菩薩像があるそうだ。

秋桜(コスモス)の湯0260(27)3545日帰り温泉施設

□医泉寺温泉(いせんじ)/長野県伊那郡喬木村(たかぎむら)/JR飯田線飯田駅からタクシー20分

久寿元年(1154年)、村の薬師堂のそばから霊泉が湧き出て、この水で傷口を洗えばすぐ治り、この水で湯を沸かして入浴すれば病気が治ると評判になり、「医泉寺」と名づけられた。天文23年(1553年)武田軍の三河進出の時代、神の峯城を攻略した際、この湯で負傷兵の傷を癒したと伝わる。800年の歴史を残す「旅館小川乃湯」には、信玄が「天竜川の氾濫に注意せよ」と記した「信玄下知状」が残っている。

 泉温は17度、アルカリ泉。加温。切傷の治りが早く、湯冷めがしにくく身体が温まるそうだ。胃腸病、皮膚病、神経痛などに効能あり。

旅館小川乃湯0265(33)2061

□宝乃湯温泉(たからのゆ)/長野県飯田市下久堅下虎岩/JR飯田線伊那八幡駅から車で5分

神の峯城址や天竜峡に近い。ここも武田信玄の隠し湯と伝わる。泉質は弱アルカリ性炭酸水素ナトリウム塩泉の鉱泉。泉温20度。加温。効能は神経痛、リューマチ、切傷、肩こりなど。

鉱泉旅館宝乃湯0265(29)8017

□鹿塩温泉(かしお)/長野県下伊那郡大鹿村鹿塩/JR飯田線伊那大島駅より大鹿行きバス60分、鹿塩下車徒歩10分

標高750m、南アルプスの麓にある。 伊那谷で最も古い温泉。塩分を含んだ強食塩泉で以前は岩塩の採掘が行われていたところ。近くには、天文二十二年(1553年)、伊那谷全域を統一した武田信玄が、遠州・三河攻略のための軍用路とした「秋葉街道」が走っている。武田軍も大事な塩の調達や兵の休息に温泉につかったとの説がある。

旅館 湯元山塩館0265(39)1010

□矢坪温泉(やつぼ)/長野県上田市真田町傍陽(そえひ)8926/JR長野新幹線上田駅から行くらしい

「信玄の隠し湯」といわれるが、現在は旅館(矢坪館)廃業。

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□白骨温泉(しらほね)/長野県松本市安曇白骨温泉/JR中央線松本駅から直行バスで約2時間 「三日入れば三年風邪をひかない」がキャッチフレーズ。岐阜県境、乗鞍岳の麓(標高1,300m~1,500m)の谷にある温泉。武田信玄が近くの大樋銀山(おおび)開発に伴い、鉱夫たちの傷病や疲労回復に利用したといわれる。大樋鉱山は鉛、金、銀などが産出され、これらの物資は、信濃と飛騨を結ぶ「鎌倉往還」(飛騨街道)経由で運ばれた。泉質は単純硫化水素泉。泉温39.5~43.5度。一部加温。効能は胃腸病、婦人病、肝臓病、神経痛、呼吸器疾患など。歴史ある名湯だけに昨今の入浴剤問題は、まことに残念。 湯元斎藤旅館0263(93)2311

※隠し湯と呼ばれる宿は、一軒宿が多く、旅行会社では予約・手配ができないことがあります。

(写真画像:上は「武田信玄」阿智村長岳寺蔵,中は高野山成慶院蔵、下は甲府駅前)

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