« 長野県 諏訪湖へ行ってきました | トップページ | 武田信玄に出会う 《諏訪法性の兜》と八重垣姫 »

武田信玄に出会う 諏訪大社

武田信玄に出会う諏訪大社《風林火山 ロマン息づく 信州諏訪》

Photo_102  諏訪大社は「信濃国一之宮」として、日本最古の神社で格式も高い。

上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)に分かれてはいるが、併せてひとつである。

所在地は上社本宮/長野県諏訪市中洲宮山1、前宮/長野県茅野市宮川2030、

および下社 春宮/長野県諏訪郡下諏訪町大門193、秋宮/長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828となっている。 11_1

Shingengechijo_1

 

 武田信玄は、この「諏訪明神」(諏訪大社)を深く信仰し、戦(いくさ)のたびに戦勝祈願をしていた。しかも本陣には、《南無諏訪南宮法性上下大明神》と赤地に金泥で書かれた軍旗を用いていた。(なお、この軍旗は山梨県甲府市の武田神社宝物館と甲州市恵林寺宝物館で実物を展示している。風林火山の「孫子の旗」と同様に4m近いサイズだ)Photo_103

 さらに諏訪大社(上社)宝物殿には《信玄十一軸》と呼ばれる、「諏訪上下宮祭礼再興次第」、つまり信玄が出した指示書が、巻物で11巻も展示されている。

これは、戦乱の世で、しばらく中止になっていた諏訪大社の祭事(年間行事)などを大社の最高位の神職「大祝(おおほうり)」や神長官に命じて、細かく調査し、古式の伝統を復活(復興)させた下知状だ。

 展示されている巻物をみると、小さなお祭りから7年に1度の御柱祭に至るまで、配る餅の数量や盃、食器の数まで詳細に記されている。この通達が永禄

8年(1565年)から9年にかけて出された。

 上社の前に「諏訪市博物館」があり、2階の展示室に「大祝(おおほうり)」の説明があった。大邸宅の図面もあり、その権力の大きさに驚く。

『諏訪明神のよりしろ(=現人神あらひとがみ)として、諏訪社の頂点に位置していた役職で、上社大祝は、古代から江戸時代末に至るまで代々世襲され、「諏方家」または「神家」姓を名乗った。中世までは諏訪の領主として、基本的には同家で政治権力も握っていた。江戸時代に入り藩主諏訪家と大祝諏方家ができ、完全な政教分離がなされたが、明治時代を迎え、神官の世襲制度が廃止されるにより大祝職も廃止された。全国でも生き神様が存在し続けた神社は珍しいといわれる。』(諏訪市博物館解説、同博物館2階第1展示室)

(※写真は、たろべえこっそり撮影の諏訪大社宝物殿、内部の信玄十一軸で左/11巻の中身と解説文、右/10巻、軍旗は山梨の雲峰寺パンフレットより)

|

« 長野県 諏訪湖へ行ってきました | トップページ | 武田信玄に出会う 《諏訪法性の兜》と八重垣姫 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/13065714

この記事へのトラックバック一覧です: 武田信玄に出会う 諏訪大社:

« 長野県 諏訪湖へ行ってきました | トップページ | 武田信玄に出会う 《諏訪法性の兜》と八重垣姫 »