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《長岳寺》武田信玄終焉の地!?

《長岳寺》武田信玄終焉の地!?

 

元亀3年(1572年)5月、甲斐(山梨)、信濃(長野)、駿河(静岡)と上野

(群馬)の西部、遠江、三河(愛知)、美濃、飛騨(岐阜)を手中にした信玄のもとへ、将軍・足利義昭から書状が届いた。それは織田信長討伐の命であった。同年10月、北条氏の援軍を加えた約3万の大軍勢を率いて、武田信玄は西上作戦を開始する。

 武田軍の出陣は、信玄の発病により、3日遅れたが、「三方ヶ原」では圧倒的な強さをみせ、徳川・織田連合軍を粉砕。しかし信玄の病のため、甲斐へ帰還し、翌・天正元年(1573年)、三河野田城を攻略した帰途、4月12日信州駒場(長野県下伊那郡阿智村)の山中で没したといわれる。死因は肺患(はいかん:肺の病)とされる。持病の労咳(肺結核)、肺炎、あるいは胃がん、もしくは食道癌による病死説が有力だそうだ。享年53歳。Photo_118

 信玄を火葬にしたと伝わる寺が天台宗広拯山(こうじょうさん)《長岳寺》である。「武田信玄公終焉史跡」とする、長岳寺のパンフレットの説明を引用する。

■長岳寺 長野県下伊那郡阿智村駒場 TEL:0265(43)2967

※宝物拝観料:200

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 “長岳寺は、武田信玄公を火葬にした寺として由緒ある寺です。信玄公は野田城攻めの最中に肺患を得、病が重くなり三河から信州伊那を経ての帰途、元亀四年・天正元年四月十二日信州伊那の里、駒場の山中で落命されました。享年五十三歳。

 当山は、信玄公の義理の兄弟、下条家出身の六世裕教法印が住職を務めていました。その関係で信玄公の遺骸は、当山に運び入れられましたが、兵は影武者をたて、信玄公は生きているとし、古府中に帰りました。その後、当山を守っていた馬場美濃守、原備前、高坂弾正、下条伊豆守等の武将により、お骨にしてこっそり持ち帰られました。

 昭和四十九年四月、信玄公四百年祭の折、その火葬塚より火葬灰を当山境内に移し、信玄公の供養塔として山梨県の由緒の者等及び当地の有志により、十三重塔が建立されました。“

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 長岳寺には、信玄が使用していた兜の前立て2種類(鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付と大日の丸練革製朱塗)が保存されている。(写真は長岳寺パンフレットより)

Chougakujikabuto

 ところで昭和6年(1931年)5月29日、長野県佐久郡岩村田町(現佐久市)の曹洞宗大田山「龍雲寺」で境内にある古い墓から、武田信玄と思われる「遺骨」が発見された。(龍雲寺は永禄3年・1560年、信玄が北高禅師を迎えて再興した寺。信玄上洛の際、必勝祈願の千人法要をおこなったことで知られる)その際、遺骨と一緒に出土した「袈裟の環」には

【大檀越信玄公、干時天正元年4月12日於駒場卒、戦時為舎利納○北高和尚頂礼百拝】と記されていた。(意味は、龍雲寺の偉大な檀家の武田信玄公が戦さの折、亡くなったが火葬をしてお骨を、龍雲寺の僧・北高全祝禅師が手厚く葬った)これが、武田信玄終焉の地として「駒場の長岳寺説」の有力な根拠となっているそうだ。

 さらに龍雲寺には、現在、本堂横の信玄公霊廟に武田信玄の遺骨が納められている。(信玄の遺骸は、甲冑姿で諏訪湖に沈められた・・・はずだが)

■龍雲寺 長野県佐久市岩村田 TEL:0267(46)3632

 伝説と歴史のロマンを感じられる。なんだかワクワクしてくる。

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