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《山本勘助》に出会う 「山本勘助」平山優(講談社現代新書)書評

《山本勘助》に出会う 「山本勘助」平山優(講談社現代新書)書評

 おそらく現在出版されている「山本勘助」関連の一般向書物では至極の出来である。本の帯に“戦国最強、風林火山。その礎を築いた「軍師」が武田信玄に授けた哲学を初めて克明に再現する決定版!”とある。Photo_117

 いままでの先学達の山本勘助研究を丁寧にたどり、それでも『甲陽軍鑑』に拠り所を求め、丹念に調べている姿勢がみえる。おまけに『市川文書(市河文書)』に関する記述も詳細でわかりやすい。何より感心するのは、これまであまり紹介されていなかった「勘助」の兵法や城取り・縄張り(築城術)について、図解を交え、解説している点である。

 さらに『市川文書』については、その当時の武田方の情勢分析や市川藤若の時代的位置までも言及する。

 「市川文書」の発見の衝撃(序章)の項では、市川家の歴史的バックボーンを説明する。市川家の祖先は、信濃国高井郡市川谷(長野県飯山市)に勢力をもっていた国衆(豪族)であり、弘治2年(1556年)武田信玄の誘いに応じ、市川孫三郎が武田方にくだり、領地を拡大した。その後、家督を相続した、市川藤若は、第三次川中島合戦による長尾景虎(上杉謙信)の攻勢により、市川谷、野沢(野沢温泉三浦)などの木島平の領地を失う。しかしながら、武田方の支援のもと、なんとか領域を死守する。

 武田家滅亡後、上杉景勝に従属し、景勝の転封とともに会津に移住。関が原の戦いの敗北により、上杉家が東北、米沢に移されると、市川家も米沢藩士として江戸時代を過ごす。その後、明治維新の廃藩置県により、身分を失い、市川家は「屯田兵」として、北海道へ渡る。このような関係で釧路の市川家には、武田・上杉両家の古文書が保管されていた。(米沢の本間美術館には、市川文書が多数残されている)

 そんな中で昭和44年、「山本菅助」文書が発見された。上杉方の攻略に対し、市川藤若は(武田方の北の)最前線をなんとか守り抜いた。さもなければ、武田の領地は一気に川中島まで押し戻されてしまっていた。そんな状況下での書簡であった。重要な指示には、必ず「使者」がいた。文字通り、信玄の意図を正確に伝えるための、重要な使者が勘助であった。この本は、歴史を体系的に理解する意味でも、ぜひおすすめである。

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コメント

たろべえさん、ありがとう。
さっそく「山本勘助」講談社現代新書を読みました。なんとなく勘助が身近に感じられました。たぶんNHKの大河が始まったら間違いなくベストセラーになるでしょう。

投稿: 網走番外地 | 2006年12月28日 (木) 00時14分

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