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山本勘助に出会う《海津城》

山本勘助に出会う《海津城》

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 海津城(かいつじょう)は北信濃における武田軍の重要拠点であった。長野駅から松代行きのバスで、約30分。松代駅前で下車、徒歩5分だ。海津城は【松代城】と呼ばれている。

 武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築かせたといわれる。永禄年間当時は、千曲川が城の北側を流れ、関屋川、神田川の支流と共に外堀をなし、背後の三方を山に囲まれ、地形の利を生かした名城とされた。永禄4年(1561年)の第4次川中島合戦時には、信玄の本陣となった。

 『甲陽軍鑑』には、海津城築城のもようが、つぎのように記されている。

「天文22年8月、川中島(松代)にあった、信玄の家臣・清野清寿軒(信濃先方衆)の屋敷を召し上げ、山本勘助に縄張り(城の設計)を指示した」(甲陽軍鑑品第三十一)とある。築城年代には、諸説があり、天文22年(1553年)説、弘治2年(1556年)説、同3年(1557年)説、永禄3年(1560年)説などがある。

 さらに改築した「海津城」の工事期間について、天文22年8月1日から10月末までの約80日間との記述もある。(『甲陽軍伝解』)

 「海津城」は、長野電鉄「松代駅」の裏手にある。広々とした公園に、最近、復元された。江戸時代には松代藩の真田家の居城として栄えたが、武田信玄の時代には、石垣もなく、天守閣もない平城であった。(最近の発掘により、築城当初の本丸(主郭)は土塁と堀で囲まれていることがわかった。)確かに小高い「天守台」に登ると川中島や謙信が布陣した妻女山など、見晴らしがよい。

 この海津城のほか、山本勘助が関係した城といわれるのが、小諸城、高遠城、松本城であるらしい。(歴史的事実を証明する史料が乏しいそうだ)

 いずれにせよ、海津城から川中島合戦場は、すぐ目の前である。勘助の墓も近い。歴史の足音がきこえてくるようだ。

(※写真:もりたたろべえ撮影)

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※松代城(海津城)のパンフレット:クリックで拡大します。

長野市松代町では海津城の築城年代を1560年(永禄3年)説をとっているようです。

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