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2007年1月の10件の記事

《スープは食べるもの》ソバとラーメンはすするもの

 最近は、世界中ほとんどどこへ行っても日本料理レストランがある。とりわけ、ラーメン屋やうどん、ソバを扱う麺類の店もふえてきた。

たとえばパリのオペラ通り界隈の日本食、ラーメン屋さんが何軒もある。中には、東京や大阪の有名店の支店らしきものもある。お客は、日本人観光客や現地で働く日本人ビジネスマンが多いが、時として白人の姿を見かけることもしばしばである。

Soup  驚いたことに、彼らは、器用に箸を使い、麺を音も立てずに食べる。通常、われわれがズルズルと麺をすするという仕草は、とくにフランス人にとっては、この上なく下品なマナーになる。欧米では、汁物(スープ類)は食する時、絶対に音を立ててはならない。

スープは、スプーンのあたまの丸い受け皿部分を、そのまま口の中に押し込んで飲む。決して「すする」ことはしない。ラーメンの場合は、麺をレンゲの上にのせ、口に流し込んでいく。静かに耳をすませば、ズルズルではなく、パクパクと、かすかに麺類を噛む音はする。

 しかしどう考えてもラーメンやソバ、うどんは、ズルズルと食べ、どんぶりのスープは、ズズーっと飲み込んだ方がうまいに決まっている。

 ところで英語では、スープを飲むという表現は、Eat Soup(イート スープ)であって、Drink Soup(ドリンク スープ)ではない。スプーンや(ラーメン屋の)レンゲを口にくわえて音を出さないのは、 Eatの文化なのだ。まして小さい頃から家庭では、音を立てることはマナーとして最悪だと洗脳されているのだ。だからはじめて日本に来て、おそば屋さんに入った欧米人は、ズルズルに驚き、店中を不思議な軽蔑の目線で見回す。そこで案内した日本人が、自分でも麺をすすって、いやいや、これが日本の文化だと教えることになる。Photo_144

 だが待てよ、そうなると最近、自動販売機で売っている缶入り「ポタージュスープ」は、ゴクゴク飲んでいいものなのか。はたまた秋葉原で人気の「おでんの缶詰」の汁も静かに(飲む?)食べるものなのか。

そんなことで悩んでいると、お客さん、スープが冷めますよ。

(イラスト:たろべえ)

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《桃太郎》伝説 陰陽五行説だった

《桃太郎》伝説 これは《陰陽五行説》だった

 昔話、おとぎ話の『ももたろう』は、こんなストリーだ。Photo_143

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。川上から流れてきた大きな大きな桃を老夫婦は、やっとのことで家に特大な桃を持ち帰り、二つに割ってみると、中から元気そうに丸々と太った赤ん坊が出てきました。桃太郎と名づけられたこの子は、成長すると、村人たちが苦しめられている、鬼が島へ鬼退治に出かけることになりました。おばあさんは、桃太郎に「きびだんご」を持たせてくれました。

 桃太郎は途中、出会った「犬」、「猿」、「雉(きじ)」に、きびだんごを与え、その代わりに鬼退治に同行するように約束させました。鬼との一戦では、お供の3匹はそれぞれに活躍。雉は、まず空を飛び敵情視察(ものみ、斥候、偵察)をし、情報を桃太郎に伝えた。いよいよ鬼との対戦。雉は鬼の耳もとで、ケーンと鳴く。その音に驚いた鬼が、ひるんだ隙に、猿が鬼の目に向け、やわらかいきびだんごを投げつける。目が見えなくなった鬼に犬がガブリと噛みつく。こりゃあまいったと鬼は逃げ出して行く。

 (桃太郎は一体、何をしていたのだろうか。単なる指揮官だったのか。)

 桃太郎一行は、鬼から金銀財宝を取り上げ、村に持ち帰る。戦(いくさ)の褒美として、

3匹たちには、さらに「きびだんご」を与えた。(褒賞)それから、おじいさん、おばあさんと幸せに暮らしました、とさ。

 儒教的には、お供の3匹は「きびだんご」をもらった「恩」に報いるため、鬼と戦い、主人である桃太郎に対して見事に「忠誠心」を示した。

 さて、この桃太郎のお話、実は古代中国の戦国時代頃に発達した《陰陽五行説(おんみょうごぎょうせつ)》に由来するのだそうだ。2_10

 《陰陽五行説》とは、万物を陰と陽に分類し、森羅万象の構成要素(気)を木・火・土・金・水の5つが循環して変化するという考え方である。四季の変化、一日のうちの時刻の流れもこれに基づく。それぞれに対応する「色」、「果物」もある。

 方角(方位)も五行では、現在の干支(えと)(十二支)で分類されている。北の

子(ね)から丑(うし)、寅(とら)、東の卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、南の午(うま)、未(ひつじ)、西の申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)と続き、亥(い)は北だ。

 「陰陽道」では、「丑寅(うしとら):北東」の方角は、邪悪なもの、忌み嫌うものなど「鬼」が出入りする方角を《鬼門(きもん)》と呼ぶ。これに対して、対極にあるのが「裏鬼門」と呼び、「未申(ひつじさる):南西」で鬼の出入りを封じる方角である。

 つまり裏鬼門の線から時計回りで時系列が動くため、鬼を封じる(鬼退治)には、

この「金」の領域の果実「桃」太郎が、「申」「酉」「戌」を同行して、方位「西」へ行くことになる必然性がある。(季節は「秋」に違いない)

 ところで酉は鳥であって、決して鶏(ニワトリ)ではない。日本では平安時代にすでに雉が神への献上物、「神饌(しんせん):神様に供える酒食」として定められており、貴族にも食されていたため、酉は雉であったようだ。

 鬼門の対極を意識しなければ、「杏(あんず)太郎」がお供に、へび(巳)、うま(午)、ひつじ(未)を連れていったかもしれない。「栗太郎」がイノシシ、ネズミに牛を連れていたかもしれないし、「李(すもも)太郎」は、トラとウサギとたつ(龍)を子分にしていたかもしれない。やはり、桃太郎が一番強そうだ。

 それから『ももたろう』のお話は、岡山以外にも香川県、愛知県などにも伝わっているが、岡山県の吉備津神社に伝わる神話「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」の鬼退治の伝説が、この童話のルーツらしい。

 こんなに奥深いとは驚いた。おそるべし「桃太郎」。(画像は社団法人岡山観光連盟、ももっち)

 

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岡山で桃太郎に出会う 《岡山駅前の桃太郎》

岡山で桃太郎に出会う 《岡山駅前の桃太郎》

 何年か前のゴールデン・ウィークの話。「岡山・倉敷・瀬戸内海2泊3日ツアー」で30名ほどのお客様が集まった。しかし手配のミスで、東京からの新幹線の座席が「団体席」ではなく、号車もバラバラで個札(個人キップ)でしか確保できないことがあった。

 東京駅の集合場所で、お客様に案内する。

『・・・まことに申し訳ございませんが、新幹線のお座席は、グループごとに指定になっていますが、皆様が同じ車両ではありません。ゴールデン・ウィーク中でもあり、車内は満席です。岡山駅に着きましたら、桃太郎の前で再度、ご集合ください。新幹線から降りてた駅前広場にございます。』

 そこまではよかった。岡山駅に到着して、東口の桃太郎像に行くと、8名ほどお客様が来ていない。トイレでも寄っているのだろうと、高をくくっていたら、

30分しても集まらない。迎えに来ていた、バスガイドさんにきく。Photo_132

「桃太郎はここだけですよね?」

「もちろん、この東口広場の桃太郎像が有名ですけど、まだ、ほかにもありますよ。」

「えっ!? そういえば、東京駅で解散の時、岡山駅東口と明確には説明しなかった。」

 反対側の西口へ行く。ここには、「メルヘン時計」がある。桃太郎がいる。案の定、6名様発見。しかし、まだ4名足りない。Photo_133

そうこうしていると、添乗員用の携帯が鳴る。

「もしもし、添乗員のたろべえですが・・・ハイ?桃太郎像の前にいるけど、誰もいない?」

きいてみると、少し離れたシンフォニービルの「桃太郎像」であった。

 それどころではない。桃太郎大通りには、蛭田二郎作のももたろうが6つもあるそうだ。

 実に岡山駅周辺にたくさんの桃太郎。これでは鬼退治に遅刻である。

(岡山市役所提供:岡山駅東口「桃太郎像」昭和46年岡本錦朋作、岡山西ロータリークラブ10周年記念寄贈/岡山駅西口「メルヘン時計」平成元年市制100周年記念製作/「ももたろう像」蛭田二郎作)Photo_134

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《山本勘助》に出会う 山梨日日新聞社刊『山本勘助』書評

 最近、山梨日日新聞社から「勘助探求の決定版」と銘打った本『山本勘助』が出版された。山梨県内の限定発売?のため、さっそく同新聞社の出版局へ問合せをし、送っていただいた。Photo_131

本の帯には【第一線の武田氏研究者が史実を開明。山梨、静岡、愛知、長野・・・。伝承する人々の思いを取材。「謎の軍師」の実像に迫る。】とある。

主な内容は、第一章が「勘助を追う」と題し、山梨日日新聞の平成18年10月31日付から12月10日付連載コラムを載せてある。第二章の「勘助を継ぐ」は、月刊誌『ザやまなし』の18年1月号から11月号までの記事を加筆・編集してあり、付章では、「勘助を歩く(資料編)」となっている。

 とくに第二章では、山梨をはじめ、山本勘助ゆかりの地を丹念に現地取材して、わかりやすくまとめている点は、見逃せない。写真も豊富で読みやすい。

歴史、ことにある人物に焦点を当てて、その人を語る場合、古文書などの文献に、まずあたり、次に実際にその人物の生い立ちや生涯でしるした足跡を調べることは不可欠ではないだろうか。その地へ行くと、書物では決して見えなかった「風景」やその人物を育てあげた「風土」に触れることができるように思う。いわば机上の学問ではなく、生きた思想に出会う。

 ちなみにこの本の表紙の写真は、山梨県甲州市塩山三日市場・小屋敷の「勘助不動」である。おそらく、現在に伝わる「山本勘助」のイメージやキャラクターそして勘助関連の伝承は、江戸時代の甲陽軍鑑版木本、数々の軍記物そして歌舞伎と人形浄瑠璃によって、つくれたものである。しかし、400年以上もの間、人々の心に面々と生き続けるのも「謎の軍師・山本勘助」だ。それだけ庶民を魅了し続けている。近年では、小説、映画、テレビドラマも同じ流れである。これだけ考えてみても、価値ある人物に間違いない。ぜひ、おすすめの1冊である。

    山梨日日新聞社刊『山本勘助』平成18年12月31日初版第1刷発行

    電話055-231-3105

    1,333円(税別

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《山本勘助》に出会う 三河牛久保の長谷寺《摩利支天》

《山本勘助》に出会う 三河牛久保の長谷寺《摩利支天》

 Photo_125 三河(愛知県)の豊川、牛久保の長谷寺(ちょうこくじ)へ行った。山本勘助ゆかりの寺である。勘助の遺髪塚(五輪塔)があり、勘助の持ち物であった、

《摩利支天:まりしてん》像を安置する。長谷寺は長谷観音をまつる。真言宗であったが、現在は浄土宗に改宗されている。

 山本勘助は、(地元説では)明応9年(1500年)、三河の国八名郡賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)で出生、15歳で牛窪(愛知県豊川市牛久保町)の大林勘左衛門貞次の養子となった。25歳で武者修行のため、諸国漫遊の旅に出る。35歳で牛久保に帰ったが、事情があり、再び旅に出た。

 言い伝えでは、勘助が諸国行脚の折、高野山に登り武芸の上達を祈願すること七昼夜、満願の夜に霊験により、弘法大師・空海が夢枕にお立ちになり、小さな木像を授けた。それが《摩利支天》であった。

 Photo_128 《摩利支天》は、元はインドの風神であり、マリシ(マリーチ)はサンスクリット語で、陽炎(かげろう)の意とされている。「陽炎」を神格化したもので、日の光の下でゆらゆらと存在する陽炎は、実体がないことから、「傷つかない」といった連想で、護身、隠身、得財等を司る神様をいう。戦国時代には、この摩利支天は、多くの武士の守護神として、信仰を集めていた。加賀の前田利家なども信仰心から摩利支天に傾注し、兜の中に小さな摩利支天像を入れていたという。(今風にいえばお守りだ。梵字では1字で、摩利支天をあらわすのは、「マ」と読む字である)

 「摩利支菩薩陀羅尼経」には、摩利支天を念じながら『オン マリシエイ ソワカ』を唱えれば、陽炎のように、「人から見られず、捕まらず、危害を加えられることもなく、財産を盗まれることもなく、罰せられもせず、ご加護をいただける」そうである。 L10marishiten

長谷寺に安置されている《摩利支天》像は、勘助が肩身はなさず持ち歩いていたもので、実は一寸三分(約5.5cm)の小さなものだ。4頭の猪に乗り、三面六臂(さんめんろっぴ:顔が3つで手が6本)のつくりである。三つの顔は、正面が「菩薩」で頭に宝塔を乗せ、左面は忿怒(ふんぬ:怒った表情)の顔、右面は童女のやさしい顔といわれる。摩利支天の背中の飾りは、光背(こうはい)といい、火焔(かえん)をつけた蓮弁形である。(火焔輪光背)御光(ごこう)が射すという意味で強い存在感を表している。

長谷寺では、厨子に安置されている勘助の「摩利支天像を拝み、信ずる者は、災難を逃れ、かつ武芸に心する者は、深く祈願すれば剣術早業の奥義を究(きわ)め、将来に名を残すこと疑いなしといわれる。」『長谷寺摩利支天像記』より(長谷寺では、毎週土日の9時から16時まで特別に公開中である)

また、勘助がこの寺の住職・念宗和尚(ねんしゅう)と交流があったことから、この摩利支天を預け、大切に拝んでもらうように託したそうだ。

これに対し、川中島で討死した勘助を悼み、念宗和尚は、(勘助は剃髪して道鬼となるが)生前に預かっていた髪の毛を「遺髪塚」として五輪塔を建て、厚く供養をしたのだった。美談。Vfsh0009

(写真はたろべえ撮影、摩利支天像は山梨日日新聞社刊『山本勘助』から転載)

長谷寺は、JR飯田線「牛久保駅」から徒歩10~15分。車の場合は、寺の横に駐車場があるが、大型観光バスは、駐車スペースがない。往来の交通も激しいため、団体の場合は、路上で停車して、お客様を降ろし、バスは回送して迎えに来るのがよい。

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《山本勘助》に出会う 三河賀茂の《本願寺》続編

 山本勘助に出会う旅は、愛知県豊橋へ行ってきた。三河の国賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)は、勘助生誕の地として、駿河の国富士宮山本(静岡県富士宮市)と並んで、有力な場所だ。残念ながら、NHKの大河ドラマでは、駿河を勘助の出生地として取り上げていたが、あくまでも「伝・山本勘助出生地」であった。(勘助研究で著名な上野晴朗先生も駿河説と三河賀茂説を有力としながらも結論はつけていない)Vfsh0024

 賀茂の《本願寺》へ行く。医王山本願寺は、元は天台の寺院であったようで、その後、永平寺系列の曹洞宗になり、豊川稲荷として、由緒ある「豊川妙厳寺」の末寺となった。

 お伺いした日は、たまたま、前日の大河ドラマで勘助が、諸国行脚の末、養父母の住む三河牛久保に戻るシーンが放映された翌日であった。その中で生まれ故郷の「駿河の国富士宮山本」を回想するくだりがあった。勘助はドラマでは、12歳の時、親類筋の三河牛久保、大林家の養子となり、牛久保の地で約8年間住み、諸国歴訪の旅に出る。約15年間の歴遊後、養父母の元へ戻る。

 養父は牛久保城主・牧野家の家臣で大林勘左衛門貞次という。勘助が歴遊中に、大林家に実子が誕生し、勘助自ら、養子縁組を破棄し、再び旅にでる、設定になっている。Vfsh0017

 さて、《本願寺》の辻ご住職は、ご不在であったが、本堂では奥様がご親切に説明をしてくださった。おまけに陶人形師・追平陶吉の「山本勘助像」の実物も拝見。高さが50cm位の迫力あるものだ。また、地元の山本家に伝わる位牌も特別に見せていただいたが、「天徳院武山道鬼大居士」という、勘助の戒名も確認できた。勘助の父(天正3年?没)と母(天正8年?没)の戒名も刻まれた古いものだ。

 また、寺の裏手には、勘助の両親の墓と伝わる墓石があった。かなり年代を経過したもので、奥の山本家のものは、表面が磨耗して墓碑が判読できない。両親の没年はいずれも天正年間だ。その手前の山本家のものは、おそらく後年のものだろうか、一族の墓碑銘に勘助の戒名(道鬼)が読み取れた。(本家と分家の関係だろうか、この2種類の墓は、上野先生が『山本勘助・新人物往来社』の中で、山本正次家と山本喜彦家について、詳細に解説されている)

 さらに奥様に近くの山本勘助生誕地へ案内していただいた。このあたりは、手裏剣のようにとがった槙(まき)の生垣に囲まれた、農家が集落をなしている。見渡すと柿の畑だ。(次郎柿が名産とのこと)

 勘助生家跡に建つ碑は、「山本晴幸生誕地 愛知県」と記されている。裏には大正4年建立(大正天皇の即位記念の大典)とある。「晴幸」は、勘助が主君・武田晴信(信玄)から授かった「晴」を使った別名である。

 賀茂村は、静かな里の風情を伝えている。大河ドラマには悪いが、この地が勘助の誕生の地であってほしいと思った。それにしても勘助の生まれは、1500年と伝わる。いまから500年以上前の話だ。(写真は許可を得て、たろべえ撮影)

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高野山の宿坊《櫻池院》に泊ろう!!

 高野山は、標高900mに広がる町だ。弘法大師(空海)が開いた真言密教の修行道場であり、真言宗の総本山である。その歴史は、実に1,200年以上。

平成16年7月、高野山は『紀伊山地の霊場と参詣道』として、世界遺産に登録された。(和歌山、奈良、三重の三県にまたがる。熊野古道も含む)

実際に行ってみると、かなりの山の上だ。盆地につくられた高野山の町には、総本山「金剛峯寺」をはじめ、壇上伽藍やたくさんの寺院が立ち並び、織田信長や豊臣秀吉など、多くの墓地が、うっそうと杉の樹の茂る奥の院にある。小学校、中学校に高野山大学もある、大きな町が築かれている。

とくに四国八十八ヵ所の巡礼を終えたお遍路さんたちの結願での参詣など、訪ねる人は多い。まさに「聖地」である。心が洗われる思いがする。Youchiin_outlook

そんな高野山に、大学のゼミの学生を連れて泊ったことがある。ここには、50軒以上の「宿坊」(寺院)があるが、中でも由緒のある宿坊が《櫻池院》

(桜池院:ようちいん)だ。仁平3年(1153年)白河天皇第四皇子の覚法親王がこの寺院で亡くなり、その院号の「養智院(ようちいん)」に由来して名づけられた。その後、正嘉2年(1258年)、後嵯峨院が訪ねた折、庭前の池のほとりの桜を御覧になって、桜の木の間から、漏れる月の光に輝く池の水面の美しさに感動し、 

「桜咲く 木の間もれくる月影に 心も澄める庭の池水」 

と、詠んだ和歌により、院号を「櫻池院(桜池院)」と改めたそうだ。 

阿弥陀如来を御本尊としておまつりしてある。さらに櫻池院は、高野山内でも、指折りの「学侶の寺(仏教を志す僧が学ぶ寺)」として続き、その歴史を伝える古文書や寺宝が、多数、残されている。

さて櫻池院の部屋数は24室と大広間があり、個人は60名、団体なら80名が泊れる。高野山の宿坊は20~30室程度の規模が多いが、200名から300名でも宿泊できる宿坊もある。もちろん、1泊2食付きである。大浴場(中浴場)もある。楽しみは、やはり食事だが、「精進料理」が中心。有名な「高野豆腐」もいいが、「胡麻(ごま)豆腐」もなかなかおいしい。要するに肉を使わない料理なのでヘルシーだ。肉食を禁じた厳しい戒律の中で、工夫を凝らして、素材の持ち味を生かした料理である。ボリュームも満点だ。

おまけに「般若湯(はんにゃとう)」つまり、飲むと般若のように変貌する「酒」や「麦般若(むぎ・はんにゃ)」の「ビール」も飲める。Photo_124

なかなかユニークなのは、仲居さんや番頭さんの代わりに、坊主頭の若い修行僧が、部屋へ案内してくれたり、料理を運んだり、部屋の布団をひいてくれたりする。しかもチェックインは15時、チェックアウトは10時と決まっている。

私は、まだまだ寒い3月に泊ったが、ボーイさんのような修行僧が、個室を炬燵(コタツ)とストーブで暖めて準備してくれていたのには、感激した。しかも早朝のお勤め(強制ではないが、朝食前、希望者が本堂でお経を詠む)前には、沸かした湯を洗面器に張って用意してくれていたので、顔を洗うのも快適だった。さらに(外国のお客様も多いらしく)清潔な洋式トイレだったのには、またまた驚いた。修行のひとつなのか、宿坊の庭、玄関、部屋と隅々まで掃除が行き届いていて気持ちがよい。近いうちに、また行きたい宿坊だ。

(写真は櫻池院さん提供)

        宿坊 櫻池院(ようちいん)

和歌山県伊都郡高野町高野山293(南海電鉄高野線「難波駅」から特急で1時間20分「極楽橋

駅」下車、ケーブル5分「高野山駅」下車後、バス15~20分)

        TEL:0736(56)2003  1泊2食税込みで10,000円位から

        メール:yochiin@kf6.so-net.ne.jp

        http://www007.upp.so-net.ne.jp/yochiin/stay/yoyaku.html

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山本勘助に出会う《豊橋市賀茂 本願寺》

 NHK大河ドラマ「風林火山」が始まった。とってもかっこいい勘助だと思うし、原作にはない話を創作するドラマはおもしろい。

残念ながら山本勘助の肖像画は、江戸時代に描かれた『武田二十四将』の中の勘助で、すべて後世の画家の作品しか残っていない。一番有名なものは、明治初期の日本画・歴史肖像画の大家、松本楓湖(まつもとふうこ)の作で恵林寺宝物館にある。(現在出版されている書物に、多く使用されている)このブログでも紹介している。Photo_122 (恵林寺宝物館)

 松本楓湖1840~1923)は、近代および現代日本画の巨匠といわれ、茨城県出身、帝国美術院会員。名は敬忠、楓湖は号、別号に安雅堂。武田二十四将を描いた中の一点だが、構図と色彩がすばらしい。

一方、新しい作品だが、「豊橋観光コンベンション協会」のパンフレットの山本勘助は、実に印象的だ。強いインパクトの「勘助像」は陶器製で、最近話題の陶人形師・《追平陶吉1940~》の作である。あくまでも想像の産物だが、こんな勘助がいても不思議はない。Photo_123

追平陶吉は、戦国武将の陶人形を多数手掛け、どれも特徴的で個性的な作品だ。愛知県豊橋市の本願寺に奉納されている。 (豊橋観光コンベンション協会提供)

山梨県の甲府で開幕される「甲斐の国・風林火山博」のデザインをしたのが、切り絵作家の「百鬼丸」だ。斬新な力強い勘助をつくった。人間の想像力ってすごいと思う。(もともと井上靖の作品もほとんどがフィクションなのだけれど)

Photo_129 (百鬼丸作、由布姫・勘助・信玄/旅行会社のパンフレット表紙より/提供:甲斐の国・風林火山博)

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アジアのホテルでの出来事 《頼んでみなけりゃわからない》

 インドネシアの首都・ジャカルタの一流ホテル。いまからざっと20年前の話。

グループを連れての添乗である。チェック・イン時、ホテルから渡されたルーミングリスト(部屋割)を3枚コピーしてほしいと頼んだ。フロントマンは妙に不安な顔をして、しばらくお待ちくださいといって、裏の事務所に消えた。

 10分、15分待つ。「コピーを2、3枚とるのにいったい何分かかるんだ?」とうとう、20分だ。心配になってオフィースを覗いて驚いた。

 なんと、ホテルマンが2人がかりで、ルーミングリストを一生懸命、手で書き写している。「私はコピーを依頼したんだけど・・・」

 英語では、コピーのことをphotocopy(フォトコピー)という。文字どおり、写真複写の意味で、決して書き写すことではない。はじめは自分の頼み方が悪かったのかと思い、もう一度photocopyと言ってみた。

 フロントマネジャーいわく、photocopyは4階のセールス・オフィースに1台しかないので、使うたびに上司の許可を得なければならない。故障や紙不足ですぐにコピーできないことも多い。だから「書き写す」方がはやいのです。_edited_8

 そういえば、昔は添乗員の「七つ道具」に《カーボン紙》があったと、先輩にきいたことがある。なるほど、ルーミング・リストならカーボンを入れて、自分で記入した方がはやい。

 結局、30分かかって3枚の「丁寧な」コピーは出来上がってきた。

 同じような話が、中国の桂林のホテルでもあった。おかゆの朝食後、コーヒーが飲みたくなって、ロビーのコーヒーショップで注文した。ウエイトレスが何やらカウンターの下で作業をしている。心配になって覗いて驚いた。Photo_120 

 なんとなんと、インスタントのネスカフェのビンからスプーンでコーヒーの粉をすくって、大きなポット(魔法瓶)からお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜている。インスタント・コーヒーの味だ。まさか、ホテルで飲むことになろうとは。頼んでみなけりゃ、まったくわからない。

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命の水《クリスタルガイザー》 たかがミネラル・ウォーター!?

命の水《クリスタルガイザー》 たかがミネラル・ウォーター!?

 ハワイに単身赴任をしていた頃、12月のホノルルマラソンが終わり、クリスマスから年末年始と、まさにお客様はひっきりなしで休む暇もなく働いていた。

 ある日、どうも体の節々(ふしぶし)が痛く、やけに熱っぽい。起きられない。体温を測る。39度を超えている。疲れが溜まったせいかな、風邪でもひいたかな、と軽く考えて、熱冷ましのアスピリンを飲み、事務所へ出かけた。

 お昼近くになっても熱は、上がるばかりで、体がポッポとしてきた。これはまずいなと思って、すぐ近くの「ドクター・オン・コール」(日本人観光客相手の診療所で当時は、ワイキキのアウトリガーにあった)へ飛んで行く。日常生活に苦労しないくらいに英語をしゃべっていても、医学用語は「熱がある」、「ここが痛い」、「風邪気味だ」程度しかわからないので、通訳をつけてもらった。ちなみに診察料も薬代もすべて会社で加入している「医療保険」のカードを提示すれば無料。

 白人の若い医者に診てもらう。熱の原因がわからない。咳や鼻水は出ない。アゴの下のリンパ線が腫れている。これは何かウイルス性かもしれない。とにかく2、3日家で寝ていろという。そして出された薬が、3㎝のカプセル。これを毎日5粒も飲めという。この薬はなんですか、ときくと日系人の通訳の女性が(たぶん意味がわからないのか)英語でAntibiotic(アンチビオティックス)と答えるだけだ。3日分。

 さっそく手元の携帯用コンサイス英和辞典を見ると、「抗生物質」とある。確かに抗菌作用はあるだろうけど、日本なら1日1錠がいいところ。こんなにたくさんカプセルを飲んだら、かえって危ないと思った。だいたい白人やロコ(現地人)の人とは体格も違う。(もちろん1日1錠で2錠だけ飲んだ)

 まるまる2日寝ていた。起きられない。食事も作れないし、食べるとすぐに戻してしまう。水が一番おいしかった。それも「クリスタルガイザー」だ。

一人住まいだったが、冷蔵庫には、缶ビールとジュースとクリスタルガイザーが山ほど入れてあったので助かった。水に飽きると、沸かして日本茶をガブガブ飲んだ。そのせいか、3日目には、不思議と熱が下がり、スープを飲めるようになり、次第に「おかゆ」も食べることができた。まさに命の水だ。

 ハワイ産の「おいしい水」も売っているけれど、1本99セントの安さは魅力で、味よりも飲みやすさとその値段で、いつも「クリスタルガイザー」だった。

 調べてみると、アメリカのウエスト・コースト、カリフォルニア州北部のマウント・シャスタ(Mt.Shasta4317m)の麓から湧き出る水だそうだ。

 いまだに高熱の原因はわからない。それにしても「ヤブ白人医者め、抗生物質だか何か知らないけれど、あんなにカプセルを飲んだらきっと昏睡(こんすい)状態だったに違いない」

 だからいまでも「クリスタルガイザー」が好きだ。

※詳しくは、ホームページ参照。Download_wp05

http://www.crystalgeyser.jp/product.html

(成分)

エネルギー/タンパク質/脂質/炭水化物  0

ナトリウム 1.13mg

カルシウム  0.64mg

マグネシウム 0.54mg

カリウム 0.18mg

 

クリスタルガイザーには、マグネシウムやカルシウムなどと同じミネラルの

一種で、今注目されているバナジウムが含まれています。(ホームページ)

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