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《山本勘助》に出会う 三河牛久保の長谷寺《摩利支天》

《山本勘助》に出会う 三河牛久保の長谷寺《摩利支天》

 Photo_125 三河(愛知県)の豊川、牛久保の長谷寺(ちょうこくじ)へ行った。山本勘助ゆかりの寺である。勘助の遺髪塚(五輪塔)があり、勘助の持ち物であった、

《摩利支天:まりしてん》像を安置する。長谷寺は長谷観音をまつる。真言宗であったが、現在は浄土宗に改宗されている。

 山本勘助は、(地元説では)明応9年(1500年)、三河の国八名郡賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)で出生、15歳で牛窪(愛知県豊川市牛久保町)の大林勘左衛門貞次の養子となった。25歳で武者修行のため、諸国漫遊の旅に出る。35歳で牛久保に帰ったが、事情があり、再び旅に出た。

 言い伝えでは、勘助が諸国行脚の折、高野山に登り武芸の上達を祈願すること七昼夜、満願の夜に霊験により、弘法大師・空海が夢枕にお立ちになり、小さな木像を授けた。それが《摩利支天》であった。

 Photo_128 《摩利支天》は、元はインドの風神であり、マリシ(マリーチ)はサンスクリット語で、陽炎(かげろう)の意とされている。「陽炎」を神格化したもので、日の光の下でゆらゆらと存在する陽炎は、実体がないことから、「傷つかない」といった連想で、護身、隠身、得財等を司る神様をいう。戦国時代には、この摩利支天は、多くの武士の守護神として、信仰を集めていた。加賀の前田利家なども信仰心から摩利支天に傾注し、兜の中に小さな摩利支天像を入れていたという。(今風にいえばお守りだ。梵字では1字で、摩利支天をあらわすのは、「マ」と読む字である)

 「摩利支菩薩陀羅尼経」には、摩利支天を念じながら『オン マリシエイ ソワカ』を唱えれば、陽炎のように、「人から見られず、捕まらず、危害を加えられることもなく、財産を盗まれることもなく、罰せられもせず、ご加護をいただける」そうである。 L10marishiten

長谷寺に安置されている《摩利支天》像は、勘助が肩身はなさず持ち歩いていたもので、実は一寸三分(約5.5cm)の小さなものだ。4頭の猪に乗り、三面六臂(さんめんろっぴ:顔が3つで手が6本)のつくりである。三つの顔は、正面が「菩薩」で頭に宝塔を乗せ、左面は忿怒(ふんぬ:怒った表情)の顔、右面は童女のやさしい顔といわれる。摩利支天の背中の飾りは、光背(こうはい)といい、火焔(かえん)をつけた蓮弁形である。(火焔輪光背)御光(ごこう)が射すという意味で強い存在感を表している。

長谷寺では、厨子に安置されている勘助の「摩利支天像を拝み、信ずる者は、災難を逃れ、かつ武芸に心する者は、深く祈願すれば剣術早業の奥義を究(きわ)め、将来に名を残すこと疑いなしといわれる。」『長谷寺摩利支天像記』より(長谷寺では、毎週土日の9時から16時まで特別に公開中である)

また、勘助がこの寺の住職・念宗和尚(ねんしゅう)と交流があったことから、この摩利支天を預け、大切に拝んでもらうように託したそうだ。

これに対し、川中島で討死した勘助を悼み、念宗和尚は、(勘助は剃髪して道鬼となるが)生前に預かっていた髪の毛を「遺髪塚」として五輪塔を建て、厚く供養をしたのだった。美談。Vfsh0009

(写真はたろべえ撮影、摩利支天像は山梨日日新聞社刊『山本勘助』から転載)

長谷寺は、JR飯田線「牛久保駅」から徒歩10~15分。車の場合は、寺の横に駐車場があるが、大型観光バスは、駐車スペースがない。往来の交通も激しいため、団体の場合は、路上で停車して、お客様を降ろし、バスは回送して迎えに来るのがよい。

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コメント

たろべえさん
実はNHKの風林火山をみていて「まりしてん」が気になっていました。勘助が首からつるしていたのでお守りだろうなとは思っていましたが、こんなに深い意味があるとは知りませんでした。勘助が旅に出るとき、恋人のおミツに「まりしてん」を黙って置いていくシーンも印象的でした。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2007年1月18日 (木) 23時43分


山本勘助の旅、面白そうですね。僕は歴史は全然詳しくないので、ブログ読むだけで勉強になりそうです。
お寺などには仕事で行かれてるのですか?プライベートですか?

投稿: -TAKESHI- | 2007年1月18日 (木) 23時53分

通りすがりの旅人さん
 コメント拝見しました。「摩利支天」は大河ドラマの中でも、山本勘助の重要な小道具のようです。これからの展開が楽しみですね。

TAKESHIさん
 コメントありがとうございました。
実は旅行会社で国内商品の企画をやっている関係で日本各地へ行きます。いまは「風林火山」関連のパンフレットをつくっていますので、この間の三河は「豊橋観光コンベンション協会」さんや三谷温泉、西浦温泉の方々と打合せでした。

 旅行商品は、現地に何度か入らないと、作れません。今回は、その合間を利用して、お寺さんにも行きました。だから「仕事」がらみです。TAKESHIさんのブログは、きれいですね。写真もいいし、レイアウトもよくできているし、うらやましいです。今後共よろしくお願いします。

 

投稿: もりたたろべえ | 2007年1月19日 (金) 12時05分

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