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《山本勘助》に出会う 三河賀茂の《本願寺》続編

 山本勘助に出会う旅は、愛知県豊橋へ行ってきた。三河の国賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)は、勘助生誕の地として、駿河の国富士宮山本(静岡県富士宮市)と並んで、有力な場所だ。残念ながら、NHKの大河ドラマでは、駿河を勘助の出生地として取り上げていたが、あくまでも「伝・山本勘助出生地」であった。(勘助研究で著名な上野晴朗先生も駿河説と三河賀茂説を有力としながらも結論はつけていない)Vfsh0024

 賀茂の《本願寺》へ行く。医王山本願寺は、元は天台の寺院であったようで、その後、永平寺系列の曹洞宗になり、豊川稲荷として、由緒ある「豊川妙厳寺」の末寺となった。

 お伺いした日は、たまたま、前日の大河ドラマで勘助が、諸国行脚の末、養父母の住む三河牛久保に戻るシーンが放映された翌日であった。その中で生まれ故郷の「駿河の国富士宮山本」を回想するくだりがあった。勘助はドラマでは、12歳の時、親類筋の三河牛久保、大林家の養子となり、牛久保の地で約8年間住み、諸国歴訪の旅に出る。約15年間の歴遊後、養父母の元へ戻る。

 養父は牛久保城主・牧野家の家臣で大林勘左衛門貞次という。勘助が歴遊中に、大林家に実子が誕生し、勘助自ら、養子縁組を破棄し、再び旅にでる、設定になっている。Vfsh0017

 さて、《本願寺》の辻ご住職は、ご不在であったが、本堂では奥様がご親切に説明をしてくださった。おまけに陶人形師・追平陶吉の「山本勘助像」の実物も拝見。高さが50cm位の迫力あるものだ。また、地元の山本家に伝わる位牌も特別に見せていただいたが、「天徳院武山道鬼大居士」という、勘助の戒名も確認できた。勘助の父(天正3年?没)と母(天正8年?没)の戒名も刻まれた古いものだ。

 また、寺の裏手には、勘助の両親の墓と伝わる墓石があった。かなり年代を経過したもので、奥の山本家のものは、表面が磨耗して墓碑が判読できない。両親の没年はいずれも天正年間だ。その手前の山本家のものは、おそらく後年のものだろうか、一族の墓碑銘に勘助の戒名(道鬼)が読み取れた。(本家と分家の関係だろうか、この2種類の墓は、上野先生が『山本勘助・新人物往来社』の中で、山本正次家と山本喜彦家について、詳細に解説されている)

 さらに奥様に近くの山本勘助生誕地へ案内していただいた。このあたりは、手裏剣のようにとがった槙(まき)の生垣に囲まれた、農家が集落をなしている。見渡すと柿の畑だ。(次郎柿が名産とのこと)

 勘助生家跡に建つ碑は、「山本晴幸生誕地 愛知県」と記されている。裏には大正4年建立(大正天皇の即位記念の大典)とある。「晴幸」は、勘助が主君・武田晴信(信玄)から授かった「晴」を使った別名である。

 賀茂村は、静かな里の風情を伝えている。大河ドラマには悪いが、この地が勘助の誕生の地であってほしいと思った。それにしても勘助の生まれは、1500年と伝わる。いまから500年以上前の話だ。(写真は許可を得て、たろべえ撮影)

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