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閑話休題《星野君の二塁打》

《星野君の二塁打》

 はるか昔のことで、記憶が定かではないが、中学一年の時、「道徳」の授業があった。ある時、「星野君の二塁打」という教材があった。

 うろ覚えだが、1アウト、ランナー1・2塁。打順は星野君。監督のサインは送りバントだ。それまで2打席、まったくいいところがなかった星野君は、なんとかいいところを見せたいと思っていた。ちょうど打ちごろの絶好球がきた。星野君は、思わず強打した。2ベースヒット。味方のランナーは、2塁から生還。この1点で星野君のチームは試合に勝った。

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 だが、ベンチで監督は、星野君を呼び、たまたま試合には勝ったが、バントのサインを無視したことから次の試合のスタメンをはずすことを厳命した。

 これは「道徳教育」という教えの中では、「集団の中の個人の役割」とか「集団の存在意義」とか「集団のルール」などという視点から、指導・教育の教材だ。

 教師の模範的な答は、「監督の指示をみんなが、もし守らなかったら、どうだろう。個人個人が好き勝手にやったら、集団生活は成り立たない。各自が自覚と責任をもって自分の役割を果たす。チームプレーが必要だ。たまたま試合に勝っただけのことであって、星野君の監督のサインを無視したプレーは、許されることではありません。」

 監督の指示である「バント」は、まさに自己を犠牲にして、集団であるチームの勝利に貢献するための方法だ。送りバントをして、アウトを一つふやしても、ランナーを3塁に送り、次のチャンスのヒットで本塁に迎え入れる作戦。しかし、実際にバントが成功して、次打者がタイムリーヒットを打つかどうかはわからない。

 野球を経験したことがある人なら、このスポーツは「結果論」だということは明白だ。とにかく試合に勝てばよい。いい試合だった、あともう一歩だった、ついていなかった、といったところで、負けは負けである。(フェアプレーはもちろんだが)

 だから星野君が、思わず打ってしまっても、彼の一打で、試合に勝ったわけだから、(野球というスポーツは、結果で)評価されるスポーツのはずである。

 まさかいまでも同じような教材は使っていないだろうけれども、あまりよい教材ではないと思う。(イラスト:たろべえ)

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コメント

星野君の二塁打は、現在も教材にあります。
確かに「野球」を題材にすると、結果論で議論されがちです。授業ではこどもたちに押し付けるのではなく、星野君のとった行動は、集団生活のなかでどうだろうか、集団が発展していく中で阻害要因にはならないか、等々を考えさせ、意見を述べさせる場だと思います。
 監督の指示命令に従うことが、ここではルールです。だからたとえ、ヒットを打って試合に勝つことよりも、重要視されるのです。

投稿: 道徳教育の研究者 | 2007年2月12日 (月) 20時32分

現役の教員の方でしょうか、
コメントをいただきました。

 星野君の2塁打がいまでも教科書にのっているということでしょうか、驚きです。

集団生活のルールを教える目的に、はたして適当な教材なのでしょうか、疑問ですが、先生方がこの話の中で、たくさん現実的なフォローをしていただけるのであれば、よいと思います。

投稿: もりたたろべえ | 2007年2月12日 (月) 23時17分

いやいや、教材というものは、教師の力量によってよくもなり、悪くもなるもんでございます。まあ、教師というのは、ガキの頃から日の当たる場所をずっと歩いてきた連中が多いから、この手の話をやれ「集団の中の自分」とかいうところにもっていきたがる傾向が強いようです。そのうさんくささをどれだけの子どもが感じているか。
私が授業をするなら、道徳授業のそれも含めて、いろいろな意見を(できれば外国の人にも読んでもらってコメントをもらえればなおグッド)見せて、同じ話でも、人はそれぞれいろいろな感じ方や考え方をするんだ、というような展開にしたいと思います。
個人的には、自分がどうプレーしたいかという思いより、監督の命令が優先するという発想の根源は、ずばりスポーツのルーツである「よき兵士の育成」というところにあると考えていますが。

投稿: 教師もどき | 2007年9月25日 (火) 01時38分

教師もどきさん

大変貴重なご意見をいただき感謝しております。もどきさんのおっしゃるように「人はそれぞれ様々な感じ方や考え方」があってしかるべきです。

 この星野君の行動を、どうとらえるか、正解などないと思います。

また「よき兵士の育成」という表現、確かに部隊の構成員として、命令に忠実で、上官の命は絶対でなければなりません。たぶん
甲子園の常連校の野球部は、監督や先輩、上級生という、タテ社会が確立されていて、多分に軍隊式であろうかと思います。私は、それらを否定するつもりはありませんが、強制するのは、どうかと思います。

投稿: もりたたろべえ | 2007年9月25日 (火) 18時38分

「よき兵士の育成」というのは事実をそのまま申し上げたにすぎません。
軍隊式で、弱いものを踏みにじりながら「勝利」のみを希求するような特殊な団体が内輪で何をしても、私はあれこれ言うつもりはありませんが、困るのは、ともすれば彼らがそれを一般化しがちなこと、ありていに言えば、自分たちと違う業種の人に自分たちの偏頗で野蛮なやり方を押しつける言辞を弄することです。
平和と民主主義、人権をこよなく愛する普通人として、そのようなことに対して、断固としてNO!と意思表示していくつもりです。

投稿: 教師もどき | 2007年9月26日 (水) 23時57分

教師もどきさん

再びコメントをいただき、ありがとうございます。いまでも「星野君の二塁打」は道徳の教材で使われている現実・・・。先生方には、ただただ、バランス感覚をもって教えていただきたいと願います。

 特殊な集団の中での「常識」は、世間一般の良識ある社会では「非常識」にもなるということを、先生方に一言付け加えていただければ、別段文句はありません。

 人間として大事なこと、それはブレないことだと思います。世の中が変なふうに展開しないように、微力ですが、機会があればこのブログで確固たる意思表示をしていきたいと考えています。

投稿: もりたたろべえ | 2007年9月27日 (木) 23時55分

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