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《熊野古道を歩くその2・日本の旅行業のルーツは熊野詣》

 熊野古道は「世界遺産」に登録されている。詳しくは、「紀伊山地の霊場と参詣道」といい、和歌山・三重・奈良の三県にまたがっている。紀伊半島(紀伊山地)のけわしい自然の中に成立した山岳霊場と参詣道、そして周囲を取り巻く山や森林、河川、温泉などの「文化的景観」が評価され、2004年に登録された。(和歌山県企画部計画局地域振興課作成のリーフレット参照)

 もとは山伏や修験者たちの修行の場であり、山岳宗教のメッカであった熊野だが、平安時代以後、神仏習合あるいは本地垂迹(ほんちすいじゃく)思想の潮流の中、熊野三山の本宮は阿弥陀仏(極楽浄土・西方浄土)、新宮は薬師如来(東方瑠璃浄土)、那智は千手観音(観音菩薩の住む補陀落ふだらく浄土)と考えられた。平安から鎌倉、室町時代には、(天皇を引退した)上皇や(出家した上皇の)法皇をはじめ、貴族たちや、庶民にいたるまで、熊野に詣でることが、病や世の不安を逃れ、浄土を目指す流行になった。

 15世紀後半には、熊野詣は最盛期を迎えたそうだ。京の都から熊野往復は、22日間から一ヶ月近くかかった。けわしい山道には、案内人(先達せんだつ)が必要だった。熊野に詣でる団体も多かったに違いない。そこには、「旦那」と呼ばれる「主催者」がいて、現地に同行するエスコート(添乗員)の「先達」がいた。受入側は「御師(おし)」と呼ばれる熊野の社寺の住職がいて、宿坊として宿や料理の提供などを生業(なりわい)としていた。いまの旅館業のはしりである。熊野には、温泉もある。食材は海のものも山のものもある。

 しかも御師は、営業権のような既得権益をもっており、晩年には、その権利を売り買いしたようだ。大勢の参詣客を受け入れるためには、旦那・先達・御師の旅行の手配ルートが確立していた。

 また、この熊野参詣ツアーには、全国に散っていた、女性営業マンがいた。《熊野比丘尼びくに》という。熊野比丘尼たちは、各大社の公認セールスマンとして、全国津々浦々でお客を集める。熊野権現参詣のご利益を説明するため、(密教でいう宇宙観、世界観を絵に描いた)「熊野観心十界曼荼羅」と、実際に参詣する現地の風景を案内する

「那智参詣曼荼羅」をセットで持ち歩き、熊野三山へのお参りをすすめた。

 同時にその年(新年)に熊野で発行された《熊野午王宝印くまのごおうほういん》を売って回り、庶民から寄付(お布施)を集め、本山へ奉納した。午王は、お守りや証文(起請文の用紙に使う権威あるもの)として、売られた。(なお熊野午王は、現在でも三社で手に入る。1枚500円。)

 この比丘尼の所属した寺が、新宮に残っている。妙心寺という。速玉大社に近いが、いまでは廃寺になっていて寂しい限りだ。16世紀には、国民的なツアーであった熊野詣も交通網の整備等の点で、「伊勢詣」が人気となり、衰退していく。熊野比丘尼たちも生活の術を失い、近世には、井原西鶴の『好色一代女』に出てくるように、場合によっては遊女に身を落としていった。現代でも優秀な女性の添乗員や営業ウーマンはたくさんいる。だがたまに、水商売に転職していく人もいる。

(那智勝浦町観光協会提供のチラシ:クリックで拡大)

Kumano

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コメント

熊野比丘尼を御紹介頂き有難うございました。和歌山県の観光情報誌に、比丘尼の事がのっていましたので、投稿致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
熊野比丘尼はキャンペーンガール。熊野の神々が全国へ

 室町時代になると、庶民の熊野参詣がブームになり、人々が切れ目なく歩くさまが、「蟻の熊野詣で」と呼ばれた。庶民の経済力が上がり、宿泊施設の整備も進んだらしい。
 熊野三山協議会(会長・新宮市長)の調査では、全国に熊野神社は三千百三十五社が確認されている。他の神社に合祀されたり、お社だけというケースも含めると、全国に五千社ということになる。
 上皇や貴族から熊野に寄進された荘園に熊野の神々が祀られ、地方の豪族も勧請したが、やはり庶民の熊野信仰が後押しした。熊野のキャンペーンガールとも言える熊野比丘尼(出家した女性)が全国を歩いて熊野信仰を広めた。関東、東北や九州に熊野神社が多く、熊野詣でに行けない庶民の信仰を集めたのだろう。
 あなたの町にも熊野神社があるのでは・・・。(再発見「高野・熊野」紀野博、和歌山県広報室『和―nagomi』より)

投稿: わかやまなごみ | 2007年10月17日 (水) 09時41分

わかやまなごみ様

「熊野比丘尼」の記事、ありがとうございました。日本全国にこんなにたくさん「熊野神社」があるのも比丘尼さんのおかげですね。

また、遊びに来てください。

投稿: もりたたろべえ | 2007年10月17日 (水) 22時17分

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