« 日本海外交流史《大黒屋光太夫》 | トップページ | 《大黒屋光太夫》「紅茶の日」を検証する »

日本海外交流史《大黒屋光太夫》その2《女帝エカテリーナ》

 当時のロシアは、女帝エカテリーナ2世が統治していた。都はペテルブルグ(サンクト・ペテルブルグ)であった。大黒屋光太夫は、日本への帰国許可を願い出るため、オホーツクからイルクーツク、そしてペテルブルグに至るシベリアの大雪原を、片道、約8800kmの距離を往復した。その苦難に満ちた行程については、井上靖や吉村昭の小説に譲るが、光太夫の物語の中で、やはりもっとも感銘を与えるのは、当時のロシアを治めていた《女帝エカテリーナ》との出会いである。Photo_172

『おろしや国酔夢譚』(おろしやこくすいむたん、井上靖)によれば、光太夫は博物学者であり、ロシア・アカデミー会員であったキリル・ラクスマンの尽力により、女帝に直訴して故郷への帰国の許しを乞うため、都へ向かった。やがて、女帝が避暑を過ごすための夏の宮殿(エカテリーナ宮殿)にて謁見(えっけん)がかなう。光太夫のそれまでの身の上をきくと、エカテリーナは、いつくしみ、同情する。Vfsh0368_1

 その後、光太夫は帰国を承認されるが、その背景には、ロシアの日本に対する通商条約締結を優位に運ばせる政策が根幹にあったようだ。いずれにせよ、女帝は、王宮にもどり、記念のタバコ盆を下賜するため、再び彼らを呼ぶ。この日は寛政3年(1791年)

ロシア暦で10月20日であった。ひとしきり、記念品の授与式がおこなわれた後、光太夫とラクスマンは、宮殿内でのお茶会に招待されたようだ。

 このロシア暦で10月20日が西暦では、11月1日になる。日本人として初めて本格的な《紅茶》を飲んだ、という逸話から、日本紅茶協会が「11月1日」を「紅茶の日」に決めたそうだ。(参考:日東紅茶)

http://www.nittoh-tea.co.jp/knowledge/knowledge07.html

※写真:エカテリーナ宮殿、エカテリナ2世(サンクトペテルブルグ国立ロシア美術館蔵1782年)、大黒屋光太夫【左】(早稲田大学図書館蔵)

(日東紅茶、「紅茶の日」から引用)

ペテルブルクを離れる直前の1791年11月1日、光太夫はエカテリーナ2世のお茶会に招かれ、日本人として初めて、本格的な欧風紅茶(ティー・ウィズ・ミルク)を楽しんだといわれています。このことから、日本紅茶協会は、この日を日本における「紅茶の日」と定めました。

決して帰国をあきらめず、仲間を導きシベリアを横断した奮闘ぶりと、ロシアにおける功績を考えれば、皇帝のお茶会に招かれたというエピソードもごく自然なことに思われます。ロシア滞在中想像もつかない苦難を味わった光太夫も、エカテリーナ2世をはじめとするロシアの人々の温かい心に触れ、優雅な宮廷の一室でおいしい紅茶とお菓子を楽しんだひとときは、きっとおだやかな気持ちに満ちていたことでしょう。


11月1日には、そんなエピソードに思いをはせながら紅茶をいれてみませんか? とっておきの茶葉とティーセット、もちろんお菓子も忘れずに。きっと、“ティータイムがある幸せ”を感じられることでしょう。

Koutayu_1

 

 

|

« 日本海外交流史《大黒屋光太夫》 | トップページ | 《大黒屋光太夫》「紅茶の日」を検証する »

にっぽん海外交流史」カテゴリの記事

コメント

たろべえさん

「大黒屋光太夫」の元本『北槎聞略』ほくさぶんりゃく(岩波文庫)で調べてみましたが、大黒屋光太夫がティーパーティーに招待されたと言う記述は、見つかりませんでした。どうも日本紅茶協会の「紅茶の日」と言うのは、真偽の程があきらかではありませんね。

投稿: 漂流民ゴンザレス | 2007年5月28日 (月) 18時39分

漂流民ゴンザレスさん

「紅茶の日」のご指摘、ありがとうございます。私も実は、調べていましたので、この点につきましては、発表させていただきます。
(でも歴史学者ではないので、詳細に文献にあたることはできませんが)

 ブログとはいえ、真剣に読んでいただいて感謝しています。

投稿: もりたたろべえ | 2007年5月28日 (月) 22時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/15180201

この記事へのトラックバック一覧です: 日本海外交流史《大黒屋光太夫》その2《女帝エカテリーナ》:

« 日本海外交流史《大黒屋光太夫》 | トップページ | 《大黒屋光太夫》「紅茶の日」を検証する »