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《大黒屋光太夫》「紅茶の日」を検証する

 日本紅茶協会が11月1日(ロシア暦10月20日)を「紅茶の日」に制定したことは、このブログに書いた。大黒屋光太夫が、当時のロシアの女帝・エカテリーナ2世により、日本への帰国が許可され、しかも宮殿で茶会に招かれ、日本人として初めて本格的なティーパーティーに出席したことから、この日を「紅茶の日」に決めたというエピソードがある。実際にはどうだったのだろうか。

■まず、江戸時代に幕府へ献上された『北槎聞略』(ほくさぶんりゃく:桂川甫周著、岩波文庫)での10月20日の箇所。(巻之三)

十月二十日宮中にめされ女王より親手(てずから)鼻烟盒(かぎたばこいれ)を給う

10月20日、宮中に召され、エカテリーナ2世から嗅ぎタバコ盆を手渡しで賜った)

■つぎに大御所・井上靖『おろしや国酔夢譚』(おろしやこくすいむたん:徳間文庫)。

 十月二十日に、光太夫は宮中に召され、ラックスマン付添いのもとに参内(さんだい)した。極(ご)く短い拝謁であったが、女帝は手ずから嗅ぎ煙草入れを光太夫に賜り、

「海路つつがなく帰国するように」というお言葉を下された。光太夫はお礼の言葉を申し上げて、すぐ御前を退出した。

※もちろんセリフは、井上靖の創作だろうが、実に自然で無理がない。

■続いて『大黒屋光太夫 帝政ロシア漂流の物語』(山下恒夫著、岩波新書879「第6章帝都サンクト・ペテルブルグ」)より。

 十月二十日、エカテリーナ二世からのお召しがあり、光太夫はキリール・ラクスマンと共に、ネヴァ河の南岸に建つ冬宮へ伺候(しこう)した。光太夫は、なぜか王宮については多くを語っていない。鮮緑石の孔雀石で飾られた孔雀の間など、贅を尽くした宮殿内の偉容に息を呑み、言葉をなくしたのかもしれない。

 玉座に身をおかれた女帝は、心なしか沈んだ表情にみえた。光太夫は、帰国がかなえられた至福を一途にお礼申しあげた。恙(つつが)なく帰国せよ------------そう告げると、女帝はほほ笑まれた。光太夫の掌の上には、宝石箱のように美しい嗅ぎ煙草入れがあった。それはたったいま、

女帝が手ずから渡してくださった別離の記念の品だった。日本にないものを所望せよと仰せられたことがあり、光太夫はその品を挙げた。女帝は忘れずに覚えておられたのだ。この日が光太夫にとって、エカテリーナ二世の慈顔を拝する最後の機会となった。

※山下恒夫は、作家ではなく、研究者であるが、大変あたたかい、心がこもった描写になっている。しかし、お茶会の話は出てこない。

■歴史学者の木崎良平の『光太夫とラクスマン 幕末日露交渉史の一側面』(刀水書房、3章光太夫たちの帰国の背景、P62)には、つぎのように記述されている。

 (略)10月20日、光太夫は再び宮中に召され、女帝から鼻烟盒(かぎたばこいれ)を給わり、

慰労の言葉をかけられた。もっとも、このあたりの日付については史料により異同があり、正確なところは分らない。

※歴史学者は、クールにものを見て冷静に描写するもの。

■やはり、吉村昭『大黒屋光太夫』にその記述があった。(新潮文庫、下巻「女帝」)

 (略)

10月20日、女帝エカテリナから参内せよという使者が来て、光太夫はキリロと正装をしてともに馬車で宮殿にむかった。

 (略)宮殿に入ると、広間に外務大臣代行と商務大臣が待っていて、二人に導かれて大理石の幅の広い階段をあがり、広間に入った。(略)やがて侍従、侍女を従えた女帝が広間に入ってきて、装飾をほどこした大きな椅子に腰をおろした。光太夫は、深く頭をさげた。

 進み出た商務大臣が、女帝の帰国を許可する旨の言葉を光太夫に伝えると、光太夫は慈悲深い女帝の御恩を一生忘れぬ、と奏上した。女帝はにこやかにうなずき、光太夫は再び頭を下げた。

(その後、女帝から煙草入れをいただく。略)

 女帝はおもむろに腰をあげ、侍従、侍女を従えて静かに出ていった。

 光太夫は、商務大臣、外務大臣代行、キリロとともに退出し、別室に導かれて、そこで茶を供された。

 大変、引用が長くなってしまったが、「紅茶の日」は吉村昭先生の本によるものであったようだ。ともかく、大作家・井上靖も吉村昭も鬼籍に入ってしまっているので、とやかくいうのも野暮である。この辺でお茶を濁すとしよう。

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コメント

たりべえさん

やはり「紅茶の日」の根拠は、小説からですね。たとえ大黒屋光太夫が、日本人として最初にティーパーティーに参加したとしても、ロシアの紅茶は「ルシアンティー」でジャムが入っているものなのでしょうか?それとも英国風のミルクティーなのでしょうか?

 たろべえさんにお茶をにごされてしまったのでわかりませんね。どっちでもいいですけど。

投稿: 漂流民ゴン | 2007年5月30日 (水) 19時28分

漂流民さん

コメントありがとうございます。
日東紅茶さんによると、本格的なミルクティーを飲んだそうです。はっきりはわかりません。

 ジャムの入った「ルシアン・ティー」は、おそらくもっとあとの時代だと思います。

投稿: もりたたろべえ | 2007年5月31日 (木) 09時24分

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