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日本海外交流史《大黒屋光太夫》

 昭和43年(1968年)、井上靖は『おろしや国酔夢譚』(おろしやこくすいむたん)を発表。1991年には主演・緒方拳により、映画化された。  

1782年、船頭大黒屋光太夫(だいこくや・こうだゆう)ら17人の男と、廻米(まわりまい)・木綿等を積んだ神昌丸(しんしょうまる)は、伊勢から江戸へ向かった。狂騰(きょうとう)する波涛(はとう)に弄(もてあそ)ばれ、八ヵ月後、彼らが流れ着いたのは、北の果て、アムチトカ島だった。望郷の思いに、ひたすら故国への途(みち)を求め、彼らは極寒のロシアを転々とし、終(つい)にはペテルブルクへ。出帆から、十年近い歳月が流れていた----------。鎖国の世、異国へ渡った男たちのロマン溢れる冒険譚。大映映画化。(井上靖『おろしや国酔夢譚』徳間文庫1991年刊より)

 大黒屋光太夫については、以前から興味があったため、今回読み直してみた。さらに同じ題材を扱った『大黒屋光太夫』(吉村昭、新潮文庫上下巻、平成17年刊)を読む。  

天明2年(1782)、伊勢白子浦を出帆した回米船・神昌丸は遠州灘で暴風雨に遭遇、舵を失い、七ヵ月後にアリューシャンの小島に漂着した。沖船頭・光太夫ら十七人の一行は、飢えと寒さに次々と倒れる。ロシア政府の意向で呼び寄せられたシベリアのイルクーツクでは、生存者はわずかに五人。熱い望郷の思いと、帰国への不屈の遺志を貫いて、女帝エカテリナに帰国を請願するが-----。(上巻)  光太夫は、ペテルブルクへの苦難の旅路をへて、女帝エカテリナに謁見(えっけん)。日本との通商を求めるロシアの政策転換で、帰国への道も開かれた。改宗した二人を除く光太夫、磯吉、小市は、使節ラクスマンに伴われて、十年ぶりの帰還を果たすが、小市は途中、蝦夷地で病に倒れる。------鎖国日本から広大なロシアの地に漂泊した光太夫らの足跡を、新史料を駆使して活写する漂流記小説の最高峰。(下巻)(吉村昭『大黒屋光太夫』新潮文庫2005年刊より)  

  大黒屋光太夫のたどった道のりは、これらの小説に書かれているとおり、史実である。 1782年、神昌丸で伊勢を出航した時は17名、10年後の1792年蝦夷(北海道)に戻ってきた時は、わずかに光太夫と磯吉の2名。(もう一人小市は上陸後死亡)壮絶な10年。  しかし、井上靖が『おろしや国酔夢譚』を著した頃は、残念なことに一部の史料が発見されていなかった。井上は、江戸幕府の命によって、蘭学者・桂川甫周(かつらがわ・ほしゅう)が光太夫らから当時のロシア事情を聞き書きしてまとめた『北槎聞略(ほっさぶんりゃく)』をおもな史料として、この作品を書き上げた。残念なことに、酔夢譚の中で「光太夫と磯吉は、江戸に幽閉されており、故郷を訪れることはなかった」と断言してしまった。大黒屋光太夫は、ロシアを体験して苦難の末、帰国したが、鎖国政策をとっていた江戸幕府により、監禁生活を余儀なくされた、という悲劇の主人公のような視点であった。  

ところが1986年、古文書が発見され、光太夫の出身地(三重県鈴鹿市若松)で、日本に帰国してから10年後、故郷に帰り、まだ存命であった母親と再会することができたことが証明された。(磯吉は帰国6年後、里帰りが許され、母親と会うことができた。) ※彼らの出身地・三重県鈴鹿市若松の大黒屋光太夫記念館では、光太夫が母親と再会したことを示す古文書を展示。一方、『大黒屋光太夫史料集』全四巻(2003年日本評論社刊)を編纂した山下恒夫氏の岩波新書では、享和2年(1802年)4月22日から6月3日まで故郷に滞在し、光太夫は、血族でわずかに残っていた甥二人と親類一人の3人に会ったと記されている。(母親や兄弟、姉たちや妻は、すでに亡くなっていたようだ)  

もし、井上靖が原作を書く時分に、光太夫と磯吉がふるさとに一時的にも帰ることができた、このエピソードを知っていれば、もっとクライマックスが盛り上がったものだったに違いない。(参考:山下恒夫著『大黒屋光太夫』岩波新書、2004年刊)

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コメント

はじめまして、大学生のゴンザレスです。
日本の近世史を学んでいます。いつもたろべえさんのブログを楽しみに見ています。

このブログで、おろしあ国酔夢譚という映画あると知ったので、TSUTAYAでDVDをさがしましたが、見当たりませんでした。どなたか、ビデオでもいいので存在を知りませんか?なんだか壮大なドラマのような気がします。

投稿: 漂流民ゴンザレス | 2007年5月22日 (火) 23時55分

漂流民さん

 近世史専攻の大学生の方がブログを見ていただいているとは、うれしい限りです。
コメントありがとうございました。

 それからDVDは出ています。ネットで調べてみてください。

それにしても大学生のときは、なんでもできますよ。いっそ、ロシア、サンクトペテルブルグに行ってみたらどうですか。私はまだ行ったことがありません。

投稿: もりたたろべえ | 2007年5月23日 (水) 22時38分

たろべえさん

この映画、NHKのBSだったか(?)で見ました(録画はしていませんが・・)。緒方拳さんの演技は、大黒屋光太夫が乗り移ったかのようにすばらしかったです。意志の強いところが似ているのでしょうか?

映画の結末は、ほんとうに気の毒でした。でも、実際は故郷へ帰っていたのですね。よかった!

たろべえさんのおっしゃるとおり、最後が変わっていたら感動的だったでしょうね。

投稿: Cojico | 2007年5月24日 (木) 23時15分

Cojicoさん

大黒屋光太夫の映画、実は見たことがありません。こも前、コメントをいただいたゴンザレスさんと同じです。
 DVDが出ているので、捜してみます。

投稿: もりたたろべえ | 2007年5月25日 (金) 00時30分

たろべえさん、付けたしです。

記憶が薄れているので、結末は違うかもしれません。
最後のほうは、暗い牢獄の格子ごしに光太夫の横顔が見えていた部分だけが強い印象として残っています。

”鎖国をしていたとはいえ、あんな苦労をして戻ったのに、ひどい”というその場で感じた思いも残っています。

でも、その次に故郷に戻った笑顔があったのかもしれませんね。
DVDを見て確かめてください。

投稿: Cojico | 2007年5月25日 (金) 08時59分

Cojicoさん

ありがとうございます。
なんとかネットでDVDをみつけ、購入手続きしました。楽しみです。

 でも、故郷に錦を飾る場面や10年ぶりに肉親に再会すえるシーンがないのは、もの足りないかもしれませんね。

投稿: もりたたろべえ | 2007年5月25日 (金) 23時34分

最後は故郷に帰る事が出来たってこのサイトで初めて知りました。
改めて映画を撮り直して欲しいと思いました。

投稿: ション万次郎 | 2008年9月19日 (金) 00時58分

ション万次郎さん コメントありがとうございます。

 確かに大黒屋光太夫のDVD(映画)では、幕府に捕らえられ罪人扱いで竹篭に入れられ、移送される場面で終わっています。史実に反しています。

 いずれテレビドラマで光太夫を取り上げることもあるでしょう。その時は、新説に従って、故郷に帰る場面、母親の墓にひざまずいて涙する主人公の姿が、ラストシーンになると思います。

投稿: もりたたろべえ | 2008年9月19日 (金) 22時30分

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