« 《海を渡った幕末の曲芸団(高野広八の米欧漫遊記)》 | トップページ | 《海を渡った幕末のプリンス》徳川昭武の滞在ホテル »

海を渡った幕末の徳川プリンス《徳川昭武》

 徳川時代の最後を飾る、第15代将軍は徳川慶喜である。慶喜の16歳下の弟(異母弟)に徳川昭武がいた。幕末、パリ万博に将軍・慶喜の名代として海を渡った徳川のプリンスである。万博開催後はヨーロッパ各国を親善大使として巡歴した。その後は慶喜の意向もあり、近代国家建設の目的で、フランスの近代的な学問や文化を学ぶために、パリで留学に入る。しかし歴史の流れは残酷そのものであった。

徳川昭武(とくがわあきたけ:1853~1910)

最後の水戸藩主。徳川斉昭(なりあき)の18男で、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の実弟。幼名は松平余八麻呂(よはちまろ)。母は側室の万里小路睦子(までのこうじちかこ)。元治元年(1864年)正月、上京し、同年7月の禁門の変では、兄一橋慶喜とともに御所を守った。

慶応2年(1866年)12月、清水徳川家を継承して、翌3年(1867年)のパリ万国博に将軍名代として参加(13歳)。ヨーロッパ各国を巡歴し、フランス皇帝はじめ各国元首と会見する。その後、パリで留学生活をおくるが明治維新により帰国。最後の水戸藩主となるが、明治16年(1883年)、29歳にして水戸徳川家当主の座を退き、千葉県松戸に隠居。明治43年(1910年)58歳で病死。

この「プリンス昭武」に興味をもった。わずかに残る、数えで14歳頃の写真。弱々しい感じさえするが、伝統的な装束で撮影した姿は、なかなか、かくしゃくたるものだ。しばらくは、このプリンスのヨーロッパ旅行のもようを調べてみたいと思う。(左:衣冠束帯の写真は1867年パリで、右:1866年京都で撮影)

(参考:『徳川昭武―松戸に住んだ幻の将軍』松戸市観光協会発行、『松戸市戸定歴史館』パンフレット、『プリンス昭武の欧州旅行―慶応3年パリ万博使節』宮永孝著山川出版社)

※戸定(とじょう)歴史館の所在地は千葉県松戸市松戸714-1(TEL:047-362-2050)

昭武の邸宅であったが、歴史公園・歴史館として公開されている。

Img_1 Img_0001

|

« 《海を渡った幕末の曲芸団(高野広八の米欧漫遊記)》 | トップページ | 《海を渡った幕末のプリンス》徳川昭武の滞在ホテル »

にっぽん海外交流史」カテゴリの記事

コメント

たろべえさん
はじめて徳川昭武という人物を知りました。13,4才で将軍の代わりにパリ派遣されたわけですか。なんだか気の弱そうなそれでいて頭脳明晰な方のような感じです。それでも昭武のように歴史に埋もれてしまっている人をどんどん紹介してください。ほんと勉強になります。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2007年6月21日 (木) 23時55分

通りすがりの旅人さん

「徳川昭武」は水戸徳川家の徳川斉昭の18男です。側室もたくさんいたのでしょうが、たくさん子供がいますね。

 実は、フランスの皇帝ナポレオン3世から、パリ万博への招待状が兄の慶喜(15代将軍)に届いたのですがなにしろ幕末の時期で、尊王攘夷の動きもあり、慶喜は弟を名代にたてたというわけです。

 松戸の戸定(とじょう)歴史館には、昭武の資料がたくさん展示されています。

投稿: もりたたろべえ | 2007年6月22日 (金) 12時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/15504824

この記事へのトラックバック一覧です: 海を渡った幕末の徳川プリンス《徳川昭武》:

« 《海を渡った幕末の曲芸団(高野広八の米欧漫遊記)》 | トップページ | 《海を渡った幕末のプリンス》徳川昭武の滞在ホテル »