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海を渡った幕末の徳川プリンス《徳川昭武》洋食との出会い

 慶応3年(1867年)のパリ万国博に将軍・徳川慶喜の名代として出席するため、ヨーロッパに洋行したプリンス、徳川昭武一行だが、フランスのマルセーユまでの合計48日間の旅であった。フランスの郵船の船中では、どのような食事が提供されたのだろうか。

 朝食をとるのは毎朝七時ごろである。紅茶を飲み、豚の塩漬(ベーコン)をおかずに、パンを口にする。パンにはブールla beurre(バター)というものを塗って食べる。

 昼食には肉類(魚、鳥、豚、牛、羊)のほか、果物(オレンジ、ブドウ、ナシ、ビワなど)がでて、銀製のナイフやフォークを用いて食べる。飲物としては、ブドウ酒が供され、それを水で割って飲む。食後には「カッフェという豆を煎じたる湯」(コーヒー)がでて、それに砂糖やミルクをいれて飲む。

 午後三時ごろ、紅茶の時間となり、菓子類やベーコン、漬物などが添えられる。

 夕食は。五時または六時ごろからはじまる。ブイヨンとよばれるスープにはじまり、魚肉を食材とする各種料理や果物などがテーブルにならべられ、食事のデザートには、カステラや“グラス”とよばれるアイスクリームがでる。熱帯の地にいたると、水に氷をいれて飲む。夜の八時から九時にかけて、また紅茶を飲む。

 またパリのホテルに滞在中は、いかにヨーロッパとはいえ、用意してあった米も口にしたようだ。

 そもそも日本人は、獣(けもの)の肉は食べる習慣がなかった。また牛乳も一般的には、開国前後の1863年、横浜で前田留吉がオランダ人から牛の飼育法や搾乳法を学んで牛乳販売を開始したそうだ。バターについても、上流階級の間に明治維新以後広まっていったという。もちろん、日本には大化の改新のころ、645年頃には日本最古の乳製品では、「酪(らく):ヨーグルト」、「蘇(そ):バター」、「醍醐(だいご):チーズ」があったことが知られている。

 (マルセーユのホテルでは)日に二度だされる洋食を食べるのだが、昼食だけは和食を口にした。ランチのメニューの一部としては、刺身・スープ・米飯などを食べた、と

ある。

※引用は『プリンス昭武の欧州旅行―慶応3年パリ万博使節』P40~P44宮永孝著山川出版社

※写真:洋装のプリンス昭武(慶応3年パリ)

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