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《高松凌雲》武士の魂をもった医師

プリンス徳川昭武のパリ万博派遣団の一行に、奥詰め、お抱え医師の高松凌雲(たかまつりょううん32歳)がいた。(1836~1916年)

船は、アラビア半島の突端アデン(イエメン)を出て、紅海、スエズ湾と航海を続け、エジプトのスエズに到着。当時はまだスエズ運河がフランスによって工事中であったため、一行はイギリスが設置した鉄道でスエズからエジプトの海側、アレキサンドリアまで旅することになる。

 もちろんプリンス・徳川昭武にとっても、はじめての汽車旅行になるが、同行の凌雲が残した日記『洋行記事』に、汽車についての記述がある。

「此港(このみなと)に着する前、船中より海岸を望むに、長さ一町許の家屋の如き者の前進するを見て奇異の思を為せしが、上陸して其(その)家屋中に乗る事となれり。是(これ)ぞ即(すなわち)蒸気車なりし」

この港(スエズ港)に着く前に、船から海岸をみた。長さが一町(110m)ほどの家のようなものが、前へ進むのがみえて不思議であった。実際に上陸後、この家に乗ることになった。すなわち、これが蒸気機関車であった。この列車は、夕方、スエズ駅を出発、夜行で砂漠の内陸を走り、カイロを通過、翌朝、アレキサンドリアに到着した。

 日本でも文明開化のころ、新橋から横浜に鉄道(蒸気機関車)が開通したが、列車が出発した後、乗客の草履など、履物がプラットホームに多数残されていたそうである。要するに家の中にあがるのに土足ではまずいと思った人が多かったようだ。まさに列車は家屋のようだ。

 さらに船の旅の終着点は、地中海に面した南フランスのマルセーユである。一行は大変な歓迎を受け、どうやら馬車でマルセーユの名所を案内されたらしい。ここでの高松凌雲のコメントがおもしろい。

「公園、博物館及び市内各所を巡覧し、其(その)荘厳美麗なるには実に一驚を喫せり。友人と戯(たわむれ)に云(いう)、極楽浄土は西の仏(ほとけ)の国に在りと聞けるが、是即(これすなわち)仏国なりとて一笑を発したり」

マルセーユの公園や博物館、教会など、の名所を巡り、その荘厳な美しさに驚嘆した。ほんの冗談で、極楽浄土は西方のほとけ(仏)の国にあるときくが、ここフランスのこの地が、まさに仏国にちがいないと、いって爆笑。おおいにうけたようだ。

 確かにマルセーユは、独特の雰囲気をもった街である。私も一度訪れ、旧港近くのレストランで名物「ブイヤベース」に舌鼓をうったことがある。公園や教会など美しいつくりの街だ。

 さて、今回スポットを当てた、ユーモラスなコメントを残す高松凌雲先生については、つぎの機会に詳しく紹介したいと思う。凌雲は、実のところ、すばらしい業績を残している。医師として人間として、その人格のすばらしさを次回、紹介したい。Photo_195

(参考・引用:『徳川昭武―万博殿様一代記』須見裕著 中央公論社)

(写真:晩年の高松凌雲、函館市立函館博物館蔵)

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