« 《日本ハワイ移民資料館》 | トップページ | 《エスカレーターの話 続編》 »

《日系人の知恵が生んだアロハシャツ》

 1885年(明治18年)、最初の官約移民船「東京丸」でハワイに向かった940人の日本人移民の中に、東京出身のシャツ職人「宮本長太郎」がいた。

宮本は1904年頃、ワイキキからダウンタウン方向へ向かい、チャイナタウンを過ぎたあたり、「ノース・キング通り330番地」に店を開いた。MUSA-SHIYA(ムサシヤ商店)という。日本人移民が故郷から持ち込んだ和服・着物や布団(ふとん)の生地からシャツをつくり販売し、人気を博したそうだ。農園で働いていた労働者が着ていた、木綿のチェック地の開襟半袖シャツ「パラカ」のスタイルをもとにしたようだ。パラカはヨーロッパの船員が着ていたシャツが元になったともいわれるが、日系一世たちが郷里の村で夏場に着ていた浴衣の格子模様をなつかしみ、シャツに仕立てたという、アロハシャツの原型説が有力だ。和服や布団の生地からつくるアロハシャツを和柄と呼ぶ。Ph006palaka

宮本長太郎が1915年他界後、日本に留学していた息子・孝一郎がハワイに戻り、店を継ぐ。店の名は《ムサシヤ・ショーテン》(日本語では武蔵屋呉服店)と改めた。さらにこの店は人手に渡るが、1936年には、ワイキキの「カラカウア通り2152番地」に、Musashiya Storeの店舗があった。その頃、ムサシヤのブランドで、「アロハシャツ」の広告を地元の新聞「ホノルル・アドバタイザー」に出し、大変な売れ行きであったようだ。おもにアメリカ本土からの旅行者に、おみやげとして、この和柄のアロハシャツは大人気だったとのこと。(宮本家はシャツのメーカーであった)

ムサシヤブランドの和柄のアロハは、現在、「サンサーフ」(東洋エンタープライズ社)によって復刻されている。1着2万円近くするが、確かにすばらしいデザインである。Photo_183

私はハワイで暮らしていた時、仕事用、遊び用、パーティー用など、アロハシャツを20着近くもっていた。日本では、かなりおとなしい柄でないと着ることができない。それも夏だけである。タンスのこやしになってしまった。

(写真:パラカ ハワイ、ムサシヤラベル・復刻版、ムサシヤブランド・サンサーフの和柄アロハシャツ)Sunsurfss33560s1

|

« 《日本ハワイ移民資料館》 | トップページ | 《エスカレーターの話 続編》 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/15402204

この記事へのトラックバック一覧です: 《日系人の知恵が生んだアロハシャツ》:

» サンサーフ といえば [cacchao.net]
こんなものもありますよ。ぜひお越しください! [続きを読む]

受信: 2007年6月25日 (月) 02時26分

« 《日本ハワイ移民資料館》 | トップページ | 《エスカレーターの話 続編》 »