« 日本初の本格的英和辞書《英和対訳袖珍辞書》 | トップページ | 人気の《プデチゲ》と《眞露チャミスル》 »

黒船の通詞・数奇な一生《堀達之助》ストーリーその2

日本初の本格的な英和辞典「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」を編纂した堀達之助であったが、蕃書調所(洋学所)に奉職中、頭取の古賀謹一郎から箱館への転勤を命じられる。箱館奉行所での通詞の辞令であった。実際には(ペリー再来航時の森山栄之助、堀達之助に次ぐ第三席通詞・名村五八郎が江戸へ転勤になり)有力な通詞が箱館奉行所に少なくなり、弱体化したための苦肉の策で達之助は呼ばれた。 当時の箱館奉行・小出大和守は、達之助の英語力に期待した。ある時アイヌ人の墓をあばいて骨を掘り出し、標本として盗む事件が続発。犯人はイギリス人と判明し、小出は裁判をおこなうが、その通訳に達之助を指名する。しかしペリー来航後、10年もの間、達之助は英会話の経験がなかった。読み書きはできたが、英語の聞き取りや発言ができない。自分の英会話がすっかりさびついていることに気づき、失望するのだった。 その後、小出は達之助に文書の英訳と和訳の仕事に専念させることにした。仕事はきびしい。江戸の蕃書調書、開成所の教授方で英和辞書を編纂した学者という、輝かしい堀達之助の業績より、裁判の席で十分な通訳ができなかったことで、彼の評価は下がってしまった。  旧幕府軍と新政府軍との箱館戦争をはさみ、達之助は新たに「函館」の開拓使の外国局に採用される。このとき旧幕府軍の指導者として奮戦し、戦死してしまった指導者に中島三郎助もいた。(ペリー来航時に通詞・堀達之助とともに黒船に乗り込んだ、浦賀奉行所の与力である)   やがて明治2年、達之助は47歳になっていたが、「美也」という後妻を娶る。役所に出した届けでは、「妻、34歳」であった。美也には二人の連れ子がいたが、彼はこの子たちも養育する決心であった。町でも評判の美人で気働きのよい妻であった。 しかし幸せは長くは続かない。明治5年、美也は病死。50歳になっていた達之助には、この愛する妻を亡くしたことがかなりこたえたのだろう。老衰を理由に辞職してしまう。G_hori_tatsu  吉村昭は『黒船』の中で堀達之助を見事に描写する。 **********************************************  初来航したペリー艦隊を迎えて主席通詞として働いた頃が頂点で、それ以後は、起伏はあったものの下り坂をくだりつづけてきたような気がする。リュドルフ事件で思わぬ嫌疑をうけて長い牢獄生活を強いられ、釈放後、開成所教授方として「英和対訳袖珍辞書」を編纂したものの、その辞書も自分に無断で改正増補され、いじくりまわされている。  さらに思いもかけぬ箱館詰を命じられて、そこで味わわされたのは、英会話からはなれてしまっていたため無能な通詞として扱われた屈辱感であった。(略)そうした境遇の中で、突然、眼の前に現れた美也は、かれに大きな喜びをあたえ生き甲斐ともなった。 (略)不遇な自分に、短い期間ではあったが、天があたえてくれた宝であったのだ。 ******************************************************************  そして、達之助は生まれ故郷の長崎、次男のいる大阪で静かに静かに晩年を過ごし、72歳で亡くなった。私は思う。恵まれない人生も確かにある。体制や大きな社会の中で、思うように生涯を歩める人は、稀ではないかと。数々の出来事を通じて、堀達之助の生き方をみると、後妻の美也に出会った50歳近い幸せを除けば、大きな時代の潮流に押し流されていったようだ。しかし、日本初の本格的な英和辞書をつくった功績は、永久不滅のものであることは、いうまでもない。 ※参考:『英学と堀達之助』堀孝彦著、雄松堂出版/『堀達之助とその子孫』村田豊治著、同時代社/『黒船』吉村昭著、中公文庫 ※写真:晩年の堀達之助(『堀達之助とその子孫』より)

|

« 日本初の本格的英和辞書《英和対訳袖珍辞書》 | トップページ | 人気の《プデチゲ》と《眞露チャミスル》 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

たろべえさん
堀達之助の生涯その1とその2読みました。全く知らない人でしたがとても浮き沈みのある人生のようですが日本で最初の本格的な辞書をつくった功績はすごいと思います。そう言えば中学や高校の英語の教師でも英会話が出来ない人もいますよ。最近ではカナダ人やアメリカ人の会話の先生は珍しくないようですがグラマー〔文法〕を教わった高校の先生の発音は悪かったですよ。

ちなみに私は英語を話せません。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2007年7月31日 (火) 19時22分

通りすがりの旅人様

 最近の英語教育では、昔と違って「会話」も重視されるようになりました。幕末から明治維新の時代は、英文解釈と英作文の勉強も大変な苦労があったと思います。

 堀達之助は、人生の浮き沈みもさることながら、共感を覚える人です。

投稿: もりたたろべえ | 2007年8月 1日 (水) 18時59分

はじめまして。吉村昭の『黒船』の検索でこちらの記事にたどりつきました。私もたいへん興味深く読みました。当方の記事をトラックバックいたしました。

投稿: narkejp | 2007年8月 6日 (月) 06時44分

たろべえさん

堀達之助の英和辞書への貢献、そして、思わぬ屈辱の経験、優秀で立派な信念を持って生きている人でも、人生ってうまくいかない事もあるのですね。

こういう縁の下の力持ちのようなマイナーな歴史的功労者の情報にも、もっと光が当てられたらいいのになあ、と心がふっと優しくなりました。
たろべえさんの記事は、いつも心暖かいものがありますね。

投稿: Cojico | 2007年8月 6日 (月) 11時32分

narkejp様

コメントありがとうございます。
「電網郊外散歩道」のブログ、大変興味深く読ませていただきました。

 こころざしが同じ人がいると、勇気がでてきます。「堀達之助」のことを理解していただける方がいらっしゃるだけでもうれしくなります。私も吉村昭さんの「黒船」を何度も読みました。

投稿: もりたたろべえ | 2007年8月 8日 (水) 14時08分

cojicoさん

あたたかいコメント感謝です。
堀達之助のように、立派な業績を残しながら、歴史に出てこない人が、まだまだたくさんいると思います。

わかっていただいて、ありがとうございます。

投稿: もりたたろべえ | 2007年8月 8日 (水) 14時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/15954496

この記事へのトラックバック一覧です: 黒船の通詞・数奇な一生《堀達之助》ストーリーその2:

» 幕末の英和対訳辞書草稿の発見と吉村昭『黒船』を読む [電網郊外散歩道]
しばらく前の山形新聞夕刊に、「開国への息遣い」と題して、幕末の「英和対訳袖珍辞書」草稿の発見を解説した記事が掲載されました。「近代化示す超一級史料」と評価されたのは、名古屋学院大学の堀孝彦名誉教授です。氏は、幕末の通詞・堀達之助の玄孫でもあります。この発見は、すでに3月に共同通信等を通じて報道されていましたが、このほど第一人者の手により解説されたことで、その意義が理解できるようになりました。 堀達之助は、幕末の長崎オランダ語通詞であり、吉村昭『黒船』の主人公です。ペリーの来航に際し、首席通詞として... [続きを読む]

受信: 2007年8月 6日 (月) 06時41分

« 日本初の本格的英和辞書《英和対訳袖珍辞書》 | トップページ | 人気の《プデチゲ》と《眞露チャミスル》 »