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《日米和親条約》オランダ語が共通語?黒船「日本海外交流史」

 1853年(嘉永六年)、浦賀沖に巨大な船が4隻(せき)現れた。司令長官ペリー率いるアメリカ艦隊———「黒船」の出現である。

 大きな2隻の蒸気船と2隻の帆船をかき分け、小船が黒船に近づく。船には何人かの役人の内、特筆すべき2人乗っていた。一人は与力(よりき)の中島三郎助、もう一人は「オランダ通詞(つうじ:通訳)」の堀達之助であった。

 達之助は、アメリカ国旗の立つ艦に向かって大声でこういった。

I can speak Dutch!』(拙者はオランダ語を話す

つまり英語はそれほどよくわからないが、オランダ語なら話せる。誰かオランダ語を理解する者はいないか?と、「英語」で述べた。(考えてみればおかしな話だが、鎖国政策の江戸から幕末の時代、当時の日本は、例外として長崎の出島で、オランダと、その他で中国と、のみ交易をしていたためである。堀達之助は蘭学をきわめていた。だが英語はまだまだ片言だった。)

 ペリー艦隊には、やはりオランダ語通訳が乗船していた。ポートマンという。そして堀達之助と中島を船に招き、幕府の、将軍宛の大統領の親書をしかるべき身分の高い人に渡したいという。捕鯨船の水やマキ、食料などの補給基地として、日本の港を開放し、さらに通商を求める交渉をしたいなどと求めてきた。

 浦賀の奉行所はさっそく江戸に出向き、時の老中に上申するものの、この場は、先おくりでなんとか収まった。翌年、ペリーは約束どおり条約の締結に向け、再び浦賀にあらわれる。

1854年3月、紆余曲折があり、《日米和親条約》が日本とアメリカの間に結ばれることになるが、これにより日本は下田と箱館(函館)を開港する。また漂流民の保護の問題やアメリカへの最恵国待遇付与などが合意。後に無能な幕府がアメリカの軍事力の脅威にさらされて不平等な条約を結んだなどと、非難されているが、実際に戦うこともなく、平和裡に条約締結になっている点では、時の応接係りや幕府の見識を評価すべきでもある。

 さてこの《日米和親条約》で興味深いのは、言語である。いうまでもなく、二国の間の共通語は、文章作成では漢文(中国語)であり、口語では「オランダ語」であった。この条約のオリジナルがアメリカ公文書館に現存する。

当然、ペリーの署名の入った「英文版」があり、日本の4名(林大学頭だいがくのかみ、町奉行・井戸対馬守つしまのかみ、目付・鵜殿民部少輔うどのみんぶしょうゆう、浦賀奉行・伊澤政義)の署名と花押の入った「日本語版」がある。さらに翻訳として、通詞・森山栄之助の署名入り「オランダ語版」があり、儒者・松崎満太郎書名の「漢文版」がある。実に4種類。しかもこれらは、それぞれが単独で署名されたもので、日米双方で署名したものはない。さらに共通の「正文」は、何語か決められず、ペリーのアメリカは「英語版」の本編に漢文訳とオランダ語訳をつけた。幕府の場合は、「漢文」を一応、正文としたものの、英文からのオランダ語訳文をさらに文章ことばの漢語に置き換えていたという。

実際の交渉は、オランダ語会話でおこなわれた。(英語⇔オランダ語⇔日本語)

 何がなんだかわからないけれど、開国という歴史の大きな一頁を刻む《日米和親条約》の裏に、特殊な語学事情があったというお話だ。

通訳(通詞)として活躍した堀達之助や森山栄之助については、つぎの機会に書きたい。

(参考:『幕末外交と開国』加藤裕三著、筑摩書房、『黒船』吉村昭著、中公文庫)

Photo_205 (ペリー)

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にっぽん海外交流史」カテゴリの記事

コメント

日米和親条約がオランダ語を介して行われたとは・・!面白いお話です。しかも文書が4種類の言語で書かれている事も!

続きを楽しみにしております。

投稿: Cojico | 2007年7月25日 (水) 22時26分

Cojicoさん

ありがとうございます。このところ幕末から明治にかけての外交史や海外交流史に凝っている関係で、随分と新しい発見があります。

 この日米和親条約の共通言語が「オランダ語」というのも実は、大変びっくりしました。細かくいうと、次回にでも紹介しますが文章の解釈にかなりのズレが出てきます。たとえば、年月の解釈でも英語の「~は18ヶ月以内にしなければならない」という表現に対し、オランダ語を翻訳した日本語では
「~は18か月後にしなければならない」という、条約の批准についての記述があります。

このあたりはつぎの機会にご披露します。

投稿: もりたたろべえ | 2007年7月26日 (木) 01時43分

もりたたろべえ様
日米和親条約の英語版(ペリー提督のサインの入った本物の写しでなく、印刷物で結構です)を探しています。
もしお持ちでしたら、メールでお送りいただけませんでしょうか?

投稿: 安田冨郎 | 2008年1月15日 (火) 08時52分

安田様

コメント拝見しました。
メールアドレス教えてください。

投稿: もりたたろべえ | 2008年1月15日 (火) 18時09分

もりたたろべえ様
別途、日米和親条約の英語版は入手できました。ご連絡遅れて失礼しました。
私のメールアドレスはtomio@crocus.ocn.ne.jpです。
漢文、オランダ語訳、英文(英語訳?)の中で作られた順序は正確に分かっているのでしょうか?

投稿: 安田冨郎 | 2008年2月 8日 (金) 09時26分

snow
日米和親条約についてですが、最初に作成されたのは、もちろん「英語版」です。アメリカ本国でつくられ、それを日本に持ち込んだのですが、当時の日本では、英語の文書を正確に解読する人材がいなかったのです。

 そこでアメリカ側、日本側のそれぞれのオランダ語通訳によって、「オランダ語版」がつくられたようです。解釈の間違いが生まれたのは、この通訳の責任であったといえると思います。

 ちなみに中国語(漢文)版は、日本側であれば、オランダ語版から漢文に直し、幕府の公式文書としたのです。

投稿: もりたたろべえ | 2008年2月11日 (月) 00時00分

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