« 山本勘助に出会う《甲斐の国 風林火山博》に行ってきました | トップページ | 《高松凌雲》武士の魂を持つ医師その3 »

《高松凌雲》武士の魂を持つ医師その2

 「医は仁術」という言葉は、まさにこの人のためにある。凌雲は、徳川のプリンス《徳川昭武》のパリ万博派遣使節団に奥詰のプリンスの主治医として同行し、フランス留学を許されたが、大政奉還によって、帰国せざるをえなかった。Photo_198

この人は努力の人である。天保7年(1836年)、九州は(福岡県)小郡で生まれ、安政6年(1859年)22歳の折、医学を志ざし上京。蘭方医(オランダ医)の石川桜所(いしかわおうしょ)の門下生となり勉学に励む。文久元年(1861年)石川の許しを得て、今度は大坂(大阪)の蘭方医の第一人者・緒方洪庵の適塾に入門。オランダ語を自由に読み書きできるばかりでなく、豊富な西洋医学の知識を身につけた。その後、再び江戸に出て、英学(英語)を学ぶ。さらに徳川家茂に随行した師匠・石川桜所について京へ。石川の推挙で一橋家のお抱え医師となる。その後、一橋慶喜の15代将軍継承により、その学才を認められ、凌雲は奥詰医師と出世するに至る。

慶応3年(1867年)、高松凌雲は、その真剣な学究姿勢と豊富な博識、語学力で徳川プリンス昭武のパリ万博使節団の医師として同行の任を受ける。一説には、当時の医師は一般には剃髪(坊主頭)であったが、凌雲は例外的に(武士のように)髷(まげ)を結っていたため、ヨーロッパでも有髪なら奇異に思われないだろうという理由からも、派遣医師に選ばれたともいう。江戸からフランスへ向かう船中から、昭武と共に彼は、随行のフランス語の達人・保科俊太郎(歩兵奉行)や山内文次郎(大砲差図役勤方)から仏語を学び、もともと英語の素養があったことから、フランス文の読解、作文もかなりの段階にあったようだ。Photo_199

徳川昭武のパリ万博参加後の欧州歴訪にも同行し、イギリス公式訪問を終えると、許しが出て、いよいよ凌雲は、フランスでの医学留学を開始する。留学先は、「オテル・デュウ(パリ市民病院)」であった。HOTEL DIEU(神の館)という病院名については、凌雲が病院関係者から「病院は新しい生命が産まれ、また消えてゆく神の宿る館なのである」ときき、「医学はことほどさように神聖なものだ」と気づいたそうだ。この考え方を彼は生涯、忘れることはなかった。

ここオテル・デュウで医学を学ぶうちに、彼は自分の師である石川桜所に教えを受けた西洋医学の知識水準がかなり高いことも再認識したが、日本の医学は、あくまでも「医書による知識」であって、実際の医療(治療)の面では大きく遅れていたことにも気がつく。それは、フランスですでに行われていた麻酔薬を使った「外科手術」であった。クロロフォルムをかがせた患者の腹部をメスで切開し、多くの手術道具を用いて、内蔵の悪い部分を切り出し、糸で縫合する現実をみた。しかもこの「神の館」に付属する「貧民病院」では、貧しい患者にも無料で治療を施す。しかもこれらの費用は、貴族や富豪などからの寄付で経費をまかなっている。まさに「医は仁術」の思想を学ぶことになる。

寸暇を惜しんでの凌雲の医学留学であったが、江戸幕府崩壊の危機に直面し、彼は1868年4月、医業半ばにして帰国せざるをえなかった。もちろん、欧州滞在中に求めた医学書とフランス、イギリスで買い求めた外科手術道具だけは、日本の将来の、医学発展のために持ち帰った。(続きはまたつぎの機会に)

※参考:『夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲』吉村昭、文春文庫刊

※参考:『文明開化のあけぼのを見た男たち』松戸市戸定歴史館図録

※写真:武士姿の凌雲(渋沢史料館蔵)、断髪後の凌雲(高橋善七氏蔵)、現在のパリ市立病院、フランス製外科手術道具(市立函館博物館蔵)

                           Photo_202 Photo_200 

|

« 山本勘助に出会う《甲斐の国 風林火山博》に行ってきました | トップページ | 《高松凌雲》武士の魂を持つ医師その3 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/15709695

この記事へのトラックバック一覧です: 《高松凌雲》武士の魂を持つ医師その2:

» 不死鳥 美空ひばり 未公開画像 大公開! [不死鳥 美空ひばり 未公開画像 大公開!]
不死鳥 美空ひばり 未公開画像 大公開! [続きを読む]

受信: 2007年7月10日 (火) 18時51分

» 兵庫人第4部「医」をめぐる旅から =柳原和子氏= [ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE)]
 神戸新聞7月15日付「兵庫人」「第4部『医』をめぐる旅から」のコーナーの主人公は、ノンフィクション作家の柳原和子氏である。  丁度私と同世代の方である。  柳原氏は、「母親をがんで亡くした20歳のとき、母と同じ年齢で、同じがんになる。そして医療のすべてを記録する」と、誓ったとのことである。... [続きを読む]

受信: 2007年7月16日 (月) 05時56分

« 山本勘助に出会う《甲斐の国 風林火山博》に行ってきました | トップページ | 《高松凌雲》武士の魂を持つ医師その3 »