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2007年9月の8件の記事

《ソウルの地下鉄》優先席に若い人はすわらないという常識

 先日、ソウルで地下鉄に乗った。繁華街の明洞駅からイテオンまでだが、改めて感心したことがある。Vfsh0004_2

 車内では、もちろん日本と同じように、一般席にすわるやいなや、携帯電話に興じる姿はしばしば見うける。しかし男女を問わず、若者は優先席には決してすわらない。東京ではどうか。若者が平気で、優先席でもすわる。若い女の子も携帯に没頭したり、あたり前に化粧をする。「優先席」の前にお年寄りが立っていても平然と寝たふりをする。

 若者だって疲れているのさ、という人もいるだろう。しかし、韓国では、「優先席」は優先席なのだ。儒教の倫理が生きている。自分より目上の人、年上の人を敬(うやま)うのがこの国の常識だ。妊婦さんにもやさしい。日本もかつてそうだった(ように思う)。Vfsh0387

 現地のガイドさんが言っていた。韓国では、女の子は地下鉄の車内で、決して居眠りはしません。夜遊びをしてふしだらな娘だと、思われるからだそうだ。日本もかつてはそうだった(ように思う)。おじさんの戯言(たわごと)かもしれないが、電車内で口をあけて居眠りをしている若い娘をみると、本当に「世も末だ」と考えるようになった。

 海外に出ると、日本の現状を見直す絶好のきっかけになるという、お話である。

Photo (写真:上/ソウル地下鉄車内の優先席、中・下/JR山の手線、いずれもたろべえ撮影)

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《2007日韓観光交流拡大の夕べ》

 出張中の上司の名代で「日韓観光交流の夕べ」に出席した。韓国と日本の観光に関するセレモニーとしては、最大級のものだ。韓国側の主賓は、大韓民国文化観光部の金長官で、日本側は冬柴国土交通大臣。先週、ホテルニューオータニでおこなわれた。Photo_2  

 出席者は、日本と韓国の観光産業のトップクラスで、国会議員の先生方も多数来られていた。思わず緊張したのは、先の金長官と冬柴大臣が会場へ入場してくる時で、テーブルのすぐ近くを通った。大臣は、背は高くないが、堂々とした姿に加え、笑顔がすばらしい。自民党ではなく、南無妙法蓮華教の信者の方だが、とても71歳には見えない。

 昨年のデータでは、日本から韓国への観光客数は約234万人。これに対して、韓国から日本へは約212万人であった。今年は為替の関係で円が安く、ウォンが強いため、1月から7月までに日本を訪問した韓国からの観光客は、すでに150万人近く、昨年の25%増。これに比べ、日本から韓国への観光客は減少している。今年、2007年は、このまま推移すれば、はじめて日本へのインバウンド(韓国から日本への来訪)が、韓国へのアウトバウンド(日本から韓国への旅行者数)を上回るそうだ。  

 さて観光交流の夕べは、日韓の観光促進の共同声明を発表したり、観光功労賞の表彰があった。また、韓国の伝統芸能の披露もあり、なかなかのもの。ただ残念だったのが、テーブル席(着席)でありながら、ビュッフェスタイルの食事。はっきりいって、ニューオータニにしては?と、少々がっかり。招待されて文句をいうのも気がひけるが、とくに、寿司や天ぷらなど、ボリュームがない。「韓国料理」はキムチ鍋だが、情けない味だった。400人近い客の割には、料理は極端に少なかったようだ。

 あまりにも近くて、なかなか「海外旅行」的な雰囲気がつかみにくい韓国だが、それだけ気軽に、安全に行ける国だ。食べ物もおいしい。歴史や文化も日本以上に奥深い面もある。(そういえば冬柴鉄三大臣は、福田新内閣でも再任である。別に公明党支持ではないが、妙に身近な感じがしてうれしかった)

      写真:冬柴大臣と金長官/トラベルビジョン9月25日号

      http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=31677

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バリ島の肝っ玉かあさん《万亀子イスカンダール》さん

 南国の楽園「バリ島」は、アジアでも注目のビーチリゾートだ。神秘の島、癒しの場所として、日本人にも人気が高い。2000348,000人、2001364,000人と順調に伸びた日本人観光客は、02年の爆弾テロ事件で、03年は182,000人、さらに05年にも爆弾テロがあり、06年は253,000人と激減した。(バリラササヤン調べ)

今年は上半期(1~6月)の集計で、日本からの観光客は16万人に達しており、最盛期に迫る勢いとのことで、やっと日本人マーケットも戻りつつあり、喜ばしい状況だ。

このバリ島ですでに30年近く、日本人客を受入れるツアーオペレーター(ランドオペレーター)として、業界をリードする「ラマツアーズ」という会社がある。バリを旅したことがある方なら、よくご存知の明るい黄色のバティックのシャツと白いズボンの制服だ。ここの社長が、日本人「万亀子(マキコ)・イスカンダール」夫人だ。私も随分、マキコさんにはお世話になった。

マキコさんは、青山学院大学を卒業後、得意の英語を活かして東京でイン・バウンド(日本へやって来る外国人旅行業務)に従事していた。インドネシアからの留学生であったご主人と知り合い、1969年国際結婚、71年にインドネシアへ移住。その後、ご主人の出身地であるバリ島で1978年、ラマツアーズ設立。社名は、有名なヒンドゥー教の叙事詩「ラマヤーナ」からとったそうだ。

実際にマキコさんにきいた話では、当初、3人で会社を始め、自分も空港へ迎えに行き、日本人のお客様を島内観光へお連れした。3泊か4泊してお客様は帰国される。当時のバリ発は、夜便でジャカルタ経由だ。そこで、マキコさんは、日本食レストランが珍しかったバリの自宅でごはんを炊いて、「おにぎり」をつくって、毎晩、空港へ届け、お客様にサービスしたという。

そんなマキコさんの献身的な「おもてなし」を、ある時、偶然来ていた日本の大手旅行会社の社長さんがたまたま目撃。マキコさんの姿に感心し、それまで、クレームの多かった現地ツアーオペレーターを一挙にラマツアーズへ変更。その後のラマツアーズの躍進は目を見張るものがある。Makiko

なぜラマツアーズはよいか。いまでもバリに添乗するプロ添(乗員)仲間にきいてみると、とにかくスタッフ、ガイドさん、コーディネーターが誰でも笑顔でやさしい。いまやスタッフ約130名、ガイド180名の300名の所帯だ。それもそのはず、ラマツアーズには、創業以来『日本人でなければできない、行き届いたサービスをお客様に提供する』といった基本ポリシーがある。そのため、マキコ社長は、インドネシア人スタッフを奈良県の天理大学へ留学させ、日本語ばかりではなく、日本の生活習慣や文化を学ばせ、バリに帰国後、日本語ガイドに育てたことも多い。

マキコ社長は、現在、バリ日本人会会長、バリ日本友好協会理事長、バリラササヤン会長のほか、バリ日本語学校の校長でもある。さらに昨年、バリ島と日本との友好関係の架け橋として、また在留邦人の安全確保の多大な支援に対して、当時の麻生外務大臣から特別表彰を受けた。まさに元気なバリの肝っ玉かあさんである。

(写真:下 バリラササヤン会発行『楽園バリ体験』/上 ラマツアーズWEBより)

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《世界旅行博》に行ってきました

 東京は有明のビッグサイトで開催の恒例、「世界旅行博」に行ってきた。参加は、実に134の世界の国と地域だ。各国のブースは、それぞれ工夫がこなされ、民族衣装の人々が観光資料などを配布する。Vfsh0019_2

 今年、一番目をひいたのは、中近東で「ドバイ」のブースなどは、間違いなく日本のマーケットに注目しているらしく、充実している。

 ギリシアのブースが、デザインでは特にきれいだった。白とブルーを基調にした色がいかにも美しい。イタリアもさすがだ。

 ハワイ州のブースでは、ウクレレ教室をステージでおこなっていて、たろべえも久々にウクレレを弾いてきた。最近は、抽選で小物の賞品が当たる国々も多いが、実際に参加して体験できるのも面白い。

 たくさんのパンフレットを持ち帰るのは大変だが、こういった博覧会を回るときは、自分でいま、必要な資料に絞って、収集したほうがよい。いつか読むだろうと思ったパンフレットは、ほとんどそのままゴミになる場合が多いから不思議だ。Vfsh0018 2007091417010020

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《盛岡冷麺》

 盛岡駅近くの「ぴょんぴょん舎」で名物《冷麺》を食べたことがある。実は先日、ソウルで本場の冷麺を食べたが、盛岡の方が格段にうまいと思った。

 冷麺はもともと韓国より北朝鮮の特産品のようだ。小麦粉とジャガイモ(片栗粉)でつくった麺をつかう。昭和29年頃、北朝鮮・平譲(ピョンヤン)出身の方が、盛岡で店を出したのがはじまりという。水キムチのスープはさっぱりしている。麺には腰があり、なんともおいしい。朝鮮半島の食文化が日本的に(岩手的に)変容したのであるが、日本人の味にあう。最近知ったことだが、東京の銀座と神奈川の川崎でも、この冷麺がだべられるそうだ。

http://pyonpyonsya.co.jp/tenpo.html

ぴょんぴょん舎の紹介文

冷麺のルーツは、朝鮮半島の北西・平壌です。
平壌冷麺は、お米のとれにくい寒い地域に伝わる冬の料理で、ソバ粉・でんぷん・小麦粉を練り上げて作った麺と、ミルクのようにまろやかな高麗キジのだし汁に、冬沈漬(トンチミ)という大根の水漬けの汁を加えた自然発酵のスープが特徴です。
ソバを栽培し、キジが生息する、漬物のおいしい寒い地域…となると、そう、盛岡も共通しているのです。
平壌をふるさとにもつ料理人が、ふるさとに思いを馳せて、盛岡で冷麺を作ってみたのが盛岡冷麺の始まりです。

海を渡った冷麺~そして盛岡へ~

昭和29年、朝鮮半島に古くから伝わる代表的な麺が、海を渡りはるか盛岡の地に登場しました。

盛岡の麺職人・青木輝一氏が同年食道園を開店し、そこで冷麺を作り始めたのです。

当時、日本国内ではすでに朝鮮半島で食べられていたあっさり味の平壌冷麺が知られていましたが、青木氏が同じ朝鮮半島咸興(ハムン)地方の甘辛いソースに麺を混ぜ合わせていただく咸興冷麺と平壌冷麺を創作したのが、現在の盛岡冷麺の基礎となっています。

北緯40度の風が運んだ冷麺は、それ以来日本人好みのコクのある味に変化しながら、宮沢賢治の謳うイーハトーヴの自然風土と調和し、他の地域とは味・スタイルを別にした盛岡独自の特徴ある麺として定着、人々に愛されるようになりました。その後、昭和40年代以降より盛岡近辺には次々と工夫を凝らした冷麺を出すお店が開店するようになりました。

昭和60年代のブームはグルメ。そこで昭和61年10月17日より盛岡で開催された「ニッポンめんサミット」に盛岡の冷麺が出品され、そこで「盛岡冷麺」と名付けられました。これがきっかけで、「盛岡冷麺」は一躍全国へ知られるようになり、麺業界の中で確固たる地位を確立するに至ったのです。

頑固なまでに「手づくり」にこだわった製法が国内の人に受け入れられ、盛岡冷麺ファンは年々増加を続けました。それには、おみやげ用として開発されたテイクアウト冷麺の普及が大きく影響したとも言えましょう。

Photo_2 (写真はクリックで拡大します)

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《明洞》はアメ横か、はたまた歌舞伎町

 久し振りにソウルの繁華街、夜の明洞(みょんどん)を歩いた。盆と正月がいっぺんに来たような騒ぎで、人、人、人。若い人が多い。有名なショッピングスポットである。青い灯、赤い灯に大きなビルに露天や屋台がひしめきあう。買物だけではなく、韓国の伝統料理のグルメも十分楽しめる。Photo

 韓国では、きれいな女の人も平気で屋台のもつ焼きをパクパク食べる。実に楽しいのが露天にならぶTシャツや靴などの買物。アディダスやナイキらしきものが、500円くらいで買える。一番気にいったのは、携帯ストラップで、どらエモンやウルトラマンや鉄腕アトムなど、日本の登録商標のない「メイド・イン・コリア」(韓国製)もの。よく出来ている。まがいものだが、1個120円程度だ。

 ブランドもののバッグや財布などのコピー商品もあるが、こちらは日本への持込み禁止だ。時計のニセモノもある。これらは、ちょっとひやかす程度だ。

もちろん、ブティックなどもこの界隈は安い。買物だけではなく、食べるところもたくさんある。日本語も通じる。まさに上野、御徒町の「アメ横」の雰囲気。あやしさは、新宿の歌舞伎町的である。散歩するだけでも楽しい。すごい人込みなので、スル、盗難には十分注意だ。むろん、大金や貴重品は持ち歩かないようにしたい。(あまり高いものは売っていませんので)Vfsh0002

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韓国の新幹線《KTX》に乗車しました

 韓国の新幹線《KTX》に乗った。KTXはKorea Train eXpress(韓国高速鉄道)の略である。古都・慶州からバスで約1時間の「東大邱(トンテグ)」駅から乗車。ソウルまでは293.1km、約1時間40分だ。車両は18両、前後に各1台駆動車(動力車)がつく。(客車は16両)最高速度の300㎞/hを体験したが、ほとんど揺れない。なお車内にテレビモニターがあって、各企業のCMを放映中、その時の時速が表示される。これは結構、臨場感があり気の利いたサービスである。Ktxmain_ktx

 2004年4月開業のKTXだが、実はフランスのTGVそっくり。(フランスからTGVの技術や車両をそっくり輸入したそうだ)車内は通路も座席のシートピッチも狭い。座席が回転せず固定式なのは、最大の欠点で、進行方向に対してうしろ向きの席もある。これもマイナスだ。(特室、つまり日本でいうグリーン車の座席は回転する)

ちょうど乗車したのが週末だったせいか、車内は満席。大きな荷物を収納するスペースがほとんどないので旅行者は大きなカバンを引きずって、通路につかえてしまう。フランスのTGVは、トランクやスーツケースはたくさん収納する場所がついているというのに・・・。Ktx

 列車の旅の楽しみのひとつが、車内販売だ。(食堂車やビュッフェはない)しかし、東大邱駅からソウルまでの間、車内販売のワゴン(カート)が来たのは、たった一度きりで、しかも到着間際、急いで行ってしまい、声も掛けられなかった。商売っ気がないのだ。また、車内には飲み物の自動販売機がある。どうも韓国では、日本でもおなじみの青い「ポカリスエット」が人気だ。250ml缶で800ウォン(日本円で100円弱)と安い感じがする。味は日本と同じだ。(キムチ味でも唐辛子味でもない)Photo

 KTXは2路線がある。1本が今回乗車した「京釜線」で首都ソウルと釜山(408.5㎞)の間を2時間40分で結んでいる。以前は特急セマウル号でも4時間以上かかっていたのだから、これは飛躍的な進歩だ。そういえば、本家のフランス新幹線TGVは、今年

2007年4月に(リニアモーターカーとは違う)「非浮上式列車」の世界最高速度を記録したそうだ。なんと、574.8㎞/hである。そんなに急ぐことはないのだけれど、あまりにもスピードが速く、窓の外の風景が流れてしまうと、旅情がなくなってしまう。時速300㎞/hでさえ、外の景色を見る余裕などない。

 このKTXの東大邱からソウルまでの通常運賃は、38600ウォン。日本円で約4,000円といったところだが、日本の新幹線と比べると、かなり安い気がする。(日本が高すぎるのかもしれない)Photo_2

※写真 KTX外観/車両内部/自動販売機:韓国観光公社提供、東大邱駅構内:たろべえ撮影

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幻の名曲《イムジン河》

 韓国へ研修に行った。ソウルから北西へ約60km、バスで約1時間20分、京畿道坡州(パジュ)は、北朝鮮国境に近い。北朝鮮から韓国まで朝鮮半島を流れる「イムジン河」(臨津江)が、漢江(ハンガン)と合流する箇所を視察した。「自由の橋」と「烏頭山(オードゥサン)統一展望台」がある。このイムジン河については、1968年、当時の人気グループ『フォーククルセダーズ』によってレコード化された同名の名曲がある。(訳詩:松山猛)耳に残るやさしくせつないメロディーだ。

   イムジン河 水きよく

   とうとうとながる

   みずどり自由に

   むらがり とびかうよ

   我が祖国 南の地

   おもいは はるか

   イムジン河 水きよく

   とうとうとながる

 原曲が北朝鮮に伝わる民謡であったため、おそらく政治的な配慮から、この局は発売からまもなく発売禁止(放送自粛)となった。私は発売禁止になる直前、深夜ラジオで2回、テレビで1回、この曲を聴いたことがある。

さて「自由の橋」は1953年朝鮮戦争の休戦協定締結後、戦争捕虜約13,000人が北から帰還する際に、自由万歳と叫びながら渡った、イムジン河に架かる唯一の橋である。いまではこの橋の突き当たりまで進み、北朝鮮を垣間見ることができる。イムジン河の川幅のもっとも細いところは、460mの距離しかない。今年5月には、イムジン河を渡る鉄橋を通り、平城(ピョンヤン)まで、列車の試運転もおこなわれたそうだ。Vfsh0036

 「烏頭山(オードゥサン)統一展望台」は、高台につくられていて、望遠鏡のある展望台からは、北朝鮮が目と鼻の先である。北朝鮮の「宣伝村」と呼ばれる農村文化施設の建物がいくつかある。実際に望遠鏡(500ウォン約70円)をのぞくと、わずかに人影がみえた。この川の向こうは、北朝鮮。そう思うと緊張感がある。Vfsh0038

 展望台の内部では、北朝鮮の小学校や家の中を復元したり、実際の庶民の貧しい衣服や工業品なども展示してある。北朝鮮産の冷麺や酒などもおみやげで買うことができるが、ほとんどの観光客は手を出さない。

 この統一展望台は、韓国の人々の「統一」への願いがあふれている。韓国人歌手の歌う「イムジン河」の曲が、何回も流されている。フォーククルセダーズの曲と同じだが歌詞は韓国語である。イムジン河水清く・・・いつの日か統一されることを祈る1日となった。(たろべえ撮影・写真:自由の橋/北朝鮮への鉄橋、地図:イムジン閣休憩所のパンフから)

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