バリ島の肝っ玉かあさん《万亀子イスカンダール》さん
南国の楽園「バリ島」は、アジアでも注目のビーチリゾートだ。神秘の島、癒しの場所として、日本人にも人気が高い。2000年348,000人、2001年364,000人と順調に伸びた日本人観光客は、02年の爆弾テロ事件で、03年は182,000人、さらに05年にも爆弾テロがあり、06年は253,000人と激減した。(バリラササヤン調べ)
今年は上半期(1~6月)の集計で、日本からの観光客は16万人に達しており、最盛期に迫る勢いとのことで、やっと日本人マーケットも戻りつつあり、喜ばしい状況だ。
このバリ島ですでに30年近く、日本人客を受入れるツアーオペレーター(ランドオペレーター)として、業界をリードする「ラマツアーズ」という会社がある。バリを旅したことがある方なら、よくご存知の明るい黄色のバティックのシャツと白いズボンの制服だ。ここの社長が、日本人「万亀子(マキコ)・イスカンダール」夫人だ。私も随分、マキコさんにはお世話になった。
マキコさんは、青山学院大学を卒業後、得意の英語を活かして東京でイン・バウンド(日本へやって来る外国人旅行業務)に従事していた。インドネシアからの留学生であったご主人と知り合い、1969年国際結婚、71年にインドネシアへ移住。その後、ご主人の出身地であるバリ島で1978年、ラマツアーズ設立。社名は、有名なヒンドゥー教の叙事詩「ラマヤーナ」からとったそうだ。
実際にマキコさんにきいた話では、当初、3人で会社を始め、自分も空港へ迎えに行き、日本人のお客様を島内観光へお連れした。3泊か4泊してお客様は帰国される。当時のバリ発は、夜便でジャカルタ経由だ。そこで、マキコさんは、日本食レストランが珍しかったバリの自宅でごはんを炊いて、「おにぎり」をつくって、毎晩、空港へ届け、お客様にサービスしたという。
そんなマキコさんの献身的な「おもてなし」を、ある時、偶然来ていた日本の大手旅行会社の社長さんがたまたま目撃。マキコさんの姿に感心し、それまで、クレームの多かった現地ツアーオペレーターを一挙にラマツアーズへ変更。その後のラマツアーズの躍進は目を見張るものがある。
なぜラマツアーズはよいか。いまでもバリに添乗するプロ添(乗員)仲間にきいてみると、とにかくスタッフ、ガイドさん、コーディネーターが誰でも笑顔でやさしい。いまやスタッフ約130名、ガイド180名の300名の所帯だ。それもそのはず、ラマツアーズには、創業以来『日本人でなければできない、行き届いたサービスをお客様に提供する』といった基本ポリシーがある。そのため、マキコ社長は、インドネシア人スタッフを奈良県の天理大学へ留学させ、日本語ばかりではなく、日本の生活習慣や文化を学ばせ、バリに帰国後、日本語ガイドに育てたことも多い。
マキコ社長は、現在、バリ日本人会会長、バリ日本友好協会理事長、バリラササヤン会長のほか、バリ日本語学校の校長でもある。さらに昨年、バリ島と日本との友好関係の架け橋として、また在留邦人の安全確保の多大な支援に対して、当時の麻生外務大臣から特別表彰を受けた。まさに元気なバリの肝っ玉かあさんである。
(写真:下 バリラササヤン会発行『楽園バリ体験』/上 ラマツアーズWEBより)
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