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京都の町屋でひと休み《あわ餅 澤屋》

 京都を散策すると、ついつい歩き過ぎてしまう。お疲れのときには、やはり甘いものとお茶をいただく。いつの世も「茶店」はありがたい。というわけで、北野天満宮前のバス亭近くに、うわさの北野名物《あわ餅》の店をみつけて飛び込んだ。

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 町屋づくりの澤屋(さわや)では、販売が主体だが、名物のあわ餅(お茶つき)がいただける。お店の中には、小さなテーブルが3つ。さっそく一人前を注文する。つきたてを食す。直径3cmのほどの「あん」(こし餡)だんご3個と長さ8cmほどの「きなこ」餅が2個だ。小さな木ぐしで口に入れると、上品な甘さで、もちろんやわらかい。1皿525円。(こし餡がとくにおすすめである)これはうまい。

 粟(あわ)は、イネ科の雑穀だが、最近の健康ブームで見直されているようだ。粟などを混ぜた「五穀米」などもよく目にする。ビタミンB群、鉄分、ミネラルをはじめ、食物繊維も豊富に含まれているそうだ。

 現在の澤屋さんが12代目とのことで、店内に掲示してある、由緒書を拝見。祖先は河内の住人で、主君・楠正行(くすのきまさつら)公の死後、その首塚を守るため、京の洛西嵯峨野に草庵を結んで住んだ。南北朝の時代で、家来たちへの楠方の仇・足利幕府一族の追及も激しくなる。澤屋さんの祖先は、足利の追手を逃れるため、農民の姿に身を落として生き続けた。そのうち、天文年間(1532~1554)、自分の畑で収穫した「粟」をついて「餅」をつくり、北野天満宮境内で売り始めた。これが評判となり、北野名物として世に知られるようになったそうだ。実に450年以上も続く名物だ。

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 澤屋さん作成の「北野名物粟餅の由来」というパンフレットによれば、江戸時代のはじめ、寛永15年(1638年)発行の《毛吹草》(けふきぐさ:松江重頼著、江戸初期の俳諧の解説書で季語などのほか、諸国名物も紹介している書物。最近の研究では、正保2年1645年発刊が定説)に「山城名物北野粟餅」と記されている。したがって江戸時代には、間違いなく北野名物であったようだ。その後の天和2年(1682年)から、現在の場所で「茶店」を続けている。

 なお、楠正行(まさつら1326~1348)の父は、有名な楠正成(まさしげ)。正行の首塚(墓)は、臨済宗の寺で紅葉の名所・善入山宝筐院(ほうきょういん:京都市右京区)にあり、胴体を葬った墓は、正行が本陣を張った、岩瀧山往生院六萬寺(大阪府東大阪市六万寺町)にあるそうだ。(離ればなれだ)

 ちなみに、こちらの《あわ餅》は「時間がたつと固くなりますので必ず本日中に召し上がりください。なお餡三個に砂糖を入れ煮ていただきますとおいしいおしるこができます」ということだそうだ。

(毎月25日の天神さんの日は、行列ができるほどの混雑のため、要注意)

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    住所/京都市上京区北野天満宮前西入紙屋川町838-7

    TEL/075-461-4517

    交通/京都市バス「北野天満宮前」徒歩1分

    営業時間/09:00~17:00(木曜定休、毎月26日定休)

(写真:たろべえ)

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コメント

たろべえさん どうもこうもありませんね。食べ物ネタが多いですね。また得意な歴史や文化の話もお願いしますよ。

投稿: 通りすがりの食いしん坊 | 2007年10月13日 (土) 00時23分

通りすがりさん

食べ物ネタが多くてすみません。
でも、「食文化」は、非常に興味ある事柄で単なるグルメ記事ではなく、歴史などにも触れていきたいと思います。

 いつもコメントありがとうございます。

投稿: もりたたろべえ | 2007年10月15日 (月) 09時24分

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