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《風水都市 江戸》

 都市の東西南北には、それぞれ守護神に守られている地形がある。これを風水では、

四神相応(ししんそうおう)」という。以前、《平安京》(京都)が風水都市であることは、このブログでふれた。(平成19年2月4日)“京都は風水都市《平安京》”

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_d0d6.html

 江戸についても、都市造営に際して「風水」の思想が取り入れられたそうだ。四神相応について、整理してみる。

 北)玄武:龍脈(気の流れる道)の発生場所。高台、大地、山。

 東)青龍:清流(川の流れ)を意味する。

 南)朱雀:川が注ぎ込む池(海)がある。または平野。

 西)白虎:都にこもった邪気を放出する。大きな街道、道など。

 江戸の造営にあたり、当初はつぎの四神相応が考えられていた。

■北)玄武:麹町台地(江戸城の北辺警護のため、実際には造成工事がおこなわれ、武家の住む地域となった)

■東)青龍:平川(後の神田川)

■南)朱雀:日比谷の入り江

■西)白虎:東海道

であったそうだ。これが江戸の地域拡大に伴い、変化していった。

 すなわち、

■北)玄武:本郷台

■東)青龍:大川(隅田川)

■南)朱雀:江戸湾(江戸湊)

■西)白虎:甲州街道

 徳川家康の懐刀(ふところがたな)でもあった、天海大僧正は、江戸城の北東方向、つまり「鬼門」(鬼、不吉なもの邪悪なものが出入りする)の方角に、寛永寺を開いた。この寛永寺こそ、平安京(京都)造営に際して、鬼門封じのために開いた「比叡山」延暦寺にならい、山号を東の叡山として「東叡山」としたといわれている。

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 この天海は、おそるべきことに108歳まで生き、実に家康、二代秀忠、三代家光の3人将軍に仕えたそうだ。秀忠の隠居後の寛永2年(1625)、家光のときに寛永寺を造営した。初代住職が天海である。川越の喜多院の復興、家康の墓がある「日光 東照宮」も天海がおおいに関係している。

 寛永寺は、天台宗関東総本山として、いまの上野公園全体に敷地があったが、残念なことに幕末から明治にかけての「上野戦争」(慶応4年1868)で彰義隊の戦場となり、多くの伽藍が消失した。現在、上野に残るのは「清水観音堂」など数箇所である。

(最盛期には寛永寺の寺領は、上野公園どころではなく、いまの上野駅を越え、昭和通り近くまであり、かなり広大な敷地であったそうだ。このあたりは、またつぎの機会に)

Photo ※写真:たろべえ、天海僧正は「日光神橋近くの像」から

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エステリアです。風水のブログ、一度見に来てくださいね。 風水の目的である大地の気(エネルギー)を逃がさないように捕らえる地形、それが「四神相応」の地形です。中国では遷都や建物を作るときには必ず、この四神相応の地を念頭において建造がなされました。 具体的には北側に山や丘、東に川、南に海や池、西に大きな通りが...... [続きを読む]

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