« 【にっぽん旅の文化史】江戸時代の《浪花講》の看板は旅行会社の協定看板だった | トップページ | 【にっぽん 旅の文化史】《旅籠の宿泊料金》は、1泊2食付でいくらか? »

【にっぽん 旅の文化史】江戸時代の旅籠・協定看板はいくつあった?《新居宿 紀伊国屋》

_edited 東海道の宿場町に新居宿(あらいじゅく)がある。江戸日本橋から271㎞(68里30町)浜名湖、浜松に近い。現在の静岡県浜名郡新居町で、東海道五十三次では、江戸から数えて31番目の宿場。関所もあった。南に太平洋、北には浜名湖がある。そこには「今切の渡し」があり、江戸側の宿場「舞坂」から対岸の新居宿までは、浜名湖を船で渡ることになる。海上約1里。まさに東海道の要所である。ここには、幕府により箱根と同様に「入り鉄砲に出女」で知られる、きびしい関所が設けられ、陸上と海上の交通を監視していた。女連れの旅人は、わざわざ山側の本坂通り(のちの姫街道)のルートに迂回したともいう。

Photo_2 

新居宿には、江戸時代の関所の建物が現存し、史料館となっている。旅籠は25、6軒あったとされるが、一番大きなものが《新居宿 紀伊国屋》で、再建された建物がこれまた資料館として公開されている。

紀伊国屋(きのくにや)は、元禄16年(1703)、徳川御三家の「紀州藩」の御用宿になった老舗で、正徳6年(1716)、紀伊国屋の屋号を掲げました。紀州(和歌山)出身の主人は、代々疋田弥左衛門(ひきたやざえもん)を名乗り、昭和36年(1961)に廃業するまで、260年近く旅館の営業を続けてきたそうだ。

Photo_3

 新居町教育委員会によれば、この紀伊国屋に伝わる疋田家文書に、江戸後期、紀伊国屋が、どのくらいの《講》の定宿になっていたかがわかる。(「定宿極控帳」)

 それによると、つぎの12件の講に属していたそうだ。

浪花組(浪花講)、伊勢年参講中、大坂身延講、伊勢秋葉月参講、万年講、播州二見秋葉講、江州蒲生郡秋葉山講、表寿講、御社富士山用達、大元講、関東組

全国的に組織されていた「伊勢講」に関するものが多い。また近くの遠州(静岡)の火災除けの「秋葉神社」に参拝する「秋葉講」関連も多い。寺社詣でを名目にした講が数多く組織されていたが、伊勢に詣でると同時に、京や大坂にも足を伸ばす旅人もたくさんいたはずだ。

この講は、現代風にいえば協定旅館の制度だが、12件だから、JTB、knt(近畿日本)、日本旅行、トップツアー、東武トラベル、名鉄観光、読売旅行、クラツー、Nツアー、タビックス、阪急交通社、静鉄観光、と、いったところだろうか。

さて、江戸時代後期の紀伊国屋は、間口五間(約9m)の平屋造りで、部屋数12、裏座敷2、総畳数63、新居宿の旅籠の中では、最大規模。明治7年(1874)、大火により焼失後、建て替えられ2階部分が、一部増築されたが、江戸後期の旅籠建築様式は随所に残され、廃業時まで保存されたそうだ。江戸の旅人気分を体験してみるのも、ロマンだと思う。一度、お出かけくださいまし。

Lrg_12315487

(写真:新居宿教育委員会提供、地図は「伊勢詣と江戸の旅」文春新書から作図)

|

« 【にっぽん旅の文化史】江戸時代の《浪花講》の看板は旅行会社の協定看板だった | トップページ | 【にっぽん 旅の文化史】《旅籠の宿泊料金》は、1泊2食付でいくらか? »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/17163082

この記事へのトラックバック一覧です: 【にっぽん 旅の文化史】江戸時代の旅籠・協定看板はいくつあった?《新居宿 紀伊国屋》:

» スキーとスノーボードの情報です。 [雪山小僧♪]
スキー&スノーボードの情報サイトです。今年こそは初めてみよう!という方からスキー&スノーボードが大好きな方まで色々な情報をご用意しています。ぜひご利用下さい。掲示板は常時更新していきます [続きを読む]

受信: 2007年12月 8日 (土) 12時59分

« 【にっぽん旅の文化史】江戸時代の《浪花講》の看板は旅行会社の協定看板だった | トップページ | 【にっぽん 旅の文化史】《旅籠の宿泊料金》は、1泊2食付でいくらか? »