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【にっぽん 旅の文化史】江戸時代帰りは楽しい《大山》その2

江戸時代の大山参りが、旧暦の6月27日から7月17日までの20日間に決められていた。2008年では7月29日から8月17日にあたる。実は阿夫利(あふり)神社本社(奥の院)の雨乞いの神様、石尊大権現(しゃくそんだいごんげん)の参詣が許されたのが、夏場のこの時期の「祭礼」期間であったためである。

石尊信仰は、古くから伝承されてきたもので、石尊の呪文を唱えながら、六根の汚れを清めるために山を登った。(六根:ろっこん;仏語。感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官。眼(げん)・耳(に)・鼻・舌・身・意)

霊山に登る時に唱える「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」とは、同じく仏語。六根から生じる迷いを断って、清らかな身になること。また、霊山に登る際に、六根の不浄を清めるために唱える語。六根浄。【出典:大辞泉】

さて「大山講」のほかには、江戸時代頃から多くの《講》の存在が知られている。霊験新たかな霊山や神社に詣でるための、団体参拝(団参)、つまり「団体旅行」のための会員組織である。講員全員で参拝の旅に出るというより、順番でその年の参拝者を決め、みんなで積み立てた旅行費用をあてた、「代参」のスタイルをとっていた。

おもな《講》には、伊勢講、富士講(いわずと知れた富士山、浅間神社)、出羽三山講、武州御岳(みたけ)講、秋葉山講、御岳(おんたけ)講(木曽御岳)、三峰講(秩父三峰神社)、古峯原講(古峯神社)、榛名講、成田山講などがあった。

ところで《大山》であるが、江戸からの行き方としては、「矢倉沢往還」(江戸と現在の神奈川県南足柄市の矢倉沢を結ぶ道で青山通り大山道とも呼ばれた)があった。

日本橋(東京都中央区)→赤坂(港区赤坂)→青山→渋谷→多摩川(二子の渡し)→溝口(神奈川県川崎市)→下鶴間(大和市)→国分(海老名市)→相模川(厚木の渡し)→厚木(厚木市)→愛甲→下糟屋(伊勢原市)→上糟屋→子易(こやす)→大山

Hanga_ooyama_s   

通常片道18里、約70kmの距離だ。江戸を明け方の午前4時頃には出発。1泊目はおそらく二子か溝口あたりの宿場だ。2日目も早朝出発して、大山山中の御師の宿坊には夕方から夜到着。宿坊に泊り、翌日も早朝から、参拝したはずだ。帰りは伊勢原から東海道の藤沢へ出て、「精進落とし」。ついでに観光地・江ノ島や鎌倉を回る。もちろん落語のように藤沢ではなく、神奈川宿(横浜)で楽しい夜を過ごした旅人も多かったようだ。風光明媚な金沢八景に寄り道したグループもあった。

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