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《玉くしげ》を読む【その11】網引き、鯛網、紙漉(かみすき)見物

4月23日

朝はれたれども又くもり、雨をりをりふる。光興(みつおき)ぬしの、晴ま見て、徒然なるまヽに浜辺に行きて海づらながむるに、海士(あま:漁師)どもつどひきて網引(あびき)まうけするに・・・、B

 あいにく、雨が降ったりやんだりしていたが、晴れ間をみつけて、すぐ近くの浜辺に、光興が出かけていった。漁師たちが、網を引く準備中だ。どんな魚がとれそうなのか、尋ねてみたら、「雑魚」がたくさん群れている。この網引きの様子を正興にも見せようと、漁師のこどもを宿で待つ正興のもとへ知らせに走らせた。すぐにでも出かけたい正興であったが、供の男が出かけていて留守番がいない。やがて男が戻り、浜辺に駆けつけたが、時すでに遅く、網引き終了。収穫のあった雑魚を求めて帰り、宿で調理をした。油っぽい魚なので、煮あがりに「酢」を加えたら、やはり取れたてで、尾ひれも動くほどに新鮮だったためか、思いがけず、おいしかった。

 熱海では、湯治の合間に前浜に出て「鯛網」の漁や海女の鮑とりを見物することも、江戸では評判になっていた。たまたま、正興らは、この「鯛網」に遭遇する。

 播磨の国三草のさとしろしめす殿の母君とやらん、ゆあみに来給ひて、本陣渡辺と云うに旅やりし給ふが、鯛の網引かせ給ふときゝて、浜辺へ行見るに・・・

 本陣・渡辺屋に泊っていた、播磨三草藩主の母君が、有名な「鯛網」を体験した。この播磨三草(兵庫県)藩主は、おそらく第5代・丹羽氏賢(にわ うじまさ)。譜代(大名)で石高は1万石であったが、参勤交代をしない「江戸定府」の大名であった。その母君が、湯治にやってきていて、うわさの鯛網に行った。この「鯛網」は、現在でも広島県の鞆の浦では。「観光鯛網漁」として有名である。5,6艘の船で船団を組み、取り囲んで巻き網を使って「鯛」をとるもの。

Ahoo  しかし、おおがかりな熱海の鯛網は、どうも成果が出なかったようだ。実際に、30人近くの漁師(海士あま)が網を引くと、残念ながら長さが10㎝程度の「たなご」が4、5匹と雑魚」が2,30匹とれただけだ。そこで、正興は光興と、つぎのような会話をして笑う。

 鯛網にてたなご取たるは、鹿待山(鹿のいる山)にて狸得たるよりも本意なからまし

(鯛網で、「たなご」しか取れないのは、鹿のいる山で「たぬき」しか捕まえらとれないのと同様に、思いどおりには、いかないものだ)おそらくそんな意味だ。調べてみると、「たなご」はフナに似た淡水魚(?)で、唐揚げや焼いて食用になるそうだ。(見た目では、あまりおいしそうではない)※写真:Yahooきっず図鑑より

さらに好奇心旺盛な光興にすすめられ、二人は「本陣今井屋」へ出向く。今井家では、「雁皮紙」と呼ばれる高級和紙を作り、販売していた。その「紙漉(かみすき)」の作業工程を見学しに行ったのだった。

《雁皮紙がんぴし》は、落葉樹の低木「ガンピ」の皮の繊維を原料とした和紙。質は密で光沢があり、湿気・虫害にも強く、古来から「紙の王」と呼ばれ、珍重されているそうだ。鳥の子紙も同系統で、別名「斐紙(ひし)」。現代では、古文書などの修復にも使われている。熱海の雁皮紙は、原料に伊豆天城に生えていた「ミツマタ」も入れていたそうだ。

宿へ行きてあるじに逢い、紙もとめ、ものがたりするに、ともし火いだすにおどろき帰る。

和紙を買い求め、今井屋の主と夢中になって、紙談義をしていると、宿では灯火をつけ出した。時のたつのも忘れ、すっかり暗くなってしまったことに気づき、二人は急いで自分たちの宿へ帰るのであった。G

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