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《玉匣両温泉路記》を読む【その4】戸塚宿から小田原宿へ

4月15日

戸塚→(1里30丁・約7.8㎞)藤沢→(3里半・13.7㎞)平塚→(26丁・2.9㎞)大磯→(4里・15.6㎞)小田原(泊)Photo_2

この日は、戸塚の宿から小田原まで、距離で約10里(約40㎞)の道のりである。

まだ夜が明けきれない暁の「七ツ」(午前4時)に目が覚めた。いずこも寝静まっていて物音ひとつしない。

宵より暖かりしが雨ふり出したと見えて、軒端をつたふ玉水の音きこゆ。をりふし時鳥(ほととぎす)のなくをきゝて、ひとりごとに

 草枕雨おちそゝぐ暁にものおもへとやなくほとゝぎす

 夜が明けると、雨はやんだが霧が深く立ち込めている。朝食をとっているうちに、その霧も少しは晴れてきたようだ。そんなこんなで、うだうだしていると、「辰の時」(午前8時)になってしまった。驚いて出発する。チェック・アウトに際しては、宿賃のほかに心付けを主人に渡そうとするが、「受け取れません」というので、同行の光興(みつおき)が機転を利かして、「帰りがけに寄るから預かっておいてくださいな」と取り成して一件落着。また霧が出て、雨でも降られたら大変と、主人に駕籠を呼んでもらい、ようやく出発した。

 藤沢では、《遊行寺ゆぎょうじ》をみる。鎌倉時代に各地を放浪し、「踊り念仏」で知られる一遍上人が開いた寺だ。いうまでもなく時宗の総本山。正式には「藤沢山無量光院清浄光寺」 (とうたくさん・むりょうこういん・しょうじょうこうじ)というのだそうだ。正興は寺の伽藍や観音堂、鐘楼の立派さに感心すると共に、ここで出会った僧たちに驚く。

Photo

 上人はじめ僧たちのみ仏のみ前に念仏唱へて居つどひたり。いづれも木綿藤色の衣きて、僧のうちにも僧めきたる姿也。

 続いて一行は、平塚から大磯へ。曽我兄弟の仇討ち伝説にかかわる《虎御石》を見学。正興いわく、『曽我物語』には、この石のことは書かれていないそうだ。

 大磯の宿を行くと松の並木があり、《鴫立沢しぎたつさわ》と《西行庵》があった。もとより和歌に造詣の深い正興のこと、古来より伝わる「歌枕」の地は、はずさない。ここで、一行は西行の旅姿の木像に出会う。文覚上人(もんがくしょうにん)が鉈(ナタ)一本で作ったと伝わるが、「覚束なし」(どうもあてにならない)と切り捨てる。

  あはれさは秋よりさきにしられけり鴫たつ沢のむかし訪ねて(飛鳥井雅章卿)

 (もののあわれ、はかなさは、秋にならなくともわかるもの。西行法師が、その昔この地で感じたさびしさを想う)

 この卿も此庵訪(と)ひ給ひしと見えたり。西行ぬしの歌あればこそ、皆人の尋(たづぬる)ところとはなりけれ。(江戸時代前期の公家・歌人、飛鳥井卿も西行の庵を訪ねていた。西行法師の有名な歌があればこそ、歌枕の地として、風流人たちがやってくる)

 心ある人こそとはめ鴫たちしむかしの沢の跡をたづねて(正興)

(心ある人はどうか訪ねてほしい。西行が心を震わせた地、鴫が飛び立っていた昔の沢を)

かくなん読みけると光興ぬしにかたる。

 玉匣の本文には、これらの元となる「西行」の歌は書かれていない。詩歌に長ずる教養人の常識であったためか、正興は、あえて奥ゆかしく、載せなかったようだ。その一首とは・・・

 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)

 なんとなく人生に疲れ、特別に頼る人もなく、心もとないこの身でも、世の中のはかなさは、わかるもの。さびしそうに鳴いていた鴫が、飛び去っていってしまった、川のほとり。一層さびしさを増す、まさに秋の夕暮れ時。(たぶんこんな意味だと思う)

 正興の歌は、いうまでもなく飛鳥井卿と西行の一首を踏まえた「反歌」である。

【参考】

鴫(しぎ):チドリ目シギ科、およびその近縁の科の鳥の総称。海・干潟・川などの水辺にすみ、くちばしが長く、貝・カニ・ゴカイなどを食べる。約90種が南極を除く全世界に分布。シギ科の大部分は北半球北部で繁殖し、熱帯地方や南半球で冬を過ごす。日本では渡りの途中の春と秋にみられる。イソシギ・ダイシャクシギ・タシギなど。

《秋の季語》

(しぎの絵を紹介しているサントリーのHP)

http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/1.html

 とんだ寄り道をしてしまった。さてさて一行は、共の男にせきたてられ、大磯を後にして、酒匂川(さかわがわ)を渡る。この川越は、人足の肩車に乗り、銭六拾弐文(62文だから約800~900円)だった。そして足の疲れもあり、休みやすみでようやく、この日の宿、小田原へ到着。まだ時間的には早いが、申のとき(午後4時)前には、《内田屋》に草鞋(わらじ)を脱いだ。疲れもあり、またいささか風邪気味で、宿に着くと、すぐ横になった。やがて夕食の膳が運ばれてきた。箸など食器も清潔で心地よい。(すぐ寝てしまった)

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