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《玉匣両温泉路記》を読む【その5】小田原から いよいよ熱海へ

《玉匣両温泉路記》(たまくしげ・ふたついでゆ・みちのき)は、上州沼田藩の江戸上屋敷詰の武士、原正興(はらまさおき)が、残した天保10年(1839)旧暦、4月13日から5月9日までの27日間の旅行記である。二つのいで湯とは、熱海と箱根である。P

4月16日

空よく晴れ、風邪の心地もよければ、朝飯たべ、日出る前に此宿立出て行(く)に、彼の(かの)外郎(ういろう)うる家の前を過て

 本日は晴、昨夜の風邪もよくなったようだ。例によって日の出前に出発である。小田原宿でも有名な「外郎(ういろう)」の店の前を通った。(本舗虎屋)まだ開店前なのだ。ちなみに、この「ういろう」は、名古屋の有名なお菓子とは違い、別名「透頂香(とうちんこう)」といい、痰を切り、のどの渇きや口の中をさわやかにする漢方薬だそうだ。仁丹のような丸薬だ。(前日に買っておけばよかったのに)旅人の土産に人気であったという。

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 小田原から熱海までは、海沿いの道だが、途中、山坂を登り下りで八里半(約33.6㎞)の道のりだ。いまなら熱海ビーチラインで海沿いの快適なドライブだが。さて小田原から早川を過ぎると、険しい山道に入る。話によれば、この山中、「山蛭(やまひる)」という虫が多く、木の上や地面にもいて、人が通ると吸い付いてきて血を吸う。

 「小田原にてかごやとひたらば、このうれひなからんものを」などつぶやきゆくに、見ぐるしき家よりひとりいできて、

「山けわしく蛭多し。かごに乗りて行給へ」と云。(山道は険しいし、蛭もいるよ。)

 小田原で駕籠(かご)屋を頼んでいればよかったのに、などと話していると、近くの民家から七十がらみの老婆が出てきて、なんとか駕籠を1台手配してくれた。正興らは、途中で交代しようと、光興を先に乗せ出発。自分は杖をつきつつ、草々を払いながら登っていく。すると、この駕籠かつぎの男がいう。

 「そんなに山蛭を恐れることはありませんよ。お天気が続いて道が乾いていれば、その虫も出やしませんよ」(老婆にだまされた。おそらく駕籠屋から紹介賃をもらうのだろう )

「さらば先に虫多しといひたるは、かご雇はせんためのはかりごとにて有けん」と、笑いあった。やがて「根府川(ねぶがわ)」の関所である。

 根府川は、箱根の関所の「脇関所」ともいわれ、小田原藩の管轄。しかし一行は武士であり、往来手形・関所手形を提示して、難なく通過し、吉浜で煮魚の昼食。山道を登り下りして、なんとか、「伊豆権現」を経て、「心いなみ、ことに下り坂なれば、足にまかせて行くに、ほどなく

熱海のさと(里)にいたる」(わくわくして、まして下り坂。足任せである)

 いよいよ、あこがれの熱海。湯宿《富士屋》に到着。本館はすでに湯治客で満室のため、向かいの別館へ案内される。この地は、おととし火災があり家々も数多く消失し、改築中で、富士屋も外装は、きれいになってはいるが、内装が途中で大工さんが作業中だ。

 さて「別館」は、二階建てで2階には、上部屋(10畳)・中部屋(8畳)・下部屋(8畳)があり、1階に調理のできる勝手(台所)がある。正興らは、中部屋を選んで旅装を解いた。

 いまでも旅館にチェック・インしたら(とりあえず、部屋でお茶でも一杯飲んで、浴衣に着替えて)まずは大浴場、温泉である。ここ富士屋の「湯殿」は・・・

 (湯)は七尺四方の箱にたゝへり。溜湯(ためゆ)と云は、九尺に三尺の箱也。湯場の中を仕切て、ひとつは五尺に四尺の箱なり。溜湯は仕切の下を通ひてひとつ也。沸出るもとより、この宿まで、五十杖も有べし。かけ樋にて引也。水もかけひにて椽先(たるさき)へ引、桶にたゝへたれば、清くいさぎよし。

Photo_2  湯船は2m四方の箱型。(一尺は約30㎝)「溜湯(ためゆ)」は、源泉の湯を樋(かけい)即ち、木や竹など木製の溝形あるいは、筒状の装置を通じて、満たしておく浴槽である。この溜湯の大きさは、2.7m×0.9m程で、二つに仕切ってある。源泉からは、五十杖(1杖は約3m)とあるので、150mほど引いている。この富士屋は、《大湯》源泉で90℃近い高温の湯であったはずだ。したがって熱いときには加水をし、ぬるくなれば、大きな柄杓(ひしゃく)で溜湯から湯を湯船に入れ、温度調節をする。(今風にいえば源泉掛け流し、天然温泉)

 主人に時間を尋ねると、「もうすぐ湯が湧き出るころで、未(ひつじ)の刻(午後2時)ですよ。

今朝、小田原から出発してお越しになったにしては、随分早いお着きですな。まあまあ、ひと風呂浴びて、お疲れをとってくださいまし」(社交辞令でも悪い気はしないもの。さあ風呂だ)

 風呂から出て、従業員にきく。「このあたりは、魚が多く獲れるときくが、どうなんだい?」

「海が凪(なぎ)で静かなときは、たくさん魚も獲れますが、このところ時化(しけ)が続いていますので少ないんですよ。でも、もうすぐ出入りの魚屋さんが来ますよ」

と、いうわけで魚屋から、無事熱海に到着記念日のお祝いにと「小鯛」を買う。光興が味よく煮てくれた。ごはんも出てきたが、何かもの足りない・・・そこで正興・・・

 「酒なからんはあまりに興なし。少しのみてよ」と光興ぬしの供の男にものすれば、燗して持来たれり。

 随分、早く酒の燗ができたねと、驚く正興。供の男いわく、宿の人に「酒かんするには、溜湯に徳利入れてものせよ」と教えられたそうだ。なるほど、「湯の徳は病をいやすばかりにはあらざりけり」

思いもかけない納得の、温泉の効用を笑う一行であった。

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