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《玉匣両温泉路記》を読む【その7】熱海「のんびり」滞在の日々

 正興にとって、熱海は湯治目的である。湯の里では「のんびり」して、旅日記の《玉匣両温泉路記(たまくしげ・ふたついでゆ・みちのき)にも単調な記載の日もあった。

4月18日

 空よく晴、風もなし。此里人は、朝起出ることをいそがぬにや、日ののぼりころ家ごと起て、朝げのけぶりたつる也。

 湯の里の人々の朝はゆっくりである。お日様が上がる頃になって、ようやく起きて、各家々から朝ごはんの支度をするかまどの煙が立ち昇る。まことにのどかな風景だ。やがて、湯宿の門があくと、12、3歳の少女たちが、泊客相手に、くだものや餅菓子などを売りに来る。

「田舎の習ひに、起ると先(まず)くだもの・餅のたぐひ茶受とてくひ、其の後飯くふ事也と云。」

(このあたりの習慣で、起きるとお茶受けに果物や餅菓子の類を食べて、その後朝食をとるらしい)sun

 今日は朝ごはんを食べて後、入浴した。宿の主人に「この湯は飲むことはできますか」と訊いてみると、「飲めますが、その人に合うかどうか。試しに茶碗に半分くらい飲んでみて様子をみてください」とのこと。実際に試してみると、「にが塩と云うごとくにて、のみにくし。薬ならば何ごとかあらんと、二口みくちのみたり。其時は胸少しあしき様なれども、程過れば腹もちよろし。けふも湯あみするのみにて暮ぬ。

 「飲用泉」の効果はいかに、だが、飲んですぐは、塩からく苦味があり胸がムカムカするが、別におなかの具合が悪くなるわけでもなかったようだ。湯浴みをして一日が過ぎた。

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4月19日

 けふも空よく晴たり。道のつかれいでたるにや、ものうく、ひるも枕をとり、をりをり湯あみするのみにて暮ぬ。

 まあ、こんな日もあるだろう。どうやら江戸からの長旅の疲れが出たのか、何もやる気がせず、昼間から横になっていた。時々、お湯に入っただけで、特記事項なし。

 ところで、《玉匣》作者の原正興、同行の神村光興そして光興の従者の男の一行が滞在しているのは、湯宿《富士屋》である。この当時の湯治宿は、「自炊」であった。宿は湯治客にお勝手(台所)を提供した。茶碗や箸、調理器具は、無料で使えた。米や野菜、魚に味噌・醤油そして燃料の薪などは、毎回必要なものを「通帳(かよいちょう)」に客が書き込んでおくと、宿が調達してくれた。掛売りで、もちろん代金は、後日清算される仕組み。(参考:『江戸の温泉学』松田忠徳著、新潮選書)

 熱海は海が近く、宿出入りの魚屋がその日入荷したばかりの海産物を売りにきたので、正興らは、新鮮な魚介類を食べることができたようだ。旅にでると、宿はもちろん、昼食・夕食と食べることは、重要な関心事だ。

さて江戸時代、一般的には、朝に一日分の米を炊いたそうだ。朝食は、炊きたての白い飯に味噌汁。具は豆腐、しじみ、納豆など。昼食は冷や飯に、朝の残りの味噌汁をあたため直す。なければお茶や湯をかけて食べる。夜もおかずは、つくが、冷たいごはん。おかずは、野菜のおひたし、イモや大根の煮物または煮さかなといったところ。(参考:『江戸のご飯の食べ方』食文化史研究家・永山久夫「鈴廣刊:江戸時代の食風景」)

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