« 【閑話休題】熱海の湯宿《富士屋》とは | トップページ | 《玉くしげ》を読む【その9続き】うなぎ釣れず »

《玉くしげ》を読む【その9】そぞろ歩きの湯の街・熱海

4月21日

空晴れたれども、北風吹きて寒し。遠州屋来り、「例の挽物(ひきもの)の細工買い給へ」と云ふ。このをとこを案内にして、来宮(きのみや)へ行きてをがむ(拝む)。P

 またまた土産物屋の「遠州屋」がやってきた。商売熱心である。正興もこれ幸いとばかり、近くの名所・旧跡のガイドを頼むことにして、《来宮明神》(きのみやみょうじん)へ行った。観光地の土産物屋や物産店では、いまでも近くの寺社仏閣の案内をしてくれる。お伊勢さんや宮島などは、必ず店の従業員が、先導し説明までしてくれる。もちろん、案内後の土産購入が条件。Photo_2

H  来宮はJRの駅がある。高台で、かつては円筒形の「西熱海ホテル」があった。最上階の大浴場からの眺めは最高だったが、実際に泊ってみると、扇形の部屋で妙な気持ちがした。残念ながら2006年、夏に営業停止となった。ここ来宮は、「熱海梅園」にも近い。「あたみ梅ライン」道路は、十国峠(日金山)方向へ通じている。

 《来宮明神》は、現在の「来宮神社」である。ヤモトタケルノミコト、イケタルノミコト、オオナモチノミコトを祭る。本殿裏の楠の大木(国指定天然記念物)が有名だ。玉くしげに正興も書いているが「ひと木は十六抱えありと云う」。「抱え(かかえ)」は、人が両手を広げた長さであろうから、約1.5m。16を掛けて、楠の太さは約24mにもなる。

その後、道を下って現在の熱海市役所近く、《家光の湯治御殿跡》へ行く。熱海は、徳川家康が慶長9年(1604)湯浴みにやってきてから幕府直轄領になった。江戸から手頃な距離でもあり、湯治場として、人気を馳せていたことは、言うを待たない。そこで、寛永16年(1639)、家康を尊敬していた三代将軍・家光(大猷院:だいゆういん)は、熱海に湯治のための「御殿」を造営させた。おまけに馬の調教場も設けた。しかし、多忙のためか、家光がこの御殿に泊ることはなかった。現在の熱海市中央町で、わずかに「御殿稲荷」が残っているそうだ。正興が訪ねた当時は、「其のみ館の跡行きて見るに、畑となり、里人のふせ屋(小さな民家)なども有り。」とさびしい。家光は熱海に行くことはなかったが、以前紹介したように、その後将軍家は、この熱海の湯を江戸城に運ばせ、居ながらにして温泉気分を味わうことができた。

さらに、そぞろ歩きは、「熱海七湯」めぐりである。遠州屋の案内により、一行は「目湯」、「河原湯」、「清左衛門湯」、「甚左衛門湯」を見物。なかでも《清左衛門湯》(せいざえもんのゆ)についての記述というか、作者・正興の分析がおもしろい。

(清左衛門湯の近くにある)其の石をたたきて、「清左衛門ぬるし」といへば涌く也とて、案内のをとこ(即ち遠州屋の男、手代)其の如くするに、ごとごとごとと音して、しばらく有りてやむ。(略)呼びて涌くとはいへども、今涌くば跡(後)より来るひと呼びてもわかずと云ふ。されば、あながち呼びてわくにはあらじかし。をり(折り)ふしに涌く湯なれば、涌く前にをりよく呼ばば、答るごとくに涌くなるべし。

確かに、間隔をあけて湧出する温泉であるから、湧き出すタイミングに合えば、「清左衛門ぬるいね」と言えば涌くのである。お説ごもっともだ。

そして、最後は宿に近く、「大湯」の先の《湯前明神》に詣でた。現在の「湯前(ゆぜん)神社」である。ここは、全国の温泉神社の神で、医薬の祖といわれる「少彦名命(スクナヒコノミコト)」を祭神とする。現在では、2月10日と10月10日に「献湯祭」といって、江戸へ湯を運んだ御汲湯が再現されている。(熱海市上宿町4-12)Photo_3

《玉匣両温泉路記》(たまくしげ・ふたつ・いでゆ・みちのき)では、わざわざ湯前明神境内に建つ「碑文」を書き写して記載している。湯前明神の社伝と熱海の歴史である。

伊豆の国加茂郡葛見郷の地に温泉が湧き出し、海に流れ注いだ。これにより、この地を「熱海」と名付けた。伝わるところでは、天平元年(749年)少彦名命が童(わらべ)にとりついて曰く、「この湯を浴びれば、病は必ず治る」。なるほど、その通りでこの温泉には効果があった。そこで村人たちは、祠(ほこら)を建て、少彦名命を神として、丁重におまつりしたそうだ。

それから1,000有余年、徳川家康の来訪や家光の湯治御殿造営などがあった。自然に噴出する「大湯」源泉についても、そのシステムはすばらしい。この日本の国には、多くの温泉があるが、熱海ほどすばらしい場所は、他に類をみない。将軍をはじめ、諸大名、武士から庶民に至るまで、たくさんの湯治客が来る。かつては、烏や雉やうさぎが住む、こんな辺鄙なところでも、神のご加護のおかげで、すばらしい湯治場となった。

と、おそらく大意はこんな感じである。この碑文で「大湯」については、詳しく書かれているが、以前に紹介したので省かせていただいた。なんと、この碑は、明和七年(1770)、《富士屋》の当時の主人・石渡親由が建立したものであった。おそるべき富士屋。

(イラスト:たろべえ)

|

« 【閑話休題】熱海の湯宿《富士屋》とは | トップページ | 《玉くしげ》を読む【その9続き】うなぎ釣れず »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/40200988

この記事へのトラックバック一覧です: 《玉くしげ》を読む【その9】そぞろ歩きの湯の街・熱海:

« 【閑話休題】熱海の湯宿《富士屋》とは | トップページ | 《玉くしげ》を読む【その9続き】うなぎ釣れず »