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【にっぽん 旅の文化史】《玉匣両温泉路記》を読む

 江戸時代の旅日記で、《玉匣両温泉路記》(たまくしげ・ふたついでゆ・みちのき)という書物がある。東洋文庫の「江戸温泉紀行」に所収されているが、現在絶版のため、図書館以外では、あまり見ることができない。大変興味深い内容なのでここで紹介したい。

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 書名の《玉匣両温泉路記》は、漢文調でとっつきにくいが、当時、江戸からの湯治目的の旅行先で人気の「熱海」と「箱根」へ旅した日記でありながら、道中の観光案内書にもなっている。(両温泉:ふたついでゆは、熱海地区および箱根地区の温泉場のこと)

「玉匣」(たまくしげ)は、ここでは本居宣長が著した国学書ではない。和歌などに用いられる「枕詞(まくらことば)」である。玉匣そのものは、櫛などの化粧道具を入れる蓋(ふた)付きの玉手箱のような「箱」を意味する。したがって、この箱のフタと本体にかけて、玉匣とくれば、「二つ」とか「ふたり」、「ふた」にかかる(修飾する)。作者の旅立ちにあたって、趣味の歌仲間が、つぎのような一首を送ってきたことに、書名は由来するようだ。

玉くしげ箱根でふたり御全快またもゆあみのぎりの残らん(青木安総)

作者は、上州沼田藩(群馬県)の江戸上屋敷に勤める武士の原正興(はらまさおき)。当然ながら古今の書物や和歌にも造詣が深く、文章には教養やウィットがあふれている。

天保10年(1839)旧暦、4月13日から5月9日までの27日間の旅行記だ。(現代の暦に当てはめれば、5月17日から6月12日となる)

正興は、お殿様(譜代大名の沼田藩第9代藩主・土岐頼功:といよりかつ)に、湯治目的で30日間の休暇を申し出、許可される。この旅には、おそらく同郷の武士であった神村光興(かみむらみつおき)が同行する。(実際には、作者の原正興に光興と彼の従者の男の3名で旅立つ)、この旅の目的や記録を残す経緯について、書かれている本文の冒頭を紹介する。

■おのれ気にのぼる病ありて、頭いたみ眼に煩ふこと年久し。ある人、

「そこの病には、温泉に浴し、滝に頭うたするならば、たちまちにいゆべし。伊豆国なる水島の加茂郡 熱海の温泉、相模国箱根山の七処の温泉は世人のしる処なり。そが中に宮の下てふ温泉は、わきて気ののぼる病にいさおし有」

 原正興には、持病で「気にのぼる病」があった。頭痛がして視力が落ちてくる。長患いだ。おそらく高血圧症か糖尿病の類と思われる。この病には、熱海と箱根七湯の宮下の温泉が効くという。正興はこの頭痛に長い間、悩まされており、この年も「梅咲し睦月(一月)の末のころより例の病発(おこ)り」花々が咲き乱れる春の季節さえも、外出が億劫で家の中にこもりがちであった。いつしか木々の梢も若葉となり、暖かくなってきたので旅立ちを決めた。

 出発を4月に決めたのは、「橘(たちばな)かをる五月とならば、をりからの雨ふりすさびて、道行もわづらはしからん」と、雨の多い梅雨を避けたのだが・・・。(実は旅の間、雨が多い)

 旅の目的は、病気治療、「湯治」で、期間は「三廻り(三週間)」と決め、往復の日数を加え、30日間の休暇だ。しかし、旅に出たい本音は、「こたびは私の旅なれば、道すがらのおほみ神ををがみ、古き寺などをも見まほしくおもへば、」と、湯治に向かう途中で、神社・仏閣などの名所・旧跡を訪ねることも明言している。

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