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《玉くしげを読む》【その22②】江戸への帰途(小田原から平塚へ)

 5月5日続き 小田原→酒匂川(川越え)→平塚(泊)

 小田原では、行きしなに買えなかった《外郎(ういろう)》を土産に購入。当時のこの店の模様が「東海道名所図会」にも残っているように、丸薬を売る「本舗虎屋藤右衛門」である。

 さて、小田原の宿場でも、菖蒲の花は見かけない。鯉のぼりは、所々で見た。宮ノ下温泉からここまで、わずかに三里半(約6㎞)の道のりだが、「心の駒のゆくにまかすれば、道はかゆかず」もうすぐお昼である。

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 小田原宿では、昼食場所をさがすが、なかなか営業中の店がなく、「尾張屋」で料理を頼むと、鮑(あわび)を煮て食べさせてくれた。 「この小田原は海辺なので、魚が多いと思っていたが、どうして少ないのですか」と、訊けば、

 「このあたりは、網を引いても、よい魚はとれません。ほかの港からもってくるので、時期によっては魚がないのです。人によっては、精進浦と呼ばれています。今日は端午の節句なのにお出しする魚もなくて、申し訳ありません」と、店の主人は、答えた。

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 続いて《酒匂川(さかわがわ)》を渡る。「川越」では、6人分の渡し賃を払い、正興と光興は二人で「蓮台」に乗り、四人の人足が担ぐ。供の男は、「肩車」で渡る。川を渡る際、右に海が見える。このあたりは、「歌枕」の《こよろぎの磯》と呼ばれる浜である。(小田原市国府津から大磯町)そこで、正興は、紀貫之の『土左日記』を思い出す。(日記の21日の記述)

 「むろの津を舟出しゝころ、波を見て、海ぞく(海賊)のむくいせんといふなる事を思ふうべに、海のまたおそろしければ、かしら(頭)も皆しら(白)けぬ。七十八十は海にあるものなりけり。

  わがかみとゆきと磯べのしら波といづれまされりおきつ嶋もり」

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 海に出れば、海賊に襲われる恐怖をはじめ、多くの困難が待ち受けており、船に乗る者は、心労で白髪になってしまう。すぐに老け、まるで70、80歳のような老人は、海に多い。

(私の髪と雪と磯に打ちつける白波、どれも白い)そんなことを思い出し、正興は自分の髪も白くなり始めていることに気づき、歌を詠む。

 かぞふればわがとし波も こよろぎのいそぢ(磯路、五十路)に近くなるにけるかな

(自分の年齢も五十に近くなってしまった)

 

はじめて自分の年齢を明かした作者の原正興であった。P

※東海道名所図会より、写真:酒匂川(小田原市)、イラスト:たろべえ

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