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《玉くしげを読む》【その22①】江戸への帰途(塔の沢から湯本)

5月5日

けふも空よく晴れたり。まだほのぐらきに起きて、かれ飯くひ、宿のあるじに別れつげて立ちいづれば、皆々門まで送る。あるじは、さとはなれ(里離れ)まで来たり、別れぬ。Photo

 いいお天気の中、宿の従業員の盛大な見送りを受け、一行は出発。主人は村はずれまで送りに来た。山道を行く。谷は深く、木立が青々と茂り、岩の間にしみ込む川の音がきこえるが、流れはみえな。峰に着くと、古巣に帰りついた鶯(うぐいす)の鳴き声が、春の名残を伝える。あちらこちらと眺めながら、大平台を過ぎる。やがて塔の沢(塔之沢温泉)である。

 塔沢にいたる。温泉ありて賑わふ。宮城野より流れいづる谷川、少し打ちひらけ、みなぎり落つる滝(たきつ)せに柴橋わたせるさま、絵のごとし。

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 塔之沢温泉である。この風景は、絵のように美しい。この橋を渡り、一里下れば、湯本(箱根湯本温泉)だ。湯本は、最近、火災があったらしく、焼失した家並みは、まだ再建されていないようだ。しかし、共同浴場は、大勢のひとで賑わいをみせている。やがて街道へ出た。(広重)

 

筥根(箱根)は石をたゝみたる道にて、ひとも馬もなづむ(馴染む)と聞きしに、野づらの青石敷きならべたれば、ひとつ高ければ、ひとつはひき

(低)く、うべ(諸)こそ行きなづむらめ。

 箱根の「石畳」の道と杉並木は、いまでも残っている。この道は、当初、「箱根竹」と呼ばれる竹を敷いていた。その後、江戸幕府は、雨や雪のあとの「ぬかるみ」で往来する人々が歩きにくいのを防ぐため、石を敷いた。小石と石でつき固めた地面の上に、石と石を組合せて並べ

た。しかも脇には、排水溝までつくった。これで、旅する人も馬も歩きやすくなっていた。

 挽物(ひきもの)の細工うる家にて休み、大路少し下れば、左に早雲寺あり。

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 寄木細工の店で休憩。まもなく北条氏ゆかりの「早雲寺」がある。

江戸後期には、湯本、畑宿など街道の村々では、当時「湯本細工」と呼ばれていた木地(木目)細工の生産が盛んになっていった。往来する旅人が増え、湯本茶屋では、挽物細工として「豆人形、豆独楽(コマ)、十二たまご」などの玩具が土産として好評だった。(参考:『箱根路歴史散策』岩崎宗純著、小田原ライブラリー、夢工房刊)

※『東海道名所図会』より、「伊豆屋」

 山坂下り終われば、程なく小田原の里也。

 まもなく、小田原である。

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