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《玉くしげを読む》【その22③】江戸への帰途(小田原から平塚へ)

 正興はいう。B

「おのれは旅路におそろしきこともなく、心のすさびなれども、よせてかへらぬとしの波こそ、中々におそろしけれ」といへば、光興ぬしの、

「そこばかりにはあらず。世の中に在りとあるひと、皆しかり。わきて、仕(つか)へするひとは、いそしき勤めに身をくるしめて、月花のあはれだに、よそに過ぐすもおほかるに、そこには、やど(宿)にありては、ふみのの林、ことばの園に遊び、出ては月花にあくがれて、野山をたどる。たのしとこそいふべけれ。世にいさをし(功)なきは、そこのつみにあらず。人は、おその翁と笑ふとも、何ごとかあらん」

 「自分は旅をしていても、特におそろしいこともなく、心に不安を覚えることもない。だが、自然に歳をとって老いていくことは、おそろしいものだ。」と、正興がいえば、友人の光興が答える。

「あなただけではなく、世の中のあらゆる人も同じです。中でも、お上に仕える人は、忙しい勤めに身をすり減らして働き、四季の変化や自然界の移りかわりの風情さえ、気づかずに、日々を過ごす人も多いものです。でも、あなたは、宿にいる時には、文学の林、ことばの園に遊び、旅に出ては月花など自然にあこがれ、野山をたどっている。それを楽しいというのでは、ありませんか。世の中に功績を残せなかったとしても、それはあなたのせいではありません。他人に『おその翁』(間の抜けたじいさん)と、呼ばれようとも気にすることはありません。」

M 

私は《玉匣両温泉路記》(たまくしげ・ふたついでゆ・みちのき)の中で、この部分に一番、共感を覚える。作者の原正興(はらまさおき)に年齢が近いせいもある。友人の神村光興(かみむらみつおき)の正興に対する評価や人生観というものが、この会話を通して素直に表現されていると思う。

別段、「風流人」を気取ることもない。だが、人は生きていて、まわりの四季の動きや花々、木々の色の、移りかわりに、何も感じないというのは、情けない。自分が老いていくと気づき、自らの弱さや限界、そして心の痛みを知ると、たぶん人の痛みもわかってくる。もちろん、毎日は忙しく過ぎて行く。「月花のあはれ」には、無縁なデリカシーのない人も実に多い。そんな中で「自分」は、違うと自覚していればよい。

会社勤めの人が、自分の際立った功績を残せなかったり、自分の能力を正当に評価されていないとしても、それは仕方がないことだ。そこで切り替えて、趣味を生かし、深みのある人生を送る生き方を選ぶことだ。薄ぺらの会社生活などでは、定年退職をしたら何も残らない。どうもこんなメッセージのような気がする。

Photo

さて、この日は、平塚宿の脇本陣・山本屋に宿泊。たまたま平塚は、祭りの最中で、夜中まで街は、大騒ぎであったようだ。(宮ノ下温泉→約6㎞小田原→15.6㎞大磯→2.9㎞平塚)

平塚)

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