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《玉くしげを読む》【その23③】江戸への帰途(鎌倉の宿)

 二人は、夕刻から雪ノ下の宿(大沢屋)を出て、すぐ近くの「鶴が岡八幡宮」へ出かけた。三の鳥居を入ると、板橋があった。いまなら太鼓橋が目につくはずだが。さて、池を眺め、二王門、右に若宮八幡、左に愛染堂、鐘楼など。宝物館では、鎧や刀、鏡などを見たが、やはり有名な、束帯姿の「頼朝」肖像画に感心した様子である。Photo_2

 八幡のみ前より雪の下を見おろし、左に衣張山、右に源氏山など、はるかに見え、夕月のかげほのめくけしき、都のながめにことかはりてをかし。

 草枕結べばこそあれ鎌倉の鶴が岡べに月を見るかなM

 「鶴が岡」は、歌枕(昔から和歌が詠まれたゆかりの場所)になっている。

ここから見る夕月の姿が、美しく、江戸での眺めとは違って心ひかれる。大沢屋の二階からあたりを眺めると、この「雪の下」界隈には「旅人の宿する家」が集中していることがわかる。鎌倉は、江戸時代、伊勢詣や大山参りなどの旅に必ず組み込まれた、人気の観光地であったわけだ。

 宿では、たまたま襖(ふすま)をへだてて隣の部屋にも旅人がおり、月の光を頼りに、寝ることも忘れ、語りあった。正興らも部屋の窓辺の「すだれ」を上げて、美しい月を眺め、長歌を詠んでいる。鎌倉歴史物語といった歌で、「うつせみの人の世にあるなみこえて、さかりなるこそおとろへの初なりけれ」と平家の成立ちから始める。さらに源氏隆盛の話を歌う。江戸の武士たちにとっても、武家社会を築いた鎌倉幕府には、大いに関心があったわけである。さて、月も消え、通りを行き来する人もいなくなり、あたりもすっかり静かになった。「我もひとも夢を結びぬ」長い長い5月6日も終了した。

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