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《玉くしげを読む》【その24①】鎌倉から金沢八景へ

5月7日

辰巳の荒神の社→寿福寺→英勝寺→景清の土牢→海蔵寺→長寿寺→円覚寺→明月院→建長寺→(再)鶴が岡八幡宮→頼朝の墓→大江広元の墓→荏柄天神→一乗院→宝戒寺→大塔宮→朝比奈の切り通し→金沢八景(泊)

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 夏の夜(よ)の臥(ふ)すかとすれば、暁のかねに驚き、起出て朝がれ飯たべ、案内のをとこをたのみて、「きのふ見残したるかた訪ねん」と別れをつげて出。

 ついつい昨日は、月を見ながら語らい、長歌をつくり、夜更かしをしてしまった。今朝は、夜明けを告げる鐘の音で目が覚め、朝食をとり、案内人を手配して、「昨日、見残した所に行こう」と、宿をチェック・アウトした。

 この日の鎌倉見物は、鎌倉五山の名刹、臨済宗の《円覚寺》と《建長寺》ということになろうか。行ってみると、【秉払(ひんほつ)】という行事の最中で、思うように拝観はできなかった。(「ひんほつ」は、払子(ほっす)を手にとる意。「ひんぽつ」ともいう。禅宗で、住持が払子をとり、法座に上って説法すること。また、住持に代わってその資格のある首座(しゅそ)が説法すること。大辞林より)

 さて、円覚寺では、いまも伝わる国宝の「鐘」の記述がある。

 寺の左の山二十杖(約604m)ほど登りて鐘楼あり。この鐘は世にひゞきたる鐘也。

この鐘は「洪鐘(おおかね)」という。北条貞時が二度の蒙古襲来により、疲労していた国家の安泰と民の幸福を祈り、1301年に鋳造。「風調雨順 国泰民安」との刻印が施されている。通常なら、この鐘をつかせてもらえるが、この日は秉払(ひんほつ)で禁止であった。続いて、建長寺では、直径五尺(約1.5m)の「頼朝の陣太鼓」を見たとの記述があるが、私は見たことがない。現在では、この建長寺にも国宝の鐘がある。

そして再び、鶴が岡八幡宮へ。実朝暗殺の大銀杏を見る。歌を詠む正興。

鎌倉や鶴が岡べに亀がやつ千世栄ゆべき里にこそあれ

星月夜鎌倉のさとはあれにしを露ぞむかしにひかりまされる

 愉快なのが、続いて訪れた《荏柄天神》の別当「一乗院」での出来事。寺の宝物を見たいと頼んだところ、「こがね百疋(ひき)」を払うようにいわれた。正興らは、「宝物の真偽もわからないのに、そんな大金は出せない。たとえ名僧がつくった仏像などを見たところで、幸福になれるわけではない。我々は、刀を見たい。せめて白銀一朱を払うが、見せてはもらえないか」(通貨単位で「百疋」は、一両の1/4、一朱銀は一両の1/16である。一両を5万円とすると、前者は12,500円で後者は3,125円となる)結局、白銀一朱で寺宝の刀類を見せてもらい、主の僧は得意満面である。しかhし、寺を去りnながら、正興が、刀の目利きである光興に、評価をきくと、光興は、一言で片付けた。

「おぼつかなし」

 さて、一行は鎌倉を後に、朝比奈の切り通しを越える。上がったり下がったりのきつい道だ。しかも急に雨風が強くなってきた。ようやく、金沢(かねさわ)である。(広重「金沢八景」)

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コメント

たろべえさん いよいよこの旅ももうすぐ江戸ですね。なかなか帰り着かないものですが 楽しみです。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2008年3月21日 (金) 09時32分

通りすがりの旅人さん

コメントありがとうございます。
まもなくこの《玉匣両温泉路記》も終了します。最後の部分は、作者の原正興(はらまさおき)も筆が走ったのか、ボリュームの多い箇所もあります。

 いよいよ鎌倉、金沢八景そして川崎宿から江戸への旅。ご愛読感謝します。

投稿: もりたたろべえ | 2008年3月23日 (日) 07時29分

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