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《玉くしげを読む》【その24②】金沢八景の宿

 金沢《金沢八景》は、現在の横浜市金沢区である。江戸時代、寺社詣での旅で、江戸に戻る旅人は、この地で「精進落とし」をしたそうだ。芸子を侍(はべ)らせ、飲めやうたえの大騒ぎ、運がよければ、きれいなお姉さんと・・・といった按配(あんばい)。

 さて、金沢の街に入り、帰り支度の駕籠屋さんに道をきく。風雨が強く、どの家も戸を閉めていて、宿がわからないのだ。

「こっちが千代本で、隣が扇屋、左の家が東屋ですよ」と教えてくれた。東屋の玄関をたたき、店の者が出てきた。

「さあさあ、どうぞ。この雨の中、大変だったでしょう。ゆっくりしてください」

びっしょり濡れた雨具を脱ぎ、熱いお茶をいただくと、やっと人心地がついた。

店の前の水の流れを川と思っていた一行、ここが「入海」(入江)であると説明され驚いた。いまは引き潮なので、こちらへ流れているが、上げ潮には、逆の水の流れに

なるというわけだ。

「けふは朝より時こそしらね。何どきならん」といへば、

「まだ未の下り(午後3時)なれども、このさきは山道なれば、かごならでは越えがたし。其のかごだに、けふはなければ、早くとも泊り給ひて、雨やまば所の八景見て、明日とく程ヶ谷へ越し給へ」といふ。M

 まだ午後3時と早いが、この雨では、駕籠屋も呼べない。明日、雨がやんでいれば早くに金沢八景を見物して、保土ヶ谷へ向かう。ここは宿のすすめに従うことにした。

 ここで登場する「千代本」、「扇屋」そして「東屋」は、当時では有名な料亭(旅亭)で、いうなれば「割烹旅館」であった。『江戸名所図会』には、瀬戸橋と《東屋》を描いたものがある。(ちなみに千代本は「千代本楼」として現在も営業中である)

 此里は、広もの・さもの(大小の魚類)多くして、てうり(調理)も江戸にまされるとて、それがためにとひ(訪ね)来る人多しときけば、後の物語りの種にもなるなれば、

「酒出してよ」といへば、うを(魚)を作りみにして、もてきたれり。

 新鮮な魚が名物の金沢八景は、江戸でも評判であったようだ。話のタネにもなるので、さっそく酒を頼むと、刺身(お造り)が届く。(東屋では「鯛の生き造り」が評判)刺身の三切れ、四切れをつまみに、盃を口に運ぶと、夕刻を告げる「称名寺の鐘」がきこえる。これも、《金沢八景》のひとつだという。

「をりこそよけれ、雨ふる夜、この里に泊りたるは幸いなり。小泉(こずみ)にゆきて、この雨きかんはいかに」といへば、ひとりが、

「ともかくも心にまかせ給へ。我は能因ぬしの白川関にならひ、こゝに寝て小泉の歌よむべし」と笑ふに、「うべなり」とふぃしぬ。

 この「小泉の夜雨」も八景のひとつ。隠居して家にこもってじっとしていた能因(のういん)が、実際には行ってもいないのに、さも訪ねたように「白川の関」の歌を詠んだように、「小泉」にでかけなくとも、歌が詠めますと、笑う二人。それもそうだな、と納得して床に入った。 (幕末の金沢八景・瀬戸橋と東屋)

5setobashi

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