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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その2】

1月3日

坂本宿→二里半十六丁(約11km)、軽井沢宿→一里五丁(約4.4km)、沓掛宿(泊)

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峠山入口右の方に仁王堂あり御形地腰より下もみじかし。夫より町に入る御師大勢あり。熊野宮三社あり。此のお宮中央国境なり。

上野国△信濃国 此の間坂本宿より軽井沢宿迄すべて坂道なり。

浅間岳を右に見、はふ山を左に見て通るなり 大風にて雪吹道分らず、よんどころ無く

昼八ツ時(午後2時)頃より 沓懸け宿泊り

○沓懸け 南側 鶴や泊り

2日目の1月3日。あいかわらず大雪である。軽井沢を経て、「沓掛宿」へ。吹雪で道が見えず、午後2時には、旅籠「鶴屋」へ入った。沓掛宿(沓懸け宿)は、いまの「中軽井沢」である。この日はわずかに、16km弱の移動であった。上野国から信濃国(長野)へ入る。

 「軽井沢」というと、忘れられない思い出がある。大学生のとき、夏休みの二ヶ月間、六本木や西麻布にある有名洋菓子屋の「軽井沢店」で、働いた。住み込みである。当時、南軽井沢のレイクニュータウンにあったこの店は、1階がケーキ売場とコーヒーショップ、2階がレストランとなっていた。「リングシュークリーム」とショートケーキが人気商品で、確かに毎日、別荘に暮らすお客様が買いに来た。リゾート地のケーキ屋さんだから毎日が忙しかった。Photo_3

 はじめに6名ほど、大学生のアルバイトが採用された。宿舎は、店内の奥にある段ベッドのタコ部屋である。朝早くから夜遅くまで交代制の仕事であったが、ほとんど休みはなかった。私は、別につらいとも思わなかったが、次々にアルバイトが辞めていった。ひと夏で10名ほどの学生が、入れ替わり、結局、二ヶ月間続いたのは自分だけであった。私の場合は、接客業が肌に合っていたのもあるが、この頃父親が、病気で仕事を辞め、学費のほかは、ほとんど自分のバイトで稼いでいたので、簡単に辞められない事情もあった。(上:木曽街道六拾九次「坂本」英泉、下:同「沓掛」英泉)

 ところで、金井忠兵衛日記によれば、この日の沓掛宿での夕食と、翌日の朝食は・・・

 夕食 皿:肴(サカナ)、平(椀):たら、切りこぶ

 朝食 皿:肴(サカナ)、平(椀):いも、とうふ

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コメント

たろべえさん

こうやって、昔の人の旅行記を読むのは、今と照らし合わせながら読んで行くと面白いですね。
詳しいことは忘れましたが、ゲーテの「イタリア紀行」は大変興味を持って読んだ覚えがあります。

ケーキ屋さんのバイト、実は私も学生時代、半日ほどを2日間だけですが、友人の手伝いでしたことがあります。クリスマスの頃で、とても大変でした。反面、ケーキの切り落としとか壊れたケーキとかを帰りに頂いたりして、いいこともありました。

それを住み込みで2ヶ月も続けるなんて、ほんとたろべえさんは根気のある真面目な方なんですね。お父様のこと、大変でしたね。
私の場合は、母が病弱で時々入院をしていましたので、子供心にしっかりしなきゃ、という気持ちを持っていました。その母も60歳まで生きてくれ、今は感謝です。
家庭の逆境というのは無いに越したことはないですが、私の場合はおかげで強くなれたような気がします。

投稿: Cojico | 2008年4月19日 (土) 22時50分

cat
Cojicoさん

コメントありがとうございます。
大学生の時代の後半は、ほとんど毎日バイトで、とくにブログでも書いたケーキ屋さん(深夜も営業)で、朝まで働いて、お店で仮眠をして授業に出たこともありました。
いま思えばなつかしいですね。別につらくはなかったですね。

投稿: もりたたろべえ | 2008年4月22日 (火) 09時38分

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