《金井忠兵衛旅日記を読む》【その3】
1月4日
沓掛宿→一里三丁(約4.2km)、追分宿→一里十丁(約5km)、小田井宿→一里七丁(約4.7km)
→岩村田宿→一里十一丁(約5.1km)、塩名田宿(泊)
追分
△永楽や休みよし(茶店永楽屋は休憩によい)△よろずや泊りよし(旅籠よろずやはおすすめ) 町出はずれ右善光寺道加賀往還なり 左り中山道木曽路なり 往来の脇に茶釜石と云う有り
小田井
岩村田
△桔梗屋泊りよし
往還左り名木相生松あり 其のむかし業平あそんも尋ねけん おとこ女の松の千とせを
○塩名田 北 丸屋泊り
1月4日。なかなか、なじみのない宿場が多い。「追分」は、本文にもあるように、大きな街道の分岐点を意味する。町外れの分かれ道、右は信濃の善光寺や北陸・加賀へ続く道で左へ行くと、中山道・木曽路である。
さて、「岩村田宿」であるが、実は《武田信玄》ゆかりの《龍雲寺》がある。信玄の死後、信州駒場(長野県下伊那郡阿智村)の長岳寺で火葬にし、遺骨を密かに持ち帰り、岩村田(長野県佐久市)の龍雲寺におさめた。この件については、このブログの2006年12月28日に書いたことがある。《長岳寺》武田信玄終焉の地!?
またこの岩村田には、本文にある「相生の松」が、いまも残っている。さらに、「其のむかし業平あそむの尋ねけん おとこ女の松の千とせを」と彫られた江戸時代の歌碑もある。金井忠兵衛は、このように正確に「名所・旧跡」をメモしていることがわかるが、残念ながら自分の思いや感想の記載が、ほとんどないようだ。
(上:小田井宿、下:塩名田宿、共に広重)
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