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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その4】

1月5日

塩名田宿→二十七丁(約2.9km)、八幡宿→三十二丁(約3.5km)、望月宿→一里八丁(約4.8km)、

芦田宿→一里十十六丁(約5.6km)、長窪宿→二里(約7.8km)、和田宿泊)

塩名田

つくま川(千曲川)名所なり。

八幡 

△つたや泊りよし(旅籠つたやはおすすめ)町入口右の方八幡宮あり。

望月

△巴屋(ともえや)休みよし(茶店巴屋は休憩によい) △旅籠みょうがやあり

此辺駒多し望月駒と云い四、五疋(匹)づつつらね 水田をふませるなり。家毎に馬多くあり(このあたりは、農耕馬が多い)

芦田

△むさしや休みよし △山浦永治右エ門本陣なり泊りよし

長窪

(略)依田川 下和田 和田ヶ原  此間和田義盛の宮有りと云う

○和田 永井屋泊りPhoto

1月5日。塩名田・八幡(共に長野県北佐久郡浅科村)から、望月(北佐久郡望月町)、芦田(北佐久郡立科町)、長窪(長久保:県郡あがたぐん長門町)そして和田(県郡和田村)へ、約24.6kmの行程である。このあたりの郷土の英雄は《和田義盛》だ。鎌倉時代の武将で源頼朝に従って功を立てた。

1月6日

和田宿→五里半(約21km)、下諏訪宿(泊)

夕、皿、大根もみ 平(碗)、どぢよう、牛蒡(ごぼう) 

此家脇に温泉あり

 和田宿の次の宿場が、実は「下諏訪宿」だから、この日はあまり前へ進んでいないようにも思える。しかし、雪の中を標高1531mという、中山道でもっとも標高の高い和田峠を越えた。しかも和田と下諏訪の間の五里半(約21km)は、急な坂道で、きびしい道のりであったようだ。下諏訪では、旅籠「ひものや」に宿泊。温泉である。

 下諏訪温泉は、「風林火山」の《由布姫ゆうひめ》ゆかりの地。このブログでも、現地取材の上、精力的に紹介したことがある。「諏訪大社」や温泉については、次回に。

Photo_2

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コメント

はじめまして、ほとりと申します。

和田義盛と和田峠の八幡のことが気になってネットで検索していましたら、こちらに辿りつきましたので早速拝見させて頂きました。

それで、ひとつお伺いしたいのですが、
和田峠あたりで和田義盛が郷土の英雄なのですか?
神奈川の三浦の一族の和田義盛の八幡が和田峠に作られたのでしょうか。

もしご存知でしたら教えて頂きたいです。
(父がここの出身なので、興味がありまして)

投稿: ほとり | 2008年9月 6日 (土) 11時46分

ほとりさん コメントありがとうございます。

さて「和田義盛」と長野県県郡(あがたぐん)和田村の関係ですが、詳しくわかりません。鎌倉武士で有名な義盛は、相模の国(三浦)の出身です。調べたところ、江戸時代の天保年間に、和田義盛の霊を祭るために、八幡神社や和田神社ができたともいわれています。もし詳しい郷土史家の方がいえれば、教えていただきたいと思います。本ブログでの私の書き方が悪かったかもしれません。

投稿: もりたたろべえ | 2008年9月 8日 (月) 21時29分

もりたたろべえ様、早速のお返事ありがとうございます。こちらこそ、ちょっとマイナーな質問をしてしまい失礼いたしました。

八幡などは天保年間伝ですか。思ったより後年でした。とても参考になりました。

それと、金井忠兵衛旅日記自身にも興味が出てきました。自分でも読んでみたいと思います。

お忙しいところ本当にどうもありがとうございました。

投稿: ほとり | 2008年9月 8日 (月) 23時06分

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