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2008年4月の12件の記事

《金井忠兵衛旅日記》【その5】

 中山道の宿場「板鼻宿」(群馬県安中市)の宿屋の主人・金井忠兵衛は、文政五年(1822)1月2日から3ヶ月半の長い旅に出た。この記録が《金井忠兵衛旅日記》、サブタイトルが『文政五年伊勢参宮并(並びに)大社拝礼記行(紀行)』である。Mm

《金井忠兵衛旅日記》は、中山道から伊勢参宮、そして西日本を経て、九州の長崎まで、諸国、31カ国(県)を旅した。簡潔なメモ的記述だが、各地の宿屋(旅籠)で、夕食や朝食に何が提供されたのか、内容が書かれている。そこで、しばらくこの食事の記述をたどってみたい。

【信濃】

1月9日、須原宿 かしわや泊

夕食:サカナ、しみとうふ 朝食:花かつを、こぶ、とうふ

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1月10日、馬篭(馬籠)宿 はちや源右衛門泊

夕食:サカナ、いも・にんじん・こんにゃく 朝食:さば、とうふ・こんぶ

【美濃】

1月11日、釜戸宿 ききょうや泊

夕食:さんまのひもの、とうふ・ねぎ 朝食:えび、いも・大根・にんじん

1月12日、内津宿 福島屋泊

夕食:さんまのひもの、こんにゃく・かき、とうふ・あぶらげ 朝食:玉子、いも大根、とうふ

1月13日、名古屋 銭屋泊(一行は、東海道廻りで来た6名と合流し、17名となる)

夕食:サカナ、とうふ、ばかぬきみ(赤貝)、汁 

朝食:かじき、大根、あぶらげ、汁

 やはり注目すべきは、中山道は山中の宿場で、「さば(鯖)」や「さんま(秋刀魚)」の干物が出ていることだ。単に「サカナ」とあるのは、日記には「肴」と表記されているため、飯に添える副食物の総称で「おかず」という意味にもとれる。

 江戸時代も後期になると、街道の交通も発達し、物流も盛んであったようだ。名古屋は、もともと海が近く、貝類も獲れる。それにしても、旅籠の食事は、いま考えればまことにヘルシーである。

_edited_2 (中:英泉「馬籠」峠ヨリ遠望之図、

下:サンマ干物イメージ)

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JR九州の《床に座わらないでください》

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JR九州の電車に乗って驚いた。東京では見たこともない「ステッカー」が貼ってある。《床に座らないでください》である。

どうやら高校生が通学途中の車内で、床に集団で座り、他の乗降客の迷惑になるという苦情が多いらしい。もっともこの種の苦情は、九州に限らないようだ。

社団法人日本民営鉄道協会は、アンケート調査をおこない、駅と電車内の迷惑行為ランキングを、発表している。(2005年の集計)

1位【携帯電話の使用】いまだに車内で通話をする人がいる。マナーモードにせず、着信音が鳴る。若い人より意外と中年の「おばさま」が多い。

2位【座席の座り方】足を組む若い女性や平気で足を投げ出す若い男がいる。

3位【電車の床に座る】よく見かけるのは、関東では、ローカル線。千葉県、群馬県。

4位【車内で騒ぐ】集団は、とにかくうるさく話す。

5位【乗降時のマナー】【女性の化粧】

7位【たばこ】

8位【ヘッドフォンの音漏れ】

9位【荷物の持ち方・置き方】背負ったままのリュック

10位【車内での飲食】

と、これが迷惑行為のワ-スト10である。JRをはじめ、各私鉄など鉄道会社への苦情でも「携帯電話」関連が一番多いという。どうして、車内でのマナーモードができないのだろうか。また、繰り返し車内放送で案内しているにもかかわらず、優先席付近でのメール操作がなくならない。

 座席にすわって平気で化粧をする若い女性、菓子やパンを食べる若い男の人も、やがて人の親になるはずである。そんな連中に、まともな子供のしつけができるはずもない。

このまま、あたりまえのモラルが消えていくかもしれない。他の人に迷惑をかけないことは、最低限、社会人の常識であるはずなのだが・・・。

(博多から唐津へのJR九州車内で撮影)

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川越で新発見《餃子菜館 大八勝山》紅いも餃子

 仕事で、おなじみ「蔵の町」川越へ行った。川越については、以前にもこのブログで書いている。

2007年3月1日】

《蔵の町 川越》《さつまいもの川越》に行ってきました

今回は「さつまいも」入りの餃子のお話。

「えっ!! サツマイモが入ったギョーザって、どんな味?」という素朴な疑問で、今回食べてみた。その店は、《時の鐘》の「鐘つき通り」にあった。《餃子菜館 大八勝山(だいはちかつやま)》という。看板メニューは、「川越ラ-メン」と「紫いも餃子」。Edited_2

 「川越ラーメン」は、あっさりした鶏ガラベースの醤油味。ナルト、メンマ、チャーシュー、わかめにネギという定番ラーメンなのだが、コーンと唐揚げ(素揚げ)のさつまいもが2切れ入っている。懐かしい味である。店内の説明書によれば、麺に特徴があり、「良質な川越の地下水と天日塩を使った特製の麺」だ。なるほど、やや縮れ系の中細麺は、スープと、よくからみ、喉越しがよい。これで580円は、お得。(さつまいもは、口直しという感じで、あまり甘さは気にならない)

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 さて、メインは《紫いも餃子》である。ギョーザの皮に、紫いもを練り込んである。だからこのギョーザは、紫色だ。野菜たっぷりの具にも「紅東(ベニアズマ)」というさつまいもが少々入っている。これが、なかなかのものだ。いもが決してギョーザの味を邪魔していない。見事なコラボレーションだ。甘みが残り、やわらかく食感が、とてもよい。最近、ブームになり人気があるのもうなずける。360円。

 ところで、この《紫いも餃子》だが、なんと特許を取っている。店主の勝山さんは、平成11年出願し、翌12年には時の特許庁長官に第3112674号で受理登録された。店内に掲示されている特許証のコピーを読むと、

“紫芋が含有された餃子の皮およびこれを用いた餃子”が、特許だ。

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勝山さんの奥様に「これは、おいしいですね」といったら、照れくさそうに「ありがとうございます」と笑顔がかえってきた。好感のもてるお店である。

        餃子菜館 大八勝山

        埼玉県川越市大手町14-7(鐘つき通り)※時の鐘を背にして左手すぐ

        TEL:0492-24-0072

        営業時間/11:00~20:30(毎週月曜日休み)

(写真:たろべえ撮影)

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《唐津》で呼子の《いか》を満喫

 週末、仲間内で福岡へ旅に出た。目的は、呼子(よぶこ)の「いか料理」を食べることと、(佐賀)唐津にある宝くじにご利益(りやく)がある《宝当(ほうとう)神社》。

 金曜の夜、泊りは博多のビジネスホテルだ。夕食はついていないので、博多駅近くの居酒屋で「さかな料理」を食べ、お決まりの「中洲」屋台で博多ラーメンだ。そして、翌日、地下鉄とJRで、唐津へ。「いか」で有名な呼子は、唐津からバスで30分だが、いまは呼子産のいか料理を、同じ鮮度で、もちろん唐津でも食べられる。そこで、最近評判の《海舟》(かいしゅう)へ行く。Photo_2

 海舟は小さな割烹旅館だが、昼食もよい。博多の友人が予約していたのは、迷わず

『いか活造り定食』である。いかの刺身(活造り)は、白い色ではなく、身もゲソも透明だ。歯ごたえがあり、甘い。この地方の刺身醤油(たまり醤油でマルキン醤油)をつけてもよいが、塩で食べてもおいしい。足(ゲソ)は、調理はさみで切って食べるが、まだ生きているから、口にいれてもイカの吸盤が吸い付く。

 この定食は、この活造りのほか、「いか後造り」といって、天ぷらや塩焼きがつく。

このいかの天ぷらがうまい。たぶんゴマ油だろうが、軽く、からっと揚がっていて、まったくもたれない。天つゆより、塩で食べる。これもまた甘みがある。おそらく素材が新鮮であるが故だ。さらに、「いかしゅうまい」も美味。思わず土産に買ってしまったくらいのおいしさだった。これに小鉢、茶碗蒸し(これは平凡な味)、吸い物、ごはん、香の物にフルーツがついて、2,835円。いかを満喫した。

 唐津はしっとりとした静かな城下町で、再建された「唐津城」が高台にある天守閣に登ると、「虹の松原」をはじめ、玄界灘まで見渡せる。この町が、全国的に有名なのは、11月の文化の日からの「唐津くんち」という、山車(曳山)の祭りだ。こちらは、市内の《からつ曳山展示場》に現物が展示されていた。ガラス越だが、迫力がある。(写真:たろべえ撮影)

           御宿 海舟

           佐賀県唐津市東城内2-45

           TEL:0955(72)8101 ※本店は唐津市呼子町殿ノ浦

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小川町名物《忠七めし》は、高級海苔茶漬け

 東武東上線の急行で、池袋から約1時間15分ほどの、「小川町」へ行ってきた。目的は創業260年の老舗割烹旅館《二葉》の《忠七めし》である。Vfsh0041_edited_3

 ここ小川町(埼玉県比企郡)は、埼玉県のほぼ中央に位置し、周囲を外秩父の山々に囲まれた昔ながらの町並みが残る、「武蔵の小京都」である。江戸時代には、中山道の脇街道、

「川越児玉往還(川越街道)」の宿場町として、栄えたところでもある。(江戸時代、小川町の宿場は、奈良梨:ならなし宿という)

 また小川町は、和紙づくりの里として1300年の歴史を誇る。和紙が地場産業として盛んになった背景には、周辺に紙の原材料となる資源「楮」(こうぞ:この地方では『かず』と呼ぶ)に加え、きびしい寒さと冷たい水が豊富にあったためだといわれている。このあたりの和紙は、「小川和紙(武州和紙)」と呼ばれ、江戸でも人気の商品となった。最盛期には、紙すきを家業とする家々が、1300軒もあったという。

 さて、《二葉》へ。創業260周年記念で『江戸食百珍』という新企画メニューがあった。もちろん、《忠七めし》がつくが、江戸時代の各種料理を再現した内容で、1日20食(昼食)限定だ。2,600円。メニュー(お品書)を紹介しよう。

『江戸食百珍

壱)高月膳:鰻もどき(長芋と豆腐、海苔が材料。ウナギの風味がする。甘めの味つけ) 

      利休卵(タケノコ・とうふでつくった感じ、タマゴは使わず)

弐)蛸壺:芋たこ汁(里芋とタコ入りの味噌汁、あさつき)

参)六角皿:合歓豆腐(とうふの上に餅がのり、とろりと餡かけ、おいしい)

四)かさね重:いの重・揚出大根(これは酒のつまみに最適)

       ろの重・青菜浸し、流し物(おひたし、ひじき煮物、小豆の羊羹風)

       はの重・鯛香の物すし(寿司めしのタクアン小切りをまびし、上に湯引きし

た鯛をのせたもの。上品な味)

りんごごま山椒和え、大根三ツ輪漬(箸休めによい)

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 大変、健康によさそうなメニューだ。味は全体に薄味。江戸時代の各種料理本を参考に再現したものだが、古さは感じない。日本料理の伝統は、脈々と受け継がれているのだ。さてさて締めは、もちろん名物《忠七めし》である。私は2度目の体験。

海苔をまぶしたごはんの上に、薬味のネギ・わさび・柚子をのせ、土瓶に入った「秘伝の」つゆ(かつを出し)をかけて食す。幕末から明治の有名人・山鉄舟ゆかりの「めし」とのこと。実際に食べてみたら、高級な「海苔茶漬け」に間違いない。

(写真:たろべえ撮影)

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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その4】

1月5日

塩名田宿→二十七丁(約2.9km)、八幡宿→三十二丁(約3.5km)、望月宿→一里八丁(約4.8km)、

芦田宿→一里十十六丁(約5.6km)、長窪宿→二里(約7.8km)、和田宿泊)

塩名田

つくま川(千曲川)名所なり。

八幡 

△つたや泊りよし(旅籠つたやはおすすめ)町入口右の方八幡宮あり。

望月

△巴屋(ともえや)休みよし(茶店巴屋は休憩によい) △旅籠みょうがやあり

此辺駒多し望月駒と云い四、五疋(匹)づつつらね 水田をふませるなり。家毎に馬多くあり(このあたりは、農耕馬が多い)

芦田

△むさしや休みよし △山浦永治右エ門本陣なり泊りよし

長窪

(略)依田川 下和田 和田ヶ原  此間和田義盛の宮有りと云う

○和田 永井屋泊りPhoto

1月5日。塩名田・八幡(共に長野県北佐久郡浅科村)から、望月(北佐久郡望月町)、芦田(北佐久郡立科町)、長窪(長久保:県郡あがたぐん長門町)そして和田(県郡和田村)へ、約24.6kmの行程である。このあたりの郷土の英雄は《和田義盛》だ。鎌倉時代の武将で源頼朝に従って功を立てた。

1月6日

和田宿→五里半(約21km)、下諏訪宿(泊)

夕、皿、大根もみ 平(碗)、どぢよう、牛蒡(ごぼう) 

此家脇に温泉あり

 和田宿の次の宿場が、実は「下諏訪宿」だから、この日はあまり前へ進んでいないようにも思える。しかし、雪の中を標高1531mという、中山道でもっとも標高の高い和田峠を越えた。しかも和田と下諏訪の間の五里半(約21km)は、急な坂道で、きびしい道のりであったようだ。下諏訪では、旅籠「ひものや」に宿泊。温泉である。

 下諏訪温泉は、「風林火山」の《由布姫ゆうひめ》ゆかりの地。このブログでも、現地取材の上、精力的に紹介したことがある。「諏訪大社」や温泉については、次回に。

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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その3】

1月4日

沓掛宿→一里三丁(約4.2km)、追分宿→一里十丁(約5km)、小田井宿→一里七丁(約4.7km)

→岩村田宿→一里十一丁(約5.1km)、塩名田宿(泊)

追分 

△永楽や休みよし(茶店永楽屋は休憩によい)△よろずや泊りよし(旅籠よろずやはおすすめ) 町出はずれ右善光寺道加賀往還なり 左り中山道木曽路なり 往来の脇に茶釜石と云う有り

小田井

△小竹屋休みよしPhoto_2

岩村田

△桔梗屋泊りよし

往還左り名木相生松あり 其のむかし業平あそんも尋ねけん おとこ女の松の千とせを

○塩名田 北 丸屋泊り

1月4日。なかなか、なじみのない宿場が多い。「追分」は、本文にもあるように、大きな街道の分岐点を意味する。町外れの分かれ道、右は信濃の善光寺や北陸・加賀へ続く道で左へ行くと、中山道・木曽路である。

さて、「岩村田宿」であるが、実は《武田信玄》ゆかりの《龍雲寺》がある。信玄の死後、信州駒場(長野県下伊那郡阿智村)の長岳寺で火葬にし、遺骨を密かに持ち帰り、岩村田(長野県佐久市)の龍雲寺におさめた。この件については、このブログの2006年12月28日に書いたことがある。《長岳寺》武田信玄終焉の地!?

またこの岩村田には、本文にある「相生の松」が、いまも残っている。さらに、「其のむかし業平あそむの尋ねけん おとこ女の松の千とせを」と彫られた江戸時代の歌碑もある。金井忠兵衛は、このように正確に「名所・旧跡」をメモしていることがわかるが、残念ながら自分の思いや感想の記載が、ほとんどないようだ。

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(上:小田井宿、下:塩名田宿、共に広重)

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埼玉・宮代町 田舎の手打ちそば《一茶 宮代》

そのなんとも奇妙な「そば」は、埼玉県の東部、南埼玉郡宮代町にあった。宮代町は人口34,000人の町だが、最近ジェットコ-スター「カワセミ」や「レジーナ」で人気の《東武動物公園》がある。この動物公園駅から徒歩で5分ほどの所に店がある。Vfsh0047

“昔の味 純手打そば”と大書された看板、のれんの脇にも“本気で打った本当のそば”とある。大盛り(そば)を注文する。500円は安い。見たこともないような、太い太い平打ちの麺である。そば殻も入った自然の風味だ。つゆは、甘めだが、飽きがこない。薬味はワサビと正統派の白く太い深谷ネギ。テーブルには、継ぎ足用のめんつゆが大きなそばとっくりに準備されていた。

これは、うどんでもなく、「そば」でもない。いってみれば「そばパスタ」という感じで、トマトベースの『ポモドーレ』ソースに合うかもしれない。これは、自論だが、そばは、「もり」に限る。小細工が効かないからだ。確かに、昔はこんな形の「そば」を田舎のおばあちゃんが、愛情込めて、一生懸命に打ったのだろうと思う。事実、調理場をのぞくと、白い割烹着の地元のおばちゃん達3人が、注文のそばをつくっている。

歯ごたえがよく、そばの香りもする。独特な味だ。店の名を《一茶》とつけるだけあり、店内には、小林一茶の俳句の拓本が飾られている。

是(これ)がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺

痩(やせ)かえる(蛙) まけるな一茶 是にあり

一茶は、いわずと知れた「信濃では 月と仏と おらがそば」の、長野県上水内郡信濃町「柏原」の出身。記念館と晩年を過ごした旧宅がある。近くには、黒姫高原や野尻湖がある。冬には、かなりの豪雪が降るようだ。(9月に訪ねたことがあるが、黒姫のコスモスが咲き乱れ、美しい)

ところで《一茶 宮代》だが、もりそば300円、かけそば300円、たぬきそば400円、天ぷらそば650円・・・と安い。良心的でローカル色豊かと、いうべきか!?

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    『一茶 宮代』南埼玉郡宮代町和戸5-1-33(東武動物公園駅西口から徒歩約5分)

    TEL:0480(32)3865

    定休日:月曜日 営業時間/店内に記載なし

※写真:たろべえ撮影

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蔵の街《栃木》のご当地《夕顔ラーメン》

仕事で「蔵の街」として、知られる栃木市へ行った。東京・浅草から東武線の特急で1時間10分程だ。「なぜ、蔵の街なんだろう」、という素朴な疑問が解けた。

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徳川家康を祀(まつ)る栃木県日光市の東照宮へ、毎年、朝廷から勅使“例幣使(れいへいし:神である家康の命日に祈りを捧げる金の幣(ぬさ)を奉納する使者”が向けられていた。この勅使が通る道は「例幣使街道」と呼ばれ、「栃木」は、この街道の宿場町として栄えることとなった。同時に、栃木を流れる「巴波川(うずまがわ)」を往復する船便があり、この地方と江戸との交易を目的とした水運が発展。江戸からは日光御用の船荷や塩が、栃木からは近隣の農作物や材木などが運ばれたという。これにより商業の都として、成長していった豪商たちが、物資を貯蔵する「蔵」を巴波川沿いに建て、蔵の街を形成し、栃木は、県の中心地であった。しかし、明治16年、県令によって、県庁は宇都宮に移転し、現在のような静かな街になったようだ。

さて、街を歩いていたら、《とちぎ蔵の街 夕顔らーめん会》の「のぼり」が目についた。昼時を過ぎていたが、のれんが出ている、一軒のラーメン屋に入った。ほかに客がいなかったせいもあるが、親切で話好きなご主人にきく。いまから6年ほど前、栃木市の「町おこし」として、栃木市観光協会とタイアップし、市内の中華料理屋さんの集まり、中華生同組合栃木支部が立ち上がった。故郷を捨て、都会へ出ていってしまう若い人たちにもアピールするように、「ご当地ラーメン」をつくろうという企画である。

栃木市内を中心に14軒のラーメン屋さんと4軒の製麺屋さんが集まった。そこで栃木県の特産品《かんぴょう》を使ったラーメンを、試行錯誤の末、完成。かんぴょうは、ウリ科の植物で、ユウガオ(夕顔)になった実(ふくべ)の果肉を細長く、ヒモ状にむいて乾燥させたものだ。カルシウムや食物繊維が豊富に含まれ、腸ガンの予防や肥満防止、最近では糖尿病にも効果があるといわれているらしい。このかんぴょうを麺に練りこみ、「夕顔ら-めん」として売り出した。“体にやさしい健康麺”なのだ。

Vfsh0046_2   実食する。見た目は、なつかしい伝統的な昭和の東京ラーメンである。ナルト、メンマ、チャーシューに海苔と定番の具在に、醤油味のあっさりスープ。麺は、かんぴょうが入っているためか、やわらかな食感で、のど越しがよい。おまけに、煮・かんぴょうがトッピングされていた。実に飽きの来ない味わいだ。これで500円。だまされたと思って、一度は食べていただきたい。(写真:たろべえ撮影)

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    『ふくや食堂』栃木市旭町25-3(JR東武 栃木駅から徒歩約15分)

    TEL:0282(22)3887(ご主人は横地さん)

    定休日:水曜日 営業時間/11:30~21:00

※夕顔らーめんのほか、特製の「坦々めん」700円もおすすめ

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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その2】

1月3日

坂本宿→二里半十六丁(約11km)、軽井沢宿→一里五丁(約4.4km)、沓掛宿(泊)

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峠山入口右の方に仁王堂あり御形地腰より下もみじかし。夫より町に入る御師大勢あり。熊野宮三社あり。此のお宮中央国境なり。

上野国△信濃国 此の間坂本宿より軽井沢宿迄すべて坂道なり。

浅間岳を右に見、はふ山を左に見て通るなり 大風にて雪吹道分らず、よんどころ無く

昼八ツ時(午後2時)頃より 沓懸け宿泊り

○沓懸け 南側 鶴や泊り

2日目の1月3日。あいかわらず大雪である。軽井沢を経て、「沓掛宿」へ。吹雪で道が見えず、午後2時には、旅籠「鶴屋」へ入った。沓掛宿(沓懸け宿)は、いまの「中軽井沢」である。この日はわずかに、16km弱の移動であった。上野国から信濃国(長野)へ入る。

 「軽井沢」というと、忘れられない思い出がある。大学生のとき、夏休みの二ヶ月間、六本木や西麻布にある有名洋菓子屋の「軽井沢店」で、働いた。住み込みである。当時、南軽井沢のレイクニュータウンにあったこの店は、1階がケーキ売場とコーヒーショップ、2階がレストランとなっていた。「リングシュークリーム」とショートケーキが人気商品で、確かに毎日、別荘に暮らすお客様が買いに来た。リゾート地のケーキ屋さんだから毎日が忙しかった。Photo_3

 はじめに6名ほど、大学生のアルバイトが採用された。宿舎は、店内の奥にある段ベッドのタコ部屋である。朝早くから夜遅くまで交代制の仕事であったが、ほとんど休みはなかった。私は、別につらいとも思わなかったが、次々にアルバイトが辞めていった。ひと夏で10名ほどの学生が、入れ替わり、結局、二ヶ月間続いたのは自分だけであった。私の場合は、接客業が肌に合っていたのもあるが、この頃父親が、病気で仕事を辞め、学費のほかは、ほとんど自分のバイトで稼いでいたので、簡単に辞められない事情もあった。(上:木曽街道六拾九次「坂本」英泉、下:同「沓掛」英泉)

 ところで、金井忠兵衛日記によれば、この日の沓掛宿での夕食と、翌日の朝食は・・・

 夕食 皿:肴(サカナ)、平(椀):たら、切りこぶ

 朝食 皿:肴(サカナ)、平(椀):いも、とうふ

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《金井忠兵衛旅日記を読む》【その1】

板鼻宿→二里十六丁(約9.5km)、安中→二里十五丁(約9.4km)、松井田→碓氷横川→二里半十六丁(約11.5km)、坂本(泊)

閏正月二日前夜より雪降朝五ツ時出立Photo_3

正月の2日。正月早々、前夜から雪が降り積もっている。五ツ時、即ち午前8時頃、板鼻宿を出発。同行は、同業者の一行11人である。

11名とは、金井忠兵衛、団菱(だるびし)森五郎、万年屋和三郎、吉野屋藤蔵、肴屋善介、信濃屋三治郎、角菱定治郎、沢屋音吉、本菱屋仲治郎、玉屋新八、鍬柄屋伊勢松。

 雪の中、仲間衆、知人・友人などが、見送りに出てくれた。とくに身内の者は、駕籠で次の次の宿場、松井田宿まで送ってくれた。

碓氷峠の関所は、箱根と同様に「入り鉄砲と出女」には厳しい関であったが、「手形御改め尤((もっと)も江戸へ入るは手形いらず」で、とくに問題がなければ、通行手形と関所手形の提示で済んだ。

 さて、雪の中を約30.4km歩いた初日は、「坂本宿」に泊った。おそらく午後3時頃、早めに宿「中村屋」に到着した。さらに、この日の食事メニューが記載されている。

 吸いもの:山鳥せり、大平(椀):色々取り合せ玉子とじ、大鉢:かづの子、皿:きんぴら牛蒡(ごぼう) 上酒弐升ばかり呑み申候

夕飯 皿:鮭塩引、平(椀):里いもとうふ、中:つけなす、汁:白みそ

朝(朝食) 皿:ぶりの切り身、平(椀):とうふ里いも、しみこん 椎茸又はかわり茸

 正月であったためか、通常の旅籠の食事と比して、かなり豪華である。体を暖める必要から「上酒弐升」を一行11名で飲んだ。数の子も出た。一杯飲んだあとの夕食では、塩引き鮭が提供された。それにしても、朝食では、脂(あぶら)の乗った「寒ブリ」もあった。

 斯くの如き馳走故、茶代共金弐分遣(つか)わす。

 余程、満足したのだろう、チップを含め、「お茶代」として2分(1両の半分、約30,000円)も奮発していた。もちろん、宿代とは別である。Photo_4 (版画:英泉、板鼻宿) 

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【にっぽん 旅の文化史】《金井忠兵衛旅日記》

 江戸時代に、いまの群馬県安中市から、伊勢神宮へお参りし、関西、中国地方、山陽そして九州の長崎まで行き、帰りには山陰、出雲大社に寄り、さらに戻ってきた旅をした庶民がいた。「板鼻宿」の宿屋の主人・金井忠兵衛である。Photo

 旅の出発は、文政五年(1822)1月2日。帰宅したのは、4月15日であったから、なんと3ヶ月半の長い旅である。この記録が《金井忠兵衛旅日記》、サブタイトルが『文政五年伊勢参宮并(並びに)大社拝礼記行(紀行)』という。主人公の忠兵衛は、この年、44歳。幕府が主要な街道の宿駅で定めた、人馬の中継(継ぎ立て)をおこなう「牛馬宿」を経営し、地元の年寄役であった。

平成3年に群馬県高崎の小さな出版社(あさを社)から上梓され、研究者の間では、その内容が評価されているというが、なかなか現物を読むことができない。私もようやく、最近手に入れることができた。そこで、なかなか興味深い内容なので、シリーズで紹介したいと思う。

 さて、「板鼻宿」は、中山道の江戸日本橋から14番目の宿場町で、高崎の次である。十四代将軍・徳川家茂の正室となった「和宮」もこの宿場に泊っていることが知られる。

板鼻の宿場はずれには、「碓氷川」が流れ、この川を渡らなければ、隣の宿場・安中宿に行くことはできなかった。徳川幕府は、中山道からの江戸防衛戦略として、この地に架橋を許さなかったようだ。これにより、大雨などの増水時には、多くの旅人が板鼻に泊ることになり、本陣、脇本陣各1軒のほか、約60軒の旅籠があった。

《金井忠兵衛旅日記》は、はじめに忠兵衛が旅をした諸国、31カ国(県)が記されている。

上野(群馬)、信濃(長野)、美濃(岐阜)、尾張(愛知)、伊勢(三重)、志摩(三重)、伊賀(三重)、大和(奈良)、紀伊(和歌山)、和泉(大阪)、摂津(大阪・兵庫)、播磨(兵庫)、備前(岡山)、備中(岡山)、備後(広島)、安芸(広島)、周防(山口)、長門(山口)、豊前(福岡)、筑前(福岡)、肥前(佐賀・長崎)、筑後(福岡)、石見(島根)、出雲(島根)、伯耆(ほうき:鳥取)、因幡(鳥取)、但馬(たじま:兵庫)、丹後(京都)、丹波(兵庫・京都)、山城(京都)、近江(滋賀)である。

 旅日記全体は、簡潔でメモ的なのだが、各地の宿屋(旅籠)での夕食や朝食のメニューが書かれていて大変、楽しく読める。また、観光地(名所・旧跡)もポイントが記されていて、わかりやすい。Img_2 (イラスト:あさを社刊、『金井忠兵衛旅日記』より)

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