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【にっぽん 旅の文化史】《金井忠兵衛旅日記》

 江戸時代に、いまの群馬県安中市から、伊勢神宮へお参りし、関西、中国地方、山陽そして九州の長崎まで行き、帰りには山陰、出雲大社に寄り、さらに戻ってきた旅をした庶民がいた。「板鼻宿」の宿屋の主人・金井忠兵衛である。Photo

 旅の出発は、文政五年(1822)1月2日。帰宅したのは、4月15日であったから、なんと3ヶ月半の長い旅である。この記録が《金井忠兵衛旅日記》、サブタイトルが『文政五年伊勢参宮并(並びに)大社拝礼記行(紀行)』という。主人公の忠兵衛は、この年、44歳。幕府が主要な街道の宿駅で定めた、人馬の中継(継ぎ立て)をおこなう「牛馬宿」を経営し、地元の年寄役であった。

平成3年に群馬県高崎の小さな出版社(あさを社)から上梓され、研究者の間では、その内容が評価されているというが、なかなか現物を読むことができない。私もようやく、最近手に入れることができた。そこで、なかなか興味深い内容なので、シリーズで紹介したいと思う。

 さて、「板鼻宿」は、中山道の江戸日本橋から14番目の宿場町で、高崎の次である。十四代将軍・徳川家茂の正室となった「和宮」もこの宿場に泊っていることが知られる。

板鼻の宿場はずれには、「碓氷川」が流れ、この川を渡らなければ、隣の宿場・安中宿に行くことはできなかった。徳川幕府は、中山道からの江戸防衛戦略として、この地に架橋を許さなかったようだ。これにより、大雨などの増水時には、多くの旅人が板鼻に泊ることになり、本陣、脇本陣各1軒のほか、約60軒の旅籠があった。

《金井忠兵衛旅日記》は、はじめに忠兵衛が旅をした諸国、31カ国(県)が記されている。

上野(群馬)、信濃(長野)、美濃(岐阜)、尾張(愛知)、伊勢(三重)、志摩(三重)、伊賀(三重)、大和(奈良)、紀伊(和歌山)、和泉(大阪)、摂津(大阪・兵庫)、播磨(兵庫)、備前(岡山)、備中(岡山)、備後(広島)、安芸(広島)、周防(山口)、長門(山口)、豊前(福岡)、筑前(福岡)、肥前(佐賀・長崎)、筑後(福岡)、石見(島根)、出雲(島根)、伯耆(ほうき:鳥取)、因幡(鳥取)、但馬(たじま:兵庫)、丹後(京都)、丹波(兵庫・京都)、山城(京都)、近江(滋賀)である。

 旅日記全体は、簡潔でメモ的なのだが、各地の宿屋(旅籠)での夕食や朝食のメニューが書かれていて大変、楽しく読める。また、観光地(名所・旧跡)もポイントが記されていて、わかりやすい。Img_2 (イラスト:あさを社刊、『金井忠兵衛旅日記』より)

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