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ご近所グルメ 浅草《やっこ》ジョン万次郎の「うなぎ屋」

 清水(きよみず)の、いや浅草寺の舞台から飛び降りたつもりで、浅草でうなぎを食べた。江戸時代、おそらく文化・文政年間から続く老舗の「うなぎ蒲焼」《やっこ》である。うな重ランチで、小さ目のうな重に、お吸い物と漬物付で1,900円。おおげさかもしれないが、このご時世でサラーマンのお昼としては、少し勇気がいる。58

 《やっこ》は雷門通りに面していて、国際通りの角に近い。店内に入ると、和服のおかみさんが迎えてくれる。(さすがに老舗だ)店は、1階テーブル席と2階お座敷に分かれている。1階は木目の床にテーブル。シャンデリアや壁の絵画、大正ロマンがあふれる調度品だ。やはり着物姿の仲居さんが、てきぱきと注文をとり、料理を運ぶ。客は年配の夫婦連れや中年の女性グループばかりだ。

 ほどなく「うな重」が運ばれてきた。やわらかくてうまい。テーブルに置かれたウンチクを読む。

“のらくらとした奴(やっこ)もあり 田原町”と江戸川柳にもよまれた《やっこ》

“江戸川柳にも詠(よま)れた当店は、発祥を二百年前の江戸時代とし、幕末には勝海舟、中浜万次郎(ジョン万次郎)なども訪れたと伝えられます。厳選してうなぎを丹念に炭火で焼いた蒲焼ならではの味と香りをお楽しみください”

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 川柳の「奴」は、大名行列(参勤交代)で大きな角ばった半纏(はんてん)を着て、練り歩く姿が有名。のらりくらりとした「うなぎ」と奴をかけたもの。また、現在店のある地番は、「台東区浅草1丁目」だが、古くは「田原町」であったようだ。(どうして由緒ある地名をなくすのだろうか)

        やっこ

        東京都台東区浅草1-10-2(浅草駅徒歩10分、田原町駅徒歩5分)

        TEL:03(3841)9886

        営業時間/11:30~21:00(水曜日休み)

【このブログで取り上げたジョン万次郎関係】

《ジョン万次郎あれこれ1》ジョン万次郎の英語学習法

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/1_79b8.html

《ジョン万次郎あれこれ2》万次郎救助の捕鯨船の航海日誌発見される

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/2_8b4e.html

《ジョン万次郎あれこれ 3》書評『中濱万次郎 -「アメリカ」を初めて伝えた日本人―』

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/3_6957.html

《ジョン万次郎あれこれ 4》書評『中濱万次郎 -「アメリカ」を初めて伝えた日本人―』続

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/4_b226.html

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ジョン万次郎がご贔屓(ひいき)であった、浅草の「うなぎの蒲焼」《やっこ》である。万次郎の曾孫にあたる中濱博氏が記した『中濱万次郎―「アメリカを初めて伝えた日本人―」(冨山房インターナショナル刊)の中に、つぎのような記述がある。

万次郎はうなぎが好きで江戸ではよく浅草の鰻屋「やっこ」に行った。食事をすると、残ったものは必ず折りに残らず入れてさせて持ち帰った。店では万次郎はけちだというもっぱらの評判であった。

そんなある日、その店の仲居が使いの帰りに夕暮れせまる両国橋の上で、せわしく行き交う人波の中で人力車を止めて降り、橋の下をのぞき込んでいる万次郎を見た。(同書291頁)

万次郎は、橋の下に住む貧しいルンペン達に声を掛けていた。そして折りに包んだ残り物の食物を、親しげに彼らに分け与えていたそうだ。

 ジョン万次郎は、江戸末期の嘉永四年(1851)帰国し、土佐藩を経て、幕府に通訳として登用される。江戸では、韮山代官で反射炉を築き、幕府へ海防策を建白した「江川太郎左衛門」の助手となり、江川の江戸屋敷に住んだ。この屋敷は、「本所」という現在の東京都墨田区亀沢1丁目(JR錦糸町駅近く)にあった。その後、江川邸が芝新銭座(東京都港区浜松町1丁目)に移ると、同じく万次郎もその地に移転した。さらに明治二年(1869)から、万次郎は再び土佐藩に登用され、(土佐藩)下屋敷のあった砂村(東京都江東区北砂)に13年ほど住むことになる。

 文中にあるように「人力車」で浅草・田原町の《やっこ》に通ったのであれば、明治になってからのことだ。なぜなら人力車が江戸(東京)で営業を開始したのは、明治三年、(東京都中央区)日本橋であったことが知られている。そうなると、浅草・田原町から蔵前を通り、両国橋を渡り、以前の住居(現在の両国駅近辺の「本所」)を過ぎ、現在の錦糸町の南、江東区北砂1丁目まで、人力車で結構な距離である。(人力車:浅草 時代屋さんパンフより)

 ところで、両国橋で万次郎の様子を目撃した仲居は、《やっこ》に戻り、さっそく店のおかみさんに、かくかくしかじか・・・と話したそうだ。「万次郎さんは決してケチな方ではありません。身分の低い貧しい人々に食物を分け与える、やさしい方です」

 そういえば、万次郎が暮したアメリカには、いまでも外食をして食べきれないと、残った料理を「ドギーバック」に詰めてもらって持ち帰る習慣がある。

doggy-bag[名詞](レストランの)食べ残しを持ち帰る容器[袋]▼表向きは飼い犬に食べさせるということから(実際には自分たちで食べる)

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