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浅草今昔展記念フォーラム《江戸と浅草・その文化》その3

①浦井正明老師(寛永寺執事・東叡山現龍院住職)〔江戸の庶民・民衆の上野と浅草〕

②長澤利明先生(法政大学講師・国士舘大学講師)〔江戸の民間信仰〕

③柳原紀子先生(近茶流懐石道宗家夫人)〔江戸時代の食文化概論〕

④竹内誠氏(江戸東京博物館館長)〔江戸と浅草・その文化 まとめ〕

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〔江戸時代の食文化概論 江戸料理事情〕

講師の柳原紀子先生は、江戸時代から続く日本料理の「近茶流」宗家・柳原一成氏夫人。近茶文庫の文庫長。江戸料理事情についてのお話。

日本料理お特徴と成り立ちについて述べる。現在の「日本料理」の基礎は、江戸時代に「江戸」で形づくられたといえる。

日本料理の特徴を一言でいえば、「水」を多く使って料理する点が、外国の料理と大きく違う。美しい盛付や季節を移す料理であるが、日本料理は、水に支えられたものだ。ゆでる、湯引きする、煮るなど素材を水(湯)で処理をしていく料理で、外国のそれは、バターや油で支えられた料理といえる。

日本料理の基礎が、江戸でととのった背景として、諸大名の「参勤交代」制度がある。諸国から大名の家臣(武士)が大勢、江戸へやって来るようになった。人ばかりではなく、いろいろなものも入って来る。江戸は、様々なもの、人を受け入れる土壌があった。

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【調味料の充実】

もともと上方(関西)から船で運ばれていた醤油(しょう油)があった。「下りしょうゆ」という。それが江戸末期には、紀州の職人を呼び、関東の銚子や野田(いまの千葉県周辺)で生産できるようになった。これが「関東地廻りしょうゆ」である。原料の大豆や小麦を産出する広大な平野があり、温暖な気候条件があり、一大消費地・江戸へ輸送する水路(利根川、江戸川による水運)があったことから、関東でも醤油がつくられるようになった。(ちなみに主原料の塩も江戸川河口や行徳でとれた。江戸末期には赤穂の塩にかわる)

それから、豊かな財力をもつ商人を中心に、高価な「砂糖」も使えるようになる。(砂糖は、徳川吉宗が琉球からサトウキビを取り寄せ、江戸城内で栽培させたことが、江戸での砂糖使用のきっかけだという)さらに「みりん」の発達もはずせない。みりんを醤油や酒と一緒に料理に使えば、魚を煮る際の生臭さをとり、独特の照りを出し、香りもよい。それまでの料理の味付けが、塩と酢に限られていたのに対し、これらの醤油・砂糖・みりんという調味料の充実により、江戸の料理の環境がととのっていった。

【鰹節と昆布――だし】

 日本の「だし」は世界一といわれる。江戸時代、それまでの鰹節が「削り節」として出てきた。保存や輸送もできるようになった。削り節と同様に昆布もまた、「だし」をとる材料として、利用されるようになる。

【屋台の出現】

 江戸は火事が多く、年中、家を建て直す仕事があり、地方からも職人がたくさんやって来た。職人は力仕事だから、仕事を終えてちょっと小腹がすく。そこで長屋に帰る前に、町なかでちょいと一杯ひっかけて何か気軽につまむ。食べる。「屋台」の出現である。屋台は、店舗と違って火事で類焼することもない。安い値段でものを食べることができた。天ぷら、寿司、うなぎ、どじょう、ソバなど、ファーストフードである。揚げ立て、握り立て、焼き立てなどの作りたてを食べる。職人、町人ばかりでなく、地方からの単身赴任の下級武士も客であった。しかも身銭をきって本音で食べる。およそ、その後の日本料理のメニューは、まさに江戸の屋台から始まった。浅草の町にも、たくさん屋台があったようだ。

(文責・たろべえ)【続く】

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